フィールド日記
2013.04.03
オオシマザクラの花びらの黒い点の正体



2013.04.03 Wednesday
裏の駐車場のオオシマザクラの花が満開となりました。写真にも無数の花の一つが写っていますが、花びらに黒い点がついているのがわかるでしょうか。自然観察ではこのような小さな印に目を向けることが大切です。これは何かのフンではないかと思って花の中をのぞいてみました。中には赤茶けた色をした小さなイモムシがいました。キリガ類の蛾の幼虫のようです。
オオシマザクラは葉柄についている赤い蜜腺から甘い蜜を出して虫を呼び寄せ受粉に一役買ってもらいます。受粉を助ける虫もいれば、花を食べる虫もいて、桜と虫との関わりもさまざまです。
今日のことば
散る花は数かぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
上田三四二
2013.04.02
生物農薬としての可能性を秘めたネコグモ
2013.04.02 Tuesday
裏道に生えているカシの木の葉の中に葉先が丸くなっているものが何枚かあることに気づきました。葉を伸ばしてみたところ、中からネコグモのオス(頭から生えている、触覚のような触肢の先端がふくらんでいて複雑な構造を持っていることからオスであることがわかります。赤丸参照。)が出てきました。
このクモは茶畑にもよく生息していて、チャノミドリヒメヨコバイなどの茶の害虫を食べてくれることが調査で明らかになっています。2001年には静岡県茶業試験場の研究員の方が「茶園におけるネコグモ、アサヒエビグモのチャノミドリヒメヨコバイ捕食率の推移」という論文も発表なさっています。不二農園のお茶が減農薬で生産できているのは、不二農園の方々の努力とともに、周囲の豊かな生態系の中にネコグモのような自然の生物農薬が豊富に生息しているからかもしれません。あのレイチェル・カーソンもクモが果たす生態系の中での役割の大きさを強調していました。クモのおかげで若葉が守られている樹木は、お茶の木も含めて決して少なくはないと思います。


今日のことば
学校は、授業の内容を生徒たちに学ばせるための場と思われているかもしれないが、学ぶ側からはそれは学校に来るきっかけの一つにすぎない。教えるのが上手ということであれば、やがてコンピュータを使ったティーチングマシンのほうが上手ということになっていくだろう。塾や予備校だって同じようになっていくと思う。でも、生徒はそれで満足するわけではない。そこには生身の、教えたいという願いをもった、自分自身の人生を生きてきた、先輩としての人間がいるのだ。生徒はたまたまであるかもしれないが、そこで出会った人生の先輩である教師の人間性そのものとつきあいたいのだ。授業や学活や部活で、教師はもっと自分を語ってほしいとみな願っている。どんなことに感動したのか、何に怒っているのか、若いころどうして教師になろうと思ったのか、等々、教師自身の人間性をそのまま出してほしい、そう強く願っている。そのことをぜひ忘れないでいてほしい。生徒たちは「人間」と出会うことを心から欲しているのだ。
汐見稔幸
2013.04.01
クサボケとウグイス 木瓜と夏目漱石

2013.04.01 Monday
牧草地のクサボケがしばらく前から咲き始めています。昨年は4月12日にフィールド日記でクサボケが咲き始めたことを書いていますから、サクラと同じように、今年は花の咲くのが早いようです。ちなみにクサボケもサクラもバラ科に属しています。
フィールド日記 2012.04.18 クサボケ ズアカシダカスミカメ
漱石に「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」という句があり「才人群中只守拙(才人の群れの中にただ拙を守る)」という詩があります。器用に立ち回るより愚直に生きることをよしとした漱石の心をうかがわせる句であり詩です。大作家漱石もすばらしいですが、木瓜を愛し菫を好んだ漱石になぜか心ひかれるものを感じます。
画像をクリックすると3月28日に録画した動画が見られます。背後にウグイスの鳴き声がかすかに聞こえます。クサボケは12の県で絶滅危惧種か準絶滅危惧種に指定されています。
今日のことば
努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真のよいものである。
幸田露伴
2013.03.31
コナラの赤い新芽 ゴミに擬態するゴミグモ




