フィールド日記
2013.01.28
雪化粧したグラウンド ローラ・インガルス・ワイルダーとポポー
2013.01.28 Monday
昨夜、裾野市では雪が降り、グラウンドもうっすらと雪化粧しました。
『大草原の小さな家』で有名なローラ・インガルス・ワイルダーの『我が家への道』を読んでいたら、「どっさりなっている黒イチゴ、桃やプラムやサクランボの苗木、小さな木になった見るからに甘く熟れた、わたしの知らない果物など、とにかく野生の果物が、たわわに実っているのだ。」という一節がありました。そこには注がついていて、「わたしの知らない果実」とは「野生の柿とポポー(北米温帯地方産の果樹)」のことだと書いてありました。実は、なぜか不二聖心にはこのポポーが茶畑にあるのです。確かに夏に甘い実がなります。ローラも知らなかったポポーですから、私たちの多くにとっては全くなじみのない樹木です。今は葉も実もつけていませんが、枝ぶりや冬芽を見るだけで特徴的な樹木であることがわかります。
今日のことば
考えるというのは、つまり言葉で考えることなんだ、ということに自分で気がついたのも、その木の上の、本を読む小屋であったことを思い出します。林の木々の一本、一本がまっすぐ立っているのを眺めるのが好きで、人間も(自分も!)ああいうふうであったらいい、と思いました。その人間の生き方への思いのなかには「しなやかさ」が、そして大学に入ってから知ることになる、upstanding、まっすぐひとり立つという英語の感じが、ふくまれていたように感じます。
大江健三郎
2013.01.27
イスノフシアブラムシからツヤコバチ現れる 生物農薬と化学農薬
2013.01.27 Sunday
イスノフシアブラムシから寄生蜂が出てきました。ツヤコバチ科のハチで体調は2ミリ程度です。ツヤコバチ科には生物農薬として市販されているオンシツツヤコバチやシルベストリコバチなどがいます。生物農薬は化学農薬に比べて残留毒性が低いという利点があり、ツヤコバチの研究は生態系の維持のために重要な意味を持ちます。
今日のことば
ミツバチの大量失踪。謎の異常現象が2000年代後半から世界的に顕在化してきた。ウイルス、ダニ、環境変動など様々な要因が取り沙汰された。
そんな中、いまひとつの物質名が浮上しつつある。ネオニコチノイド。害虫には卓効、人間には無害。少量で効き目が持続するから減農薬になる。画期的な新農薬として日本では水田に大量散布されるようになった。著者はこれを、企業、政府、農協、あるいは食の問題に敏感なはずの生協でさえもが参加して作り上げた「もうひとつの安全神話」だと指摘する。
効果が持続するがゆえに中長期的な影響こそが問題なのだ。実験データはこう告げる。致死量以下でも、ネオニコチノイドを浴びたハチは神経を侵され巣に帰らなくなると。
自然は動的平衡の網目からなりたつ。ひずみは全体に伝播する。ゆっくり時間をかけて。これは想定外の事象でない。私たちは意識の警戒レベルを上げなければならない。
『新農薬ネオニコチノイドが日本を脅かす』の書評(福岡伸一)
2013.01.26
シダらしくないシダ マメヅタ
2013.01.26 Saturday
文一総合出版の『シダハンドブック』には「シダらしくないシダ」というページがあって、そこでマメヅタというシダが紹介されています。写真に写っているのが、そのマメヅタです。立っているのが胞子葉で地面を這うように広がっているのが栄養葉です。マメヅタは、地域によっては数を減らしつつあり、宮城県と新潟県で絶滅危惧Ⅱ類に、富山県と石川県と東京都で準絶滅危惧種に指定されています。裏道にマメヅタが生えている場所があるのはわかっていましたが、新しく聖心橋の手前にも群生地を見つけました。和歌山県では、このシダをサルノゼニ(猿の銭)と呼ぶそうですが、不二聖心の群生地も猿をよく見かける場所です。
今日のことば
胸中に物無きは虚にして実なるなり。万物皆備わるは実にして虚なるなり。
『言志後録』より
2013.01.25
マラソン大会 イワボタン
2013.01.25 Friday
今日はマラソン大会が行われました。コース終盤は裏道の坂道です。その厳しいコースを懸命に走っている生徒たちは実にいい表情をしていました。
生徒たちが走る裏道は、貴重な生物が数多く生息する道でもあります。下の写真はイワボタンです。裏道で最もよく見られる植物の一つです。佐賀県では絶滅危惧Ⅱ類に、鹿児島県では準絶滅危惧種に指定されています。イワボタンは湿地に生える植物ですが、裏道はいろいろなところで水が湧き出ていてイワボタンにとって適度な湿り気が土に含まれています。
