校長室から
2013.11.07
2013年11月7日
アメリカの絵本作家バーバラ・クーニーの「ルピナスさん」(掛川恭子訳 1987年ほるぷ出版)という本をご存知でしょうか?
「世の中を、もっとうつくしくするために、なにかしてもらいたいのだよ」
少女時代、祖父にこのように言われた主人公は、なにをすればいいのかわからないながらも、それを祖父に約束します。答えが見つからないまま年老いた主人公は、ある冬、背中の痛みを感じて床にふせる中、村中に大好きなルピナスの種を蒔くことを思いつきます。村の人々は初め彼女の行為を全く理解しませんでしたが、彼女は夢中で種を蒔き続けていきます。不思議なことに、その働きの中で背中の痛みも消えていきます。そして、次の年の春、村中が青や紫、ピンクのルピナスでうつくしくうめつくされるのです。ようやく祖父との約束を果たした彼女は、今度はこどもたちに、おじいさんと同じ言葉を伝えていく、というお話です。
週末、出張先で以前読んでこの本に偶然出会い、今週、職員室の窓の下に出現した花壇を思い出しました。よく見ると花壇の端は古くから半円形に置かれていたらしい石で囲まれています。実はこれは、第5代校長のシスター木村が大事に作っていらした花壇なのだそうです。それを思い出した修道院の一人のシスターが、土に埋もれていた石をきれいにし、秋のつどいの準備で忙しい生徒や先生方が少しでもほっとするようにと、黙ってビオラの花を植え、花壇を再生してくださったのです。もちろん秋のつどいでいらっしゃる皆様のことも考え、11月3日に間に合わせてくださいました。
不二聖心の生徒たちもまた、「世の中を、もっとうつくしいものにするために、なにかしなくては」という思いを大切に育てています。
(大阪にて)
2013.10.29
秋のつどい開催にあたってのごあいさつ(10月29日)
広大なキャンパスを彩る大自然が秋色に染まる中、今年も不二聖心を愛する多くの皆様をお迎えして「秋のつどい」を開催できることを心から感謝いたします。
今年のテーマ“Neverland”は、元々はスコットランドの作家ジェームス・マシュー・バリー卿(1860年5月9日 - 1937年6月19日)の作品『ピーターパン』に登場する国で、永遠に年をとらない子どもたちが妖精とともに暮らしています。一見こども向きに書かれた作品でありながら、含蓄に富んでおり、100年以上たった今でも、文化や年代を超えて、多くの人々に愛され続けています。人は、生き生きとしたNeverlandを通って、自立への歩みを始めるのかもしれません。その秘訣は、バリー卿の次のような逆説的なことばにも隠されているのではないでしょうか。
幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、
自分がやるべきことを好きになることだ。
ご覧いただく数々の作品や発表、そして秋のつどい全体を皆で作り上げるプロセス全体を通して、生徒たちもこのような思いにふれ、共有し、そしてまた一段、大人へのステップを上ったように思います。
不二聖心女子学院は今年、初代院長マザー エリザベス・ダフのスピリットに立ち返り、「知性を磨く~若さを価値あるものとせよ~」を学校目標として教育活動を行っております。今日の出会いを通して、世界の未来を担う生徒たちの若さの輝きを感じとって頂けたら幸いです。
(秋のつどいパンフレットより)
2013.10.17
寄宿舎後期任命式(2013年10月17日)
明日は、卒業生で女優の藤万利子さんが学校を訪問され、テレビの撮影があります。藤さんも寄宿生でしたが、ある時、雑誌の対談で、「寄宿生活で逃げ出そうと思ったことはないのですか?」という質問に、次のように答えられていました。
いつもなら家に帰れる日曜日に、ハンデイのある子どもたちを招いてパーティをして遊ぶ、という活動がありました。その中心になる係は回り持ちなんですが、私が係りにあたったそのイベントがある日は私の誕生日でした。私はどうしても家に帰りたくて、たまたま代わってくれるというお友達がいたものですから、土曜日はぎりぎり遅くまで残って準備して、それから家に帰ったんです。そうしたら、父にそのことが分かってしまって。父は「なぜ帰ってきたのか。誕生日にそういう人たちと過ごせるなんて、こんな幸せなことはないじゃないか」と私を叱りました。(中略)
そのときはまるで父が神様のように見えました。それで日曜の朝、あわてて学校に戻って、その子たちと過ごして本当によかったと思いました。