2013.03.31 Saturday
「共生の森」に昨年高校1年生が植えたコナラの新芽が開き始めました。コナラの葉は開き始めた時には赤い色をしています。春の雑木林が全体に赤茶けて見えるのことがあるのはこのためです。早速ゴミグモがコナラの枝に巣を張っていました。ゴミに擬態しているゴミグモの姿が識別できるでしょうか。クモがいるということは、新芽を食べようとすでに虫が集まり始めているということです。
今日のことば
青春期の悩みにぶつかったおいの満男が質問した。
「人間は何のために生きてんのかなあ」
寅さんはこたえた。
「何て言うのかなあ、ほら『あー生まれてきて良かったなあ』って思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか」
「寅さんの伝言」(朝日新聞)より
2013.03.30
『じかきむしのぶん』 羽化したスイカズラハモグリバエ





2013.03.30 Saturday
福音館書店から出ている『じかきむしのぶん』はいわゆる「絵かき虫」(潜孔虫)を主人公にした珍しい絵本です。きわめてシンプルな作りの本でありながら、ハモグリバエの幼虫が糞をしつつ進んでいく様子なども丁寧に描かれていて、児童への「絵かき虫」入門としての役割を果たし得る貴重な絵本となっています。このような絵本が出版されているのは世界でもあまり例のないことではないでしょうか。不二聖心にもたくさんの「じかきむし」(字書き虫)がいますが、その中の一つ、スイカズラハモグリバエが羽化しました。スイカズラという植物がなければ絶対に生きていけない生物です。生態系は、このような目に見えにくい、たくさんのつながりによって成り立っています。
今日のことば
わが国は世界でももっとも優れた多くの図鑑を出版している国と言ってもいい状況にある。それは植物、キノコ、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚、昆虫、エビ・カニ、貝類その他多くの生物群や岩石鉱物にわたり、現代の写真術を駆使した素晴らしいカラー写真によって印刷されている。
ヨーロッパ、アジアなどの外国の書店を覗いてみると、蝶、鳥、大型の甲虫、ランなど大型で美麗 な動植物の図鑑は多く置いてあるが、わが国で出版されている一般の関心がそれほど高いとは思えないクモ、ダニ、蛾、土壌動物、蘚苔類、海藻などの図鑑はほとんど見当たらない。このことは、日本におけるナチュラルヒストリーの広範囲な発展の下地が整っていることを示しているような気がする。
青木淳一
2013.03.29
雑木林を歩くキジ

2013.03.29 Friday
今朝、裏の駐車場の近くでキジと出会いました。不二聖心のキジはだいぶ人に慣れていますので、すぐ逃げ出すようなことはありません。こちらの様子をうかがいながら静かに雑木林の中に消えていきました。その時の様子は動画で見ることができます。しばらくは「ケーン、ケーン」というキジの声が林の中から響いていました。高3の教室で授業をしていると時々この声が聞こえてきます。「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を生んだ昔話のキジはこの声が災いして猟師に撃たれますが、不二聖心は禁漁区ですのでいくら鳴いても撃たれる心配はありません。悠然と歩くキジの姿が校内のあちこちで見られます。
今日のことば
父母のしきりに恋し雉子の声
松尾芭蕉
2013.03.28
蕨
2013.03.28 Thursday
教頭の田中正延先生がお撮りになった写真を見て驚いてしまいました。野の一面にワラビが生えていたのです。春の命があふれる風景の写真に、しばし仕事を忘れて見入ってしまいました。今年はなぜか春の植物の育ちが例年よりも早いように思います。