今日のことば
昨日の新聞から35 平成17年4月18日(月)
曽野綾子の『二十一歳の父』を読む ―― ビタースウィートな青春 ――
4月10日の産経新聞に「ワンルームフォークの不思議」という記事が出ていました。次のような書き出しの記事です。
ドラマ「3年B組金八先生」挿入歌に使われ、問い合わせが殺到するなど話題を呼んだ「私をたどる物語」が、今月六日、シングルCDで発売された。作曲し、歌っているのはシンガー・ソングライター、熊木杏里(二三)。ドラマに主演する武田鉄矢が書いた歌詞に「曲をつけてみないか」と誘われ、武田が歌うことを前提に作ったら本人から「自分で歌ってごらん」と勧められた。
番組放映中から「問い合わせが殺到した」曲とはどのような曲なのだろうか。すぐに購入して聴いてみました。曲を伝えられないのは残念ですが、武田鉄矢の歌詞は次のようなものでした。
頬をぶたれた少年がひとり/日暮れの道で泣いている/父が憎いと声とがらせて/涙でゆがんだ空見てる
遠い未来が不安でならず/呼ばれて返事しなかった/だけどやっぱりきみが悪いよ/自分を隠しているからさ
さあ鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書くのです/白いノートの私にだけは/夢を話してゆくのです
君しか書けないその物語/私という名の物語
髪を切られた少女がひとり/鏡の前で泣いている/母が嫌いと声をつまらせ/自分を悔しくにらんでる
ちがう親から生まれていたら/ちがう自分になれたという/だけどやっぱり/きみはちがうよ/そしたらきみはいなくなる
さあ鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書くのです/白いノートの私とだけは/ずっと仲良くするのです
君しか書けないその物語/私という名の物語
なかなか味わい深い歌詞だと感じました。「自分探しの応援歌」とでも言える歌ではないかと思いました。自分を受け入れることをすすめ、自分らしく生きようとする人をあたたかく励ます歌だと僕は聴きました。
「さあ鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書くのです」という歌詞を何度も聴いていて一つ思い出した小説がありました。
曽野綾子の『二十一歳の父』(新潮文庫)という小説です。(書店では入手困難。不二聖心の図書館には二冊あります。)これもまた主人公の酒匂基次という青年が自分らしく生きようとする姿に対して作者が温かいまなざしを向けている小説でした。この本とは、常盤新平の『ペイパーバック・ライフ』という本の中で次のような文章を読んだことがきっかけで出会いました。
『二十一歳の父』を文庫で読みかえしてみた。文庫の第一刷は昭和四十九年で、私の手もとにあるのは昭和五十四年九月五日発行の第十六刷である。五年間で十六刷ということは、一年に三回の増刷であって、このビタースウィートな青春小説のために、慶賀すべきことだ。私も最も初期の愛読者の一人としてうれしい。
私はじつに涙もろいほうで、いっしょに酒を飲んでいて、相手に「君、泣いちゃいけない」などと言いながら、先に涙をこぼしてしまうほうである。しかも、そのあとで酒癖が悪くなるから、翌日はもう布団をかぶって、恥かしさに耐えている。
しかし、『二十一歳の父』を雑誌で読んでいたころは、まだ下戸だったのに、たとえば、恋人の巌間恭子が、大学を卒業できるかどうかわからない、ただし生活力のある越秋穂に言う、なにげない言葉に胸が熱くなった。「たいていの人が生きているじゃない」と彼女は言うのである。そしてーーはい、私も生きています、と心のなかで呟いたおぼえがある。あのころ、私はそれほど涙もろくなかった。
十数年ぶりに『二十一歳の父』を再読しても、昔の印象は少しも変らなかった。いい小説だなあ。このひとことに尽きる。そのことに満足して、クリーネクスで鼻をかんだ。
それにしても、この私も変っていないと思った。三十歳のときと同じように、小説のおんなじ箇所で目と鼻が妙にゆるんでくるなんて、ちょっと情ないじゃないかとも思った。でも、この年齢で変身するのは無理だ。
常盤新平をして「いい小説だなあ。」と言わしむる小説がどんな小説なのか、さっそく買って読んでみましたが、期待に違わずすばらしい小説でした。
