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フィールド日記

2014.02.04

スミレモ

スミレモが壁面を覆っている場所が裏道にありますが、その面積が益々増えてきたように感じます。スミレモは空気がきれいなところにしか発生しないと言われます。先日のマラソン大会では、そのきれいな空気を吸いながら全校生徒が裏道を駆け上がっていきました。


今日のことば

人々はあれこれ明日を思えども不具者のわれは神にゆだねん
限りなき主の御恵みをさししめす窓からのぞく柿の若葉よ
                           水野源三

2014.02.01

ラッパスイセン


お茶畑の横の坂道の脇にラッパスイセンが咲き始めました。昨日はマラソン大会があり、この水仙の道を生徒たちが元気よく駆け抜けました。来週は中学校のスピーチコンテストがあります。全体の暗唱の部で中学3年生がワーズワースの水仙の詩を声高らかに暗唱してくれるはずです。


今日のことば

科学者になるには自然を恋人としなければならない。自然はやはり恋人にのみ真心を打ち明けるものである。                                  寺田寅彦

2014.01.30

続マラソンコースの石仏  カルガモの家族

マラソンコースに道祖神を見つけたという生徒からの報告を受けて確認したところ、それは馬頭観音であったという話を前回書きました。この事実を生徒にも伝えたら、生徒から確かに道祖神もあったという話を聞きました。再び確認したら、確かに道祖神がありました。すぐ近くに道祖神という文字が彫られた石があったのです。その道祖神には馬の姿が描かれた瓦が立てかけられてありました。この馬と馬頭観音は何か関係があるのかもしれません。


今日も朝焼けのきれいな朝でした。写真は牧草地からの眺めです。


この冬はカルガモの夫婦が見られないことをずっと気にしていましたが、ようやく今日、カルガモの家族に出会うことができました。


今日のことば

神は夜の静けさと沈黙の中でお働きになります。     聖マグダレナ・ソフィア

2014.01.28

マラソン大会のコースの石仏  カヤノキ

昨日、中3の生徒がマラソンの練習をしている時に道祖神を見つけましたと言ってきました。「おくのほそ道」の冒頭を学習した時の道祖神の話を記憶していて、報告に来てくれたのです。早速、早朝にコースに確かめに行きました。


残念ながら石仏は道祖神ではなく罵頭観音でしたが、芭蕉が馬頭観音も含めて道祖神と表現した可能性はゼロではないのではないかと思ったりしました。
馬頭観音の近くには地蔵をたくさん集めた小屋もありました。


コースの途中にある熊野神社のカヤノキは富士山麓でもまれにみる大木です。不二聖心のマラソンコースは歴史の香り漂う素敵なコースだと感じました。



今日のことば

希望と歴史は姉妹です。一方は前を向き、他方は後ろを向いて、二人してこの世界を、人が自由に活動できるような広々とした空間にするのです。

                                 レベッカ・ソルニット

2014.01.25

聖心橋から見えるイイギリの実

聖心橋からイイギリ(キリナンテン)の実を眺めるのが、朝の楽しみになっています。1枚目の写真は御殿場方面にカメラを向けて撮りました。

2枚目の写真は沼津方面を向いて撮りました。


不二聖心にたくさん生息しているヒヨドリがイイギリの実を好んで食べます。木の実の多くは鳥に食べられることで発芽率を高めます。2枚の写真に写っているイイギリの木の一生は、ヒヨドリに食べられた一粒の実からスタートしたのかもしれません。

今日のことば

Happiness consists not in having much, but in being content with little.

2014.01.24

山茶花と幸田文

「共生の森」の近くの山茶花がたくさんの花をつけています。


山茶花を見ると思い出されるのは、幸田文の「山茶花」という随筆です。冬の季節の不安な思いを述べたあとで幸田文は次のように書きます。

 でも、さういふ季節的なへんな不安感を救ってくれるものがないぢやありません。山茶花です。みんな身のまはりの色が消えて行くとき、この花はわづかに堪へて白く、うす紅く、一重に八重に咲きます。椿のやうに太い高い木にはなりません。骨細に立つ幹です。葉もお茶の葉くらゐのこまかい紫で、花頸のない花が葉の裏に密着したようになって咲きます。大きな堂々とした花ではなく、少しちぢれ気味の花びらです。しんは黄いろい蕊がたくさんあって、いかにも鄙びてすつきりはしません。しかし、この花びらは肉厚の花びらですから、一見鄙びた花ではあるけれど、よく見るとその色は見ざめのしない染めあがりを見せてゐます。(中略)種類によってはかなり野暮くさい色をしてゐますが、それとて一枝を手に取つて近く眺めればよくわかります。肉厚の花弁ですから、野暮は野暮なりに決して薄つぺらではありません。いぢらしいほど正直に染まった花弁なのです。もともと高価なものではありません。ときによれば垣根に仕立てられてゐるところさへあるくらゐなものです。木ぶりも花も椿にはぐつと劣りますけれど。これが淡い匂いを吐いて気どりもなく、ほそ枝に群がって咲いてゐるのを見ると、ものがみな色を失つてしまふ冬の入口の不安な気分が、ほつと助かる思ひがします。