今日のことば
まっ黒い ぞうきんで
顔はふけない
まっ白い ハンカチで
足はふけない
用途がちがうだけ
使命のとおとさに変わりがない
ハンカチよ 高ぶるな
ぞうきんよ ひがむな
河野進
2013.03.27
コブシの花と「辛夷の花」(堀辰雄)
2013.03.27 Wednesday
3月24日の産経新聞の「朝の詩」に次のような詩が載りました。
かたくりの花 藤田桂子
華やかな櫻の木の下で
ひっそりと咲く
うすむらさきの花
風にかすかにゆれる
つれあいは
櫻を見に行こうとは
決して言わない
かたくりを見に行こう
と言うのだ
めだたなくとも
その可憐な花を
愛でる人もいる
今の時期の不二聖心にも「めだたなくとも可憐な花」がたくさん咲いています。その中から今日はキャンプ場の辛夷の花を紹介しましょう。堀辰雄の随筆「辛夷の花」にも、目立たない辛夷の花を見つけるのに作者が苦労する場面が出てきます。


今日のことば
「春の奈良へいつて、馬酔木の花ざかりを見ようとおもつて、途中、木曾路をまはつてきたら、おもひがけず吹雪に遭ひました。……」
僕は木曾の宿屋で貰つた絵はがきにそんなことを書きながら、汽車の窓から猛烈に雪のふつてゐる木曾の谷々へたえず目をやつてゐた。
春のなかばだといふのに、これはまたひどい荒れやうだ。その寒いつたらない。おまけに、車内には僕たちの外には、一しよに木曾からのりこんだ、どこか湯治にでも出かけるところらしい、商人風の夫婦づれと、もうひとり厚ぼつたい冬外套をきた男の客がゐるつきり。――でも、上松を過ぎる頃から、急に雪のいきほひが衰へだし、どうかするとぱあつと薄日のやうなものが車内にもさしこんでくるやうになつた。どうせ、こんなばかばかしい寒さは此処いらだけと我慢してゐたが、みんな、その日ざしを慕ふやうに、向うがはの座席に変はつた。妻もとうとう読みさしの本だけもつてそちら側に移つていつた。僕だけ、まだときどき思ひ出したやうに雪が紛々と散つてゐる木曾の谷や川へたえず目をやりながら、こちらの窓ぎはに強情にがんばつてゐた。……(中略)
そんなふうで、三つ四つ小さな駅を過ぎる間、僕はあひかはらず一人だけ、木曾川に沿つた窓ぎはを離れずにゐたが、そのうちだんだんそんな雪もあるかないか位にしかちらつかなくなり出してきたのを、なんだか残り惜しさうに見やつてゐた。もう木曾路ともお別れだ。気まぐれな雪よ、旅びとの去つたあとも、もうすこし木曾の山々にふつてをれ。もうすこしの間でいい、旅びとがおまへの雪のふつてゐる姿をどこか平原の一角から振りかへつてしみじみと見入ることができるまで。――
そんな考へに自分がうつけたやうになつてゐるときだつた。ひよいとしたはずみで、僕は隣りの夫婦づれの低い話声を耳に挿さんだ。
「いま、向うの山に白い花がさいてゐたぞ。なんの花けえ?」
「あれは辛夷の花だで。」
僕はそれを聞くと、いそいで振りかへつて、身体をのり出すやうにしながら、そちらがはの山の端にその辛夷の白い花らしいものを見つけようとした。いまその夫婦たちの見た、それとおなじものでなくとも、そこいらの山には他にも辛夷の花さいた木が見られはすまいかとおもつたのである。だが、それまで一人でぼんやりと自分の窓にもたれてゐた僕が急にそんな風にきよときよととそこいらを見まはし出したので、隣りの夫婦のはうでも何事かといつたやうな顔つきで僕のはうを見はじめた。僕はどうもてれくさくなつて、それをしほに、ちやうど僕と筋向ひになつた座席であひかはらず熱心に本を読みつづけてゐる妻のはうへ立つてゆきながら、「せつかく旅に出てきたのに本ばかり読んでゐる奴もないもんだ。たまには山の景色でも見ろよ。……」さう言ひながら、向ひあひに腰かけて、そちらがはの窓のそとへぢつと目をそそぎ出した。
「だつて、わたしなぞは、旅先きででもなければ本もゆつくり読めないんですもの。」妻はいかにも不満さうな顔をして僕のはうを見た。
「ふん、さうかな」ほんたうを云ふと、僕はそんなことには何も苦情をいふつもりはなかつた。ただほんのちよつとだけでもいい、さういふ妻の注意を窓のそとに向けさせて、自分と一しよになつて、そこいらの山の端にまつしろな花を簇がらせてゐる辛夷の木を一二本見つけて、旅のあはれを味つてみたかつたのである。
そこで、僕はさういふ妻の返事には一向にとりあはずに、ただ、すこし声を低くして言つた。
「むかうの山に辛夷の花がさいてゐるとさ。ちよつと見たいものだね。」
「あら、あれをごらんにならなかつたの。」妻はいかにもうれしくつてしやうがないやうに僕の顔を見つめた。
「あんなにいくつも咲いてゐたのに。……」
「嘘をいへ。」こんどは僕がいかにも不平さうな顔をした。
「わたしなんぞは、いくら本を読んでゐたつて、いま、どんな景色で、どんな花がさいてゐるかぐらゐはちやんと知つてゐてよ。……」
「何、まぐれあたりに見えたのさ。僕はずつと木曾川の方ばかり見てゐたんだもの。川の方には……」
「ほら、あそこに一本。」妻が急に僕をさへぎつて山のはうを指した。
「どこに?」僕はしかし其処には、さう言はれてみて、やつと何か白つぽいものを、ちらりと認めたやうな気がしただけだつた。
「いまのが辛夷の花かなあ?」僕はうつけたやうに答へた。
「しやうのない方ねえ。」妻はなんだかすつかり得意さうだつた。「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」
が、もうその花さいた木々はなかなか見あたらないらしかつた。僕たちがさうやつて窓に顔を一しよにくつつけて眺めてゐると、目なかひの、まだ枯れ枯れとした、春あさい山を背景にして、まだ、どこからともなく雪のとばつちりのやうなものがちらちらと舞つてゐるのが見えてゐた。
僕はもう観念して、しばらくぢつと目をあはせてゐた。とうとうこの目で見られなかつた。雪国の春にまつさきに咲くといふその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくつきりと立つてゐる姿を、ただ、心のうちに浮べてみてゐた。そのまつしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のやうにぽたぽたと落ちてゐるにちがひなかつた。……
「辛夷の花」(堀辰雄)より
2013.03.26
ミジンコの幼生誕生 中学3年生の宗教の授業「最も小さい者」と出会う
2013.03.26 Tuesday
「不二聖心のフィールド日記」では、3月24日から、本館前の築山の池で採集したミジンコの卵の成長記録を紹介してきましたが、ついに3日目にして幼生が誕生しました。まもなく体外に出ると思われる幼生の目の色も昨日の赤から母親と同じ黒に変わっているのが画像を見るとわかります。母親の周りを幼生が泳いでいました。動画ではその様子も見ることができます。