主人公の酒匂基次(さかわもとつぐ)は、エリートの家庭に生まれながら親と同じ道を歩もうとはせずに親の期待を裏切る人物として登場します。例えば父親が基次の通う大学の教授に次のように話す場面があります。
「私共では長男のほうは、まあまあ出来がよろしいのです。東大を出て、日銀に入りました。しかし次男はさんざんです。お世話になっておきながらそういうのもひどいものですが、実は入学の時もやっと入れて頂いたような状態でした」
酒匂は意味深長なものの言いかたをした。それからふと彼は長男の結婚式の日の嫁の姿を思い出した。白無垢を着て神々しいような花嫁であり、色なおしになって客をおくり出す時には、いっぱしのもの馴れたホステスぶりを見せた女である。嫁はW銀行頭取の娘でカトリック系の女子大学を出ている。語学もお料理も刺繍もみっちりと仕込まれていた。式は帝国ホテルで行われ仲人は広報社社長であった。立派な息子は、いい嫁をつかまえることが出来るという見本のような結婚式である。
その宴に、次男の基次は、髪も髭もぼうぼうの姿で現われた。式の前々日床屋へ行けと命じると、それ位なら兄さんの結婚式には出ない、と言い出した。其次はどちらかというと無口で不器用な子であったが、大学の演劇部に籍をおいて、映画のエキストラに出るために髪と髭を伸ばしているのだった。
「金がいるなら、その分だけ父さんがやるから、エキストラはやめて床屋へ行け」
酒匂はそう言ったが、其次はうんと言わなかった。
「何という映画だ?」
しまいには酒匂は息子に尋ねた。それは「敗走千里」という戦争ものの映画であった。舞台はフィリピンのジャングルが主である。
「だけど僕の出るのは違うんだ。夕陽を受けた砂浜に、見渡す限り死体が散らばってる、その死体になりに行くんです。やせて、髪や髭がのびている学生を募集しているんです」
酒匂は呆気にとられた。きいてみると、エキストラばかりではあるが、其次は実に今までに八本の映画に出演しているというのである。死体役になることにどうしてそう執着するのか酒匂はとても理解出来なかった。しかし、父子はいくらか言い合った挙句、結局、酒匂は折れることにした。
其次は乞食のような頭に学生服を着こんで結婚式に列席した。酒匂は男であったのでいざとなれば次男の髪のことなど気にもかけていなかったが、其次の叔母にあたる酒匂の妹は気にして、会う限りの人に其次の言訳ばかりしていた。
基次は大学を出てもろくな就職もせず、ついには最も親を落胆させる行動に出ることになります。ここからあとは話の筋を明らかにするのはやめましょう。自分自身で物語を読みながら、「鉛筆しっかり握りしめ/私という字を書」こうとした基次にとって本当の幸せとは何であったのか、そして私たちにとって真の幸福とは何であるのか、じっくりと考えてみてください。
2013.01.24
1月のユズリハは特別です
2013.01.24 Thursday
縁起物のユズリハをあちこちでよく見かけた1月がまもなく終わろうとしています。不二聖心では聖心橋の手前でユズリハの木を見ることができます。1月が終わっても、親が子を健やかに育て家が代々続いていきますようにというユズリハに込められた思いを折々に思い出していきたいものです。
今日のことば
昨日の新聞から 87 平成19年1月22日(月)
『風と木の歌』(安房直子・偕成社文庫)を読む
―― さびしさは人の心を深くとらえ、落ちつかせるものなのだ ――
読売新聞の土曜日の夕刊に「名作ここが読みたい」という連載があります。各界の著名人が、思い出に残る名作を取りあげ、その中で最も印象に残る箇所を紹介します。
11月25五日(土)は、児童文学作家のあまんきみこが、安房直子の「だれも知らない時間」という作品を紹介していました。
まず、次のようなあらすじが載っています。
漁師の良太は、あと100年ほど命が残っているカメから毎晩1時間の時間をわけてもらい、夏祭りの太鼓の練習をしています。そこへ、昔やはりカメから時間をもらったという少女が来ました。少女はその時間を使って、海の上を走って島の病院に入院している母親に会いに行っていましたが、時間が切れて海の底へーーカメの夢の中へ落ちてしまったのでした。良太はカメに、少女を返してもらえないかと聞きました。
次にあまんきみこが最も心に残る箇所として挙げている部分の引用が続きます。
「でも、わたしも知らないんだ。いちど、夢の中にとじこめたものを、どうやってたすけだすのか。」
「ほ、ほんとかい。」
「ああ、わるいことしたね。」