(“A Seed of Mission School”「くるたのしさ」から学ぶことより)
不二聖心では、「聖堂」で任命式を行います。ここに深い意味があるように私は思います。夏休み明けの講話の中で、”Senper Fidelis”(いつも忠実に)ということを話しました。どうぞ、今日引き受けた委員としての役割に忠実であってください。ただし、決められた仕事を忠実にこなすことを超えて、神様の前での忠実さをもって果たしていくようでありましょう。
2013.10.15
2013年10月15日
ドゥシェーン会(同窓会)静岡支部の方をお迎えする12日の早朝、牧草地に続く道を歩きました。卒業生が例外なく歩いたこの道は、富士山に向かっています。道の先には牧草地があり、それを過ぎると2つ目の牧草地があり、その先には深い森が続きます。「どこまでが学校の敷地ですか?」と尋ねられることが度々あります。
「不二聖心の道のはて」―-、ことばで説明しても、なかなかリアルにキャッチして頂くのは難しいようです。実際に自分の足で歩いてみないとわからないことがたくさんあります。この道も、私たちの明日へと続く道も・・・。
“本当の物語は、みんなそれぞれにはてしない物語なんだよ”(M. エンデ)
「不二聖心」という『はてしない物語』を、今日も生徒たちが紡いでいきます。
2013.10.08
音楽朝礼(2013年10月8日)
10月8日、ソフィア・スクエアで中学生の音楽朝礼が行われました。音楽家の中村先生の指揮の下、生徒伴奏の「校歌」、中学校主任の平山先生伴奏による「一致の歌」で、みんなの心が一つになりました。不二聖心女子学院は、神様の愛で結ばれたひとつの家庭です!
2013.09.09
第8回 中高別朝礼の話(2013年9月9日)
今週は「祈りの会」が行われます。英語では“retreat”と訳してかまわないと思います。”retreat”とは、一般的には「退却」「後退」「ひきこもる」等、一見ネガティブなイメージで訳されるのですが、宗教的には、「自ら進んで引きこもる」というようにポジティブな意味で使われます。イエスも、「12弟子」を選ぶ時、「最後の晩餐」の後等、大切なことの前後には、必ず神と共に退き、祈りました。キリスト教の初期には、砂漠や断崖絶壁の孤島で引きこもった求道者もいます。仏教や神道で、一人山に入ったり、滝に打たれたりする修行も同じようなことでしょう。皆さんの祈りの会は一人で引きこもるわけではなく、グループでの分かち合いなどもありますが、沈黙のうちに一人になる時間も必ず用意されています。その時間を大切にして過ごしてください。
祈りの会に向けて、一つの詩を贈ります。
心
ロマ−ノ・ガルディーニ
心を静めようとするとかえって騒いでしまう。
ちょうど夜眠ろうとするとき、
心配事や望みが日中にはないような激しさで
襲いかかってくるようなものだ。
・・・最初は自分の内面がどれほど統合されていないか
気づくだけに終わるかもしれないが、
それも無駄な経験ではない。
とにかく自分という存在の中心にふれたことは確かなのだから。
この夏は、皆さんからのお手紙や体験学習の感想、寄宿生全員の前期の振り返り等を読むチャンスに恵まれました。自分を成長させたい、という思いが伝わってきました。そして、成長し続けている人はいつも自分を一新させている、とも感じました。一日が新たにやってくるのと同じように。たとえ小さなことであっても。
「一新」とは、新しい情報や刺激を取り入れるような外からの働きかけだけでは起こり得ません。内側から変えられていく動きが必要です。そのためには、「自分という存在の中心」にふれる必要がある・・・、これが、この夏、あなたたちが書いてくださったものから、私が学んだことの一つです。
祈りの会の中で、「自分という存在の中心」にふれられるよう、祈っています。
2013.07.08
第7回 中高別朝礼の話(2013年7月4日、8日)
おはようございます。皆さんは、不二聖心が、フランスから始まった聖心会の流れと、この地に元々あった温情舎の流れが一つになって生まれた学校であるのをご存知のことと思います。昨日は、学校で、温情の灯会の集まりがありました。これは主に温情舎にかかわる方々の集まりです。温情舎の校訓の第一は「人の役に立たねばならない」というものですが、これはまさに「社会に貢献する賢明な女性」という不二聖心の目標と調和します。外的に見れば、二つの流れが一つになった理由は温情舎を設立した岩下家から岩下亀代子という聖心会に入会した方が出たから、といえるのでしょう。でも、神様の計らいにより二つの流れは出会うべくして出会った………、私にはそのように思えます。