今日のことば
中学3年生の宗教の授業で、「マタイによる福音書」の「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは。わたしにしてくれたことなのである。」という言葉を読み、世の中の「最も小さい者」と言える立場や境遇の人々について調べ発表するという授業をしました。その中からいくつかの発表を紹介します。

この写真は、ダッカの街角で撮られた、台車に住んでいる老婆の写真です。この老婆は高齢で膝が悪いため歩けません。そのため一日中、この台車の中で過ごしています。雨や太陽の光を防ぐためビニールシートがかぶせられています。時々、ストリートチルドレンに頼んで引っ張ってもらいながら移動をして生活しているそうです。ストリートチルドレンはこの老婆の手や足となって生活しているのです。写真を見る限り、この老婆は家もなく食べ物もなく、服も毎日同じものを着ていて、家族もいなくて寂しそうに見えます。しかし、老婆はストリートチルドレン達に生きていくすべを教えているのだそうです。自分が今まで生きてきた人生の中で役に立ったことをストリートチルドレン達に教えているのです。だから老婆は親がいないストリートチルドレン達にとって母親みたいな存在なのです。このような厳しい環境にありながら、老婆もストリートチルドレンもお互いに支え合いながら生活していて素敵だなと感じました。世界にはこのような貧しい環境で一日一日を必死に生きている人達がいることを忘れずに日々感謝をして生きていきたいと感じました。(R・U)