良太は、目をまんまるくして、しばらくおそろしそうに、カメを見つめていましたが、やがて、にぎっていたこぶしをパラリとほどきました。それから、決心したように、こういったのです。
「そんならいっそおれも、おまえの夢の中にいれておくれ。百年間でられなくてもかまわない。あの子といっしょに、海の底でくらすよ。」
これをきくと、カメは、はじめて、ぱっちりと目をあけたのです。そして、良太をまっすぐに見つめると、しっかりした低い声で、こういいました。
「それはいけないね。元気なわかいものが、そんなことしちゃいけないね。」
「それじゃ、どうすればいいのさ。」
「やっぱり……わたしがなんとかしよう。」
「方法があるのかい。」
「ああ。たったひとつ。そう、夏まつりの晩までまっておくれ。」
「夏まつりまで?」
良太は、まつりまでの日にちをかぞえました。
「あと、ひい、ふう、みい、三日まつのかい。」
カメはうなずくと、ふとかなしそうな目をして、それから、ぽつりといいました。
「まつり晩はながいよ。」
それっきり、カメは首をひっこめて、良太がいくらよんでも、石のようにうごきませんでした。
(偕成社文庫『童話集 風と木の歌』207~208ページより)
そしてこのあとに、あまんきみこの文章が続くという構成になっています。続けて引用してみましょう。
安房直子さんが生きておられると、今、63歳。私は63歳の安房さんの作品を読みたい。50歳で永眠した安房さんが惜しまれてならない。天賦の才に恵まれた方だった。
「だれも知らない時間」は、初期の短編集『風と木の歌』に「きつねの窓」「鳥」「さんしょっ子」などとともにおさめられている。
このくだりは、老いたカメから毎晩1時間だけ時をゆずり受けた若者とそのカメの会話だ。だれも知らない不思議な時間に、太鼓のけいこを続けていた若者が、カメの夢に閉じこめられている少女を助けようとたのんでいる場面。「まつりの晩はながいよ」というカメの一言には深い意味がある。
実はこのあとも、あまんきみこの文章は続くのですが、これ以上引用すると話の結末がわかってしまうので、このあたりで引用をやめておきたいと思います。「まつり晩はながいよ」というカメの言葉にこめられた「深い意味」とは何なのか、実際に作品を読んで確かめてみてください。
この新聞の連載がきっかけで、僕は実に久しぶりに安房直子を読み直しました。十年以上、安房直子の作品は読んでいませんでしたが、今度読んでみて驚いたことは、二十代のときよりも作品がおもしろく感じられるということでした。『風と木の歌』に収められている短編はどれもすばらしく、最後に添えられた解説もまた読み応え充分でした。
解説を書いているのは蜂飼耳で、今まで読んだどの安房直子論よりも安房直子の作品の本質をよくとらえているように感じられました。一部、引用してみましょう。
安房直子の童話には特別な輝きがあります。それは、たとえばダイヤモンドのような、はではでしいきらめきではありません。むしろ、真珠やガーネットを思わせる、ひかえめだけれど、たしかな底光りを感じさせるような輝きです。
その童話のおもしろさは、おかしくて思わず声をたてて笑ってしまう、という性質のものではありません。そうではなく、ひたひたと心にせまってきて、本をとじたあとも、いつまでも体の底にずっしりと残りつづけるようなおもしろさなのです。(中略)
『風と木の歌』におさめられた八編の童話は、どれも体の底に響く深さをもっています。幸せ、悲しみ、じぶんの力ではどうにもできないものを受けいれること、信じること、うらぎること、うれしいこと、楽しいこと。生きていくことのすべてを抱きしめるようなこれらの童話にあるものは、なんだろうと、と考えます。いったい、なんだろう、と。それは、たぶん、勇気のようなものだと思います。じぶんの目の前でおきていることやじぶんがおかれている状況から目をそらさない勇気のようなもの。つらい、とか、いやだ、とか思うほんの少し手前で、目をそらさずに見つめる勇気のようなもの。大きな場面ではなく、むしろ小さな、見のがされてしまいがちな場面でこそ、見つめる力はしっかりとはたらくものなのかもしれません。
この童話集にはいっている作品のなかでわたしがもっとも好きなのは「きつねの窓」です。
この作品とであったのはたぶん、小学校の国語の教科書でのことだったと思います。国語の教科書などというと、なんだか、つまらないものの代名詞のようにきこえるかもしれません。学校も授業もたいして好きではない、おとなしい子どもだったわたしは、国語の時間も教科書のかたすみに落書きなどして、ぼんやりと空想にふけってばかりいました。