 このあと幸田文は、山茶花はぺちゃぺちゃおしゃべりをしない木だと続けます。物静かな人に独特の魅力があるように、物静かな花にも他に代えがたい味わいがあるようです。

今日のことば

ああ智慧(ちゑ)は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前に来て
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」
                         三好達治

2014.01.21

昇る朝日  ニイニイゼミの抜け殻

今朝は昨日までと比べて若干気温が高く、昇る太陽が実に美しい朝でした。


教頭の田中正延先生が、ニイニイゼミの抜け殻がキンモクセイの木についているのを見つけてくださいました。秋に何度も台風が来たにもかかわらず、落ちることのなかった抜け殻です。蝉の種類で抜け殻もさまざまですが、ニイニイゼミは泥にまみれているので、よくわかります。まもなく中学3年生は授業で「おくのほそ道」の「閑かさや岩にしみいる蝉の声」の句を学習する予定ですが、あの蝉もニイニイゼミだと言われています。


今日のことば
岩に爪たてて空蝉泥まみれ   西東三鬼

2014.01.15

堆積する落ち葉とイボトビムシ

 落葉の時期は樹木によってさまざまですが、さすがに今の時期になると、落葉樹の葉はほとんどすべて落ちつくしてしまいます。落ち葉の降り積もった場所は不思議な静けさをもっていますが、実はその下には多数の生き物が生活しています。

 下の画像の生物は校舎の裏道の脇に堆積する落ち葉の下から採集したイボトビムシ科のトビムシです。属はLobellaかVitronuraではないかと思われます。


 トビムシは跳躍器を持つために「跳び虫」と名付けられていますが、イボトビムシ科のトビムシには跳躍器がありません。トビムシは食物連鎖の底辺を支える重要な生き物です。跳躍器を持たず逃げるのが下手なイボトビムシは、とりわけ多くの生物の命の糧となっている可能性が高いと言えます。

今日のことば

メキシコ産のつゆくさの学名も読みて行く学名は学のよろこびのごと     高安国世

2014.01.12

マリアガーデンの蠟梅(ロウバイ)

マリアガーデンの蠟梅がたくさんの蕾をつけています。


蕾の一つが花開きました。


 冬の自然に貴重な彩りを添える蠟梅は多くの人に愛されている木です。文筆家の杉本秀太郎が亡友、大槻鉄男について書いた随筆には次のような一節があります。

 展墓ののち、高野川の堤を少し引き返して亡友の家を訪ねる。生前に愛していた蠟梅が、折しも窓辺に咲いている。七年のうちに、めっきり背が伸びて、かさ高くなり、夏などは見るも暑苦しく枝葉をしげらせているが、いまは寒々とした裸木に咲きだした胡蝶のような黄花だけが目にいちじるしい。
 大槻は不慮の死によってわれわれを狼狽させた。この日を蠟梅忌と呼びならわしている仲間たちが、一月十四日の日暮れとともに、蠟梅の見える亡友の居間に寄りつどうのである。


 
 今日のことば

 古い家のない町は、思い出のない人間と同じである。    ドイツのことわざ
 
 



2014.01.09

虹とメタセコイア

今日はクラブの時間にこれまでに見たことがないような美しい虹を見ることができました。

本館前からの眺めもすばらしかったですが、寄宿舎の裏のメタセコイアにかかる虹もとても美しかったです。メタセコイアを久しぶりに眺めて「冬のソナタ」を思い出し、生徒たちにそのことを伝えたら、私たちは「冬のソナタ」を知らないんですと言われ驚きました。


 今日のことば

 雨があがって
 雲間から
 乾麺みたいに真直な
 陽射しがたくさん地上に刺さり
 行手に榛名山が見えたころ
 山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
 眼下にひろがる田圃の上に
 虹がそっと足を下ろしたのを!
 野面にすらりと足を置いて
 虹のアーチが軽やかに
 すっくと空に立ったのを!
 その虹の足の底に
 小さな村といくつかの家が
 すっぽり抱かれて染めていたのだ。
 それなのに
 家から飛び出して虹の足をさわろうとする人影は見えない。
 ――おーい、君の家が虹の中にあるぞオ
 乗客たちは頬を火照らせ
 野面に立った虹の足に見とれた。
 多分、あれはバスの中の僕らには見えて
 村の人々には見えないのだ。
 そんなこともあるのだろう
 他人には見えて
 自分には見えない幸福の中で
 格別驚きもせず
 幸福に生きていることが――。

        「虹の足」(吉野弘)より