みなさんは、公園などで野宿生活をしている人々を見たことがありますか。きっと、ほとんどの人が見たことがあると思います。そうした人々はさまざまな理由で一定の場所に住めなくなり、解放会館などを住所として住民登録をしています。住所がないと、ハローワークなどで紹介される仕事は一切できず、保険のサービスや選挙権が奪われてしまうからです。しかし、2007年、大阪市が講演で野宿生活をしていた人々のテント村を強制撤去し、それに続いて他の3か所の解放会館などに登録がある2088人の住民票を抹消しました。この写真の男性はダンボールハウスが撤去され、愛犬とともにさまよい歩き、この撮影から1週間後に体調を崩して保護されたそうです。そもそも、大阪市は30年にわたって解放会館での住民登録を認めていました。2006年には、大阪地方裁判所で河川敷や公園のテントを住所として認めるとする判決を出しています。それなのに、その1年後、今度は大阪高等裁判所の判決で社会通念上住所と言えないと否定したのです。
みなさんは、突然、誰かの手によって自分の家を奪われたらどうしますか。私は納得できなくて裁判をおこすかもしれません。だけど、彼らはその抵抗すらできません。私たちには一人ひとり居住の権利があります。社会的立場の弱い人だけ、それを奪われていいわけがありません。
世界に目を向けて考えると、まだ良い方だと思う人もいるかもしれません。でも私は平和だと言われている日本の中にも、こういう人権侵害だと言える問題があることを知って驚いたし悲しくなりました。戦争がないことだけが平和なのでしょうか。私たちはこの現実を忘れずに、これから考えていかなければいけないと思います。(М・М)

アフリカのほぼ中央に位置する人口約600万人の小さな国、ブルンジ。この国では、以前からずっとフツ族とツチ族が対立していましたが、その争いがますます激しくなり、1993年の大統領暗殺をきっかけに、大量虐殺が行われました。そして、1999年までに約110万人もの人々が家を追われ、近隣諸国へ逃れました。国内に残った多くの人々は避難民となりました。
人が死ぬことが日常となるような生活の中で、病院や無料診療所で、「国境なき医師団」が援助活動をしています。周囲のジャングルなど、ゲリラが潜んでいるような危険な場所でも治療を行う彼らは、まさに「最も小さい者のために働く人」ではないかと思います。私だったらきっと、自分も死んでしまうかもしれないような所で、人を助けようとは思えないと思います。しかし、「国境なき医師団」の医師たちは、「国境なき医師団の支援を受けている病院なら、無料で治療を受けられる」と遠くから何時間もかけてやってくる人々を見捨てるわけにはいかないと、必死に苦しみを乗り越えています。
はしかやマラリアなどが発生してたちまち広がってゆき、1年に満たないうちに、人口の3分の1に匹敵する200万人が発症し、多くの人が命を落としたそうです。医療の環境も悪く銃声を身近に感じることも少なくないのに、助けを必要としている人々の元にかけつけられる人は、人のために生きている人だと思います。私は、ブルンジへ行き誰かの命を直接救うことはできませんが、募金などを通して「最も小さい者」のために何かできる人になりたいです。(T・Y)
「マタイによる福音書」25章より
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
2013.03.25
卵を持ったミジンコ② 水質をかぎわけるサカマキガイ




2013.03.25 Monday
1枚目の写真は昨日紹介した、卵を持ったミジンコの写真です。2枚目は今日の写真です。卵が形を変え、赤い点のような目もはっきり見えます。3枚目の写真は水道水を入れたケースの中のサカマキガイの様子です。築山の池で採集しました。水道水を嫌ってか、水上に出ているのがわかります。4枚目の写真はその1分後の写真です。サカマキガイが水の中に入っています。実はその間に水道水を池の水に変えました。サカマキガイは水質の変化を水上にいてもすぐに感知したのです。
今日のことば
日本についてこの地で私たちが経験によって知り得たことをお知らせします。この国の人々は今まで発見された民の中で最高であり、異教徒で日本人より優れている人々は見つけられないでしょう。
フランシスコ・ザビエル