そんなある日のこと。国語の授業は「きつねの窓」へすすみました。読んで、びっくりしました。なんてさびしく、なんて美しい物語なんだろう、と胸をつかれた瞬間をそれから二十年たったいまもわすれません。
さびしいものより、明るく楽しいもののほうがいい、と受けとられがちな世の中かもしれませんが、そうとはかぎらないのです。さびしさは人の心を深くとらえ、落ちつかせるものなのだと知ったのは、もしかすると、この物語を読んだときだったかもしれません。(中略)
「さんしょっ子」「鳥」「だれも知らない時間」は、愛することの哀しみを描いています。愛する気もちというものは、ただ単にうちあければいいというものではありません。それは、ときにはじぶんの内側を破壊してしまうほど、深くからゆりおこされる感情の動きです。苦しくて避けたくなるような感情も作者は手にとって見つめています。その勇気が物語をいきいきと輝かせ、いつまでも体の底に残る響きをうみだしているのです。安房直子の童話は、作者がいなくなったいまも、ひっそりと静かに輝きつづけています。
幸いなことに不二聖心の図書館には『安房直子コレクション』(全6巻)がすべて入っていますので、安房直子の作品のほぼすべてを読むことができます。そして、このコレクションのうれしいところは、それぞれの巻末に安房直子のエッセイが少しずつ収められていることです。
これを機にエッセイをいくつか読み、安房直子さんという童話作家の人柄についても少し知ることができました。あるエッセイのなかで安房直子さんは、「私の作品は、どうか、なるべく、文学の教材として、あまり切りきざまずに、まるごと読まれてほしい」と言っています。ここからは、この願いを聞き入れて、あまり多くを語ることはやめ、僕の好きな「鳥」の最初のところをできるだけ長く引用して「昨日の新聞から87」を終わりたいと思います。
ある町に、耳のお医者さんがいました。
小さな診療所で、くる日も、くる日も、人の耳の中をのぞいていました。
とても、うでのよいお医者さんでしたから、待合室は、いつも満員でした。遠い村から、なん時間も列車にゆられてかよう人もありました。耳がきこえなくなりかけたのが、このお医者さんのおかげで、すっかりなおったという話は、かぞえきれません。
そんなふうで、毎日が、あんまりいそがしかったものですから、お医者さんは、このところ、すこし、つかれていました。
「わたしも、たまに、健康診断しなくちゃいけないな。」
夕方の診療室で、カルテの整理をしながら、お医者さんは、つぶやきました。いつも、看護婦役をしてくれるおくさんは、ついさっきでかけてしまい、いま、お医者さんは、たったひとりでした。夏の夕日が、その小さい白いへやを、あかあかとてらしていました。
と、ふいに、うしろのカーテンが、しゃらんとゆれて、かんだかい声がひびきました。
「せんせ、おおいそぎでおねがいします!」
耳のお医者さんは、くるりと、回転いすをまわしました。
カーテンのところに、少女がひとり立っていました。片方の耳をおさえて、髪をふりみだし、まるで、地のはてからでも走ってきたように、あらい息をしていました。
「どうしたの。いったい、どこからきたんだね。」
お医者さんは、あっけにとられてたずねました。
「海から。」
と、少女はこたえました。
「海から。ほう、バスにのって?」
「ううん、走って。走ってきての。」
「ほう。」
お医者さんは、ずりおちためがねをあげました。それから、
「まあ、かけなさい。」
と、目のまえのいすをしめしました。
少女は、まっさおな顔をしていました。その目は、大きく見ひらかれ、まるで、毒をのんでしまった子どものようでした。
「それで? どうしたの?」
2013.01.23
異常気象か狂い咲きか 1月にタマキクラゲ現れる
2013.01.23 Wednesday
春になると見られるキノコとして知られるタマキクラゲがすすき野原のクヌギの木に発生しました。昨年の3月19日に「不二聖心のフィールド日記」でタマキクラゲを紹介し、「いつの年も変わることのない不二聖心の春の風景です」と書きました。今年は何か気象に変化があったのか、それとも狂い咲きのような現象なのか、不思議です。
昨年の記事は以下のURLをクリックすると読むことができます。
フィールド日記 2012.03.19 タマキクラゲ
今日のことば
世界がいかにあるかではなく、そもそも世界があるということ自体が神秘的なことである。
ヴィトゲンシュタイン
2013.01.22
鳥がついばんだサネカズラの実 ニッケイハミャクイボフシ
2013.01.22 Tuesday
百人一首の「名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられで来るよしもがな」の歌で知られるサネカズラの実が裏道に落ちていました。近くにサネカズラの木は見あたりませんので、どこからか鳥が運んできたのかもしれません。鳥がついばんだようなあとも確認できます。
2枚目は、裏道に生えていたヤブニッケイの葉の写真です。葉上にニッケイハミャクイボフシという虫こぶを確認することができました。不二聖心初記録です。『日本原色中えい図鑑』にはニッケイハミャクイボフシについて次のような説明があります。
ニッケイトガリジラミによって、葉表に形成される小さないぼ状の虫えいで、ほとんどの場合葉脈に沿っている。普通、淡緑~黄緑色で、ときに紅葉色、表面は光沢がある。
この虫こぶは、1930年代から知られていた虫こぶで、宮沢賢治の作品の登場人物のモデルになった門前弘多博士もニッケイハミャクイボフシについて研究していたことがわかっています。
今日のことば
冬は庭木の根元を見ると、静かな気持ちを感じさせる。灰ばんだ土へしっかりと埋め込まれて森乎(しん)としながら、死んでいるような穏やかさを持っているからである。庭を愛する人々よ、枝や葉を見ないで根元が土から三四寸離れたところを見たまへ。そういう庭木の見かたもあることを心づいたら、わたくしの言うことはないのである。
室生犀星
2013.01.21
気生藻類のスミレモ
2013.01.21 Monday
今週は金曜日にマラソン大会が行われます。マラソン大会のコースになっている裏道の坂では気生藻類のスミレモを観察することができます。
スミレモは緑藻類に分類されますが、写真を見てわかるように実際の色はオレンジ色をしています。これはニンジンでよく知られるカロチノイド系の色素をためこむ性質がスミレモにあるからです。静岡県東部は、今夜は雪の予報が出ています。もし予報通りになったら、雪の白にスミレモのオレンジが鮮やかに映えることでしょう。
今日のことば
雪の日の紅茶の色を愛しけり
日野草城
2013.01.20
カンアオイ 不二聖心に流れる1万年という時間
2013.01.20 Sunday
全国各地で絶滅危惧種に指定されているカンアオイを不二聖心ではたくさん目にすることができます。カンアオイは地面に接するような位置に花をつけるため、生息域を1キロ拡大するのに1万年程度かかると言われます。その貴重な花は秋から冬にかけて開花します。
今年もカンアオイはしっかり開花しただろうかと気になり、裏道を少し歩いてみました。
葉は見つけても花をつけている株はなかなか見つかりませんでした。森の斜面でようやく花を見つけ、4年前に初めてこの花を目にした時の感動がよみがえってきました。今日の「今日のことば」では、その時に書いた文章を紹介します。
今日のことば
昨日の新聞から152 平成21年2月2日(月)
『植物入門』(前川文夫 八坂書房)を読む
―― 不二聖心に流れるもうひとつの時間 ――
先週の日曜日に学校で「昨日の新聞から151」の印刷をすませたあと、少しだけ裏道を歩いてみました。
食用にもなるキノコ、アラゲキクラゲやもともとは南方系の蛾であるヒロヘリアオイラガの繭など、今まで記録したことのない生物をいくつか写真に撮りながら歩いていき、裏道を降りきったあたりで、ある一枚の葉を目にして立ちどまりました。その一枚の葉を見た瞬間に、『ヒガンバナの博物誌』の著者として知られる栗田子郎氏のホームページに今年の1月13日に新たに加えられた文章のことを思い出したのです。それは次のような文章でした。
この季節、雑木林の道の辺は枯れ落ち葉に覆われ寒々としているが、所々でしっかりとした緑の葉群が弱い冬の日差しを受けている。カンアオイ、通称カントウカナイオである。だが、その花は積もった落ち葉に隠されて見えない。失礼して、枯葉の褥をはずして写真を撮らせていただいた。褥の中には温もりがこもっていた。
カンアオイの存在を知ったのは高校1年の課外活動で生物部に所属したころだと思う。ずいぶん地味な花だなと感じた程度だったのだろう、はっきりとした記憶はない。
しかし、理学部の生物学科に進学してからの講義でこの植物とその仲間がただ者でないことを知った。ことに、前川文夫さんのカンアオイ亜科の地理的分化と数千万年にわたる進化についての考察にはそのスケールの大きさに感激したものであった。
この文章を読んだ時に、自分も一度山野に自生するカンアオイをぜひ目にしてみたいと思いました。そして数千万年にわたる進化の歴史をその花を通して感じてみたいと思ったのです。不二聖心の裏道を歩いていて僕が思わず立ちどまったのは、栗田さんのホームページで見たカンアオイの葉とそっくりの葉が目の前にあったからです。しかし、それがカンアオイだという確信がすぐに得られたわけではありません。その葉がカンアオイであるためには、根を覆う枯葉の中に花が咲いていなければならないのです。高まる胸の鼓動を感じつつ、しゃがんでカンアオイの根の周りの枯葉を一枚ずつはがしていきました。
ありました。そこに、写真で見た花とよく似て、さらに美しいカンアオイの花が。感激した僕は急いで花の姿を写真に何枚も収めました。
実物を見ることの意味を感じるのはこういう時です。こうなると俄然、カンアオイに対する関心が高まっていきました。カンアオイについて知るためには先ず前川文夫さんの本を読むべきだと考え、最初に『植物入門』の中のカンアオイに言及した箇所に目を通しました。前川文夫さんは『植物入門』の中でカンアオイを次のように説明しています。
一株に一枚~二枚の常緑の葉は、冬の真最中にもよく目立ちます。柄はよごれた紫、ちぎると独特の匂い、一月から五月ごろまでの間に葉の根元につくこりこりした花、こわしてみると内側には網目があるなどが目じるしです。山の北斜面が好きです。
花がすんで実になっても形は変わらず、やがて花と柄とのつづき目が粒々にくずれてきます。注意してみると、その中に茶色の種子がまじっています。
種子のひろがり方は、風に乗るタンポポ、人にたかるイノコズチ、鳥にくわれるウメモドキなど、いろいろありますが、カンアオイはその点ではまったく能なしで、親の株の根元に落ちるだけです。
それも地面についた実から落ちるので、せいぜい親の株から一〇センチとは離れることができません。結局、親とせり合いとなるのですが、運よく少し離れて生えたものだけが一人前になります。しかも、毎年葉を一枚か二枚出すようなゆっくりしたもので、花を開くまでには早くて五年はかかるでしょう。親株から十センチ先を占有して子孫をつくるのに、ならして十年では足りないほどです。
というわけで、山の斜面を、横へ横へと子孫をふやして行くのには、この計算では一〇〇メートルですでに一万年となります。しかし自然では永い間には山が平らにもなるし、低いところが高くなることもあるので、今少し速くひろがるチャンスはあると思われますので、一万年の間には一キロは行けるだろうと推定したわけです。
この文章を読んで、1キロ分布を広げるのに1万年かかるという話に先ず驚きました。在来種の生息域にあっという間に侵入し占領してしまう外来種の話を頻繁に聞いている自分にとって、1キロ1万年という数字は思わずため息の出るような長い時間でした。
さらに興味深かったのは、前川さんが『植物入門』の中に載せているカントウカンアオイの分布図です。そこには三浦半島から房総半島にかけて帯のように広がるカントウカンアオイの分布域が示されていました。当然、海の部分は帯が切れています。この図からわかることは何か。海の部分を除けば一本の帯のように分布域はつながるわけですから、これはかつて三浦半島と房総半島が陸続きであったことを示しています。生物の分布の様相は時に地学の研究にも重要な示唆を与えてくれることがありますが、これもその一例だと思いました。
その後も前川文夫さんのいくつかの著書に目を通し、前川さんにとってカンアオイが特別な意味を持った植物であることを知りました。『植物入門』の中には「息抜きにハイキングに行かれたおりに、ちょっと気にして下さって、できればその場所をお知らせ頂ければ、新しい資料としてありがたいことです」という一節もあり、何かそれが泉下の前川さんからの励ましの声のように感じられて、気がつけばカンアオイについて考えているということが続きました。
そうして迎えた木曜日の夜のことです。今年に入ってから撮影した写真を整理していて、日曜日に発見したカンアオイとは全く異なる模様の、カンアオイらしい植物の葉の写真を見つけたのです。特徴的な葉をしていたのでとりあえず写真に収め、そのまま忘れていた一枚でした。撮った場所が牧草地の上の林道であることは覚えていますが、それ以外の記憶は全く残っていません。しかし改めて眺めてみると、それはどうみてもカンアオイの葉に見えるのです。林道は裏道からだいたい1キロぐらいの距離のところにあります。もしカンアオイであれば、不二聖心の敷地内で1万年の時間をかけて分布を広げていったということになります。
さらに、注目したのは葉の模様です。葉の形は裏道のカンアオイの葉とよく似ていましたが、模様が全く違っていたのです。模様が全く違うということは種も違うのかもしれない。ということは、不二聖心の敷地内で種分化が起こった可能性もある。分布を拡大するのに時間がかかる生物は種分化がおこりやすいというのはよく言われることなのですが、その可能性を思うとまたまた胸が高鳴るのを感じました。
この写真がカンアオイであるかどうかを確かめるためには、もう一度この植物を見つけ、根元の枯葉をよけて花が埋まっているかどうかを確認する必要があります。一刻も早くそれを確認したいと思いました。
確認に必要な時間は少なくとも20分。それだけあれば林道まで行って確認できるかもしれない。
金曜日の朝、この計画を実行に移しました。週末まで待つことはできませんでした。木曜日の時点で土曜日の予報は大雨、林道の環境が変わってしまう恐れがあったのです。
雨の朝でした。地面はぬかるみ、雨は容赦なく木々の間から落ちてきます。探し始めてすぐに、悪条件の中、記憶だけを頼りに一枚の葉を林の中から見つけ出すことはたいへん難しいことだと気付きました。どれだけ歩いてもカンアオイらしき葉は見付かりません。学校に行かなければならない時間も近づいてきます。とうとう僕はあきらめることにしました。むなしく林道から牧草地へと向かう帰り道、頭にひらめくものを感じました。前川文夫さんの文章の一節が頭の中によみがえってきたのです。「(カンアオイは)山の北斜面が好きです。」という『植物入門』の一節です。
幸い、中学3年生の国語の授業で「南大門」について話をする機会があり、不二聖心の地理の中でどちらが南を指しているかを方位磁針で確認したばかりでした。北はその反対を見ればいいわけです。もう一度、林道を戻り、北側に向いた斜面を探しました。
そしてついに見つけました。間違いなくあの写真に収めたのと同じ模様の葉です。雨に打たれながら根元を探りました。そこにカンアオイの小さな花を見つけた時の感動を忘れることはないでしょう。
ここではっきりしたことは、不二聖心の中には少なくとも2箇所のカンアオイの自生地があり、その間隔は1キロを超えている、そして二つの自生地の間には1万年の時間が流れているということです。このカンアオイが不二聖心の敷地の外に分布を拡大するにはさらに1万年程度の時間を要するだろうと思われます。
これ以上、地味にはなれないというぐらい、控え目な姿をしたカンアオイの花。しかしその花の一つ一つは1万年という時間を背負っています。聞くところによるとカンアオイは環境の変化に弱い植物だそうです。しかも他家受粉をしますから、花粉の媒介者がいなければ次の世代を残すことはできません。さらには、カンアオイの消滅は、種としての消滅だけでなく、カンアオイの葉を唯一の食草としているギフチョウ(「春の女神」と言われる美しい蝶です)の消滅にもつながっていくのです。
安堵感を抱いて林道を歩きつつ、このような貴重な生物を大切に守っていきたいと強く思いました。
2013.01.19
シナモンの香りのヤブニッケイとクスクダアザミウマの関係
2013.01.19 Saturday
キャンプ場のヤブニッケイ(クスノキ科)の葉からクスクダアザミウマを採集しました。体長は約2ミリです。クスクダアザミウマはクスノキ科の樹木に発生して木を枯らしてしまうことがあります。ただし、クスクダアザミウマ自身は植物の汁を吸うだけで、樹木に決定的な打撃を与えるわけではありません。クスクダアザミウマが傷をつけることで、もともと樹木の中に存在した炭疽病菌の活動が活発になり炭疽病が木を枯らしてしまうのです。しかし写真からもわかるように不二聖心のヤブニッケイの葉の色は生き生きとしています。これはキャンプ場の土が良いために樹勢に力強さがあり、多少の病原菌はものともしないからだと考えられます。
今日のことば
緑を増やして、緑のそばで仕事をしたり、ものを考えたりすることは、人間の心を非常にやわらかくすることだという思想が近年われわれにも根づいてきたと思います。ですから、人類の未来に希望のない発言が最近しばしばありますけれども、地球の緑さえ守ってゆけばわれわれにも未来がある、子孫たちはなんとか生きられるだろうということが、近ごろしきりに思われてならないのです。緑は、すべての基礎です。
司馬遼太郎