ところで、先週、ある企業の方とお話する機会がありました。就職試験に話題が及んだ時、「ペーパーテストと面接では、その人物が適当かどうか判断するのは難しい」、とおっしゃっていました。そこでどうするかというと、イベントに出し、一日、様子を見るのだそうです。ずっとぼうっと立っている人、皆と協力しながら、ものを動かしていく人等、様々だそうです。その結果は、必ずしもペーパーテストの結果と同じではない、ともおっしゃっていました。
伺っていて、改めて、「人間の全領域にかかわる教育」、ということを大事にしていきたいと思いました。皆さんが、どれだけ気がついているかわかりませんが、不二聖心の中には、それを体験する仕組みがたくさん用意されています。一都十県という異なる文化背景をもつ仲間たちと生活している中で、どれだけのかかわり力が育まれていくでしょう。少人数教育の中で、一人ひとりが役割を担い、物事を動かしていく体験ができること。先週の聖心の祝日での奉仕活動で味わった喜びは、体育大会やクリスマスキャロルで味わう喜びとはとは違いますから、どうして今こんなことをしなければならないのだろう?と思った瞬間もあったかもしれません。でも、すぐには結果が見えないような事柄に取り組むことは、実はとても大切なのです。今はわからなくても、卒業後、やあなたたちを支えくれていることに気づくでしょう。
不二聖心の生徒は、常に「魂」(内的な力)「知性」「実行力」――、このリズムを自らのの中にバランスよく育てていきましょう。
2013.06.24
第6回 中高別朝礼の話(2013年6月24日、25日)
おはようございます。先週、お手紙と共に、動物を折った折り紙が修道院に届きました。これは今月初めに亡くなられた裾野の安全タクシーの社長さんが折られたものです。不二聖心と地域とのつながりを語るストーリーの一つなのですが、「安全タクシー」と名付けたのはシスターグテレスという方です。彼女はポルトガル人で、1952年の不二聖心創立時からここにいらっしゃいました。白地に赤のラインという車体の色も決められたそうです。タクシーの上に会社のマークがのっていますね。真ん中に「安全」と書かれた両端には、「く」の字を斜めにしたような線が3本あります。これは、何だと思いますか?「天使の羽」のをイメージしたものなのだそうです。きっと「天使に守られて、安全に運転ができるように」というシスターの願いが込められていたのでしょう。
不二聖心はロケーションから考えても、様々な移動手段が必要です。家族に送ってくださっている方、スクールバス、電車、そしてタクシーなど、多くの方の力で私たちは運ばれて今日もここに集まりました。後ろの先生方は、「いや、自分で運転してきた」と思っていらっしゃるかもしれません。
でも、本当にそれだけでしょうか?私たちもまた、見えない天使の羽に守られているのだと思います。それはご家族の思いであったり、先生方の思い出あったり、安全運転を心掛けているドライバーの方の思いであったり、何より天使を遣わしてくださっている神様の力に守られているのだと思います。見えるものの背後にある、見えないものを感じ取っていきましょう。
皆さんの中に、「家族だから送ってくれて当然」とか、「お金を払っているんだから運転してくれて当然」というような思いに留まっている方はいらっしゃらないと思います。ただ世の中には案外そのような合理的な考え方が強いのです。お互いに「当然」を主張し出したら大変なことになります。「それはしてくれて当然でしょう」の連鎖ではなく、「してくださってありがとう」という連鎖を一人ひとりが広げていく学院であり続けましょう。
2013.06.18
第5回 中高別朝礼の話(2013年6月17日、18日)
おはようございます。お久しぶりですね。先週一週間、茨城県のつくば市にある研修センターで勉強してきました。参加者は全員校長先生方だったのですが、隙間のない授業、そして宿題に追われる毎日で、「生徒の気持ちがよくわかりますね」と口々に言っていました。今も事後のレポート作成に追われていていますが、新しいことを学ぶと、自分が自由になるものだとつくづく感じています。中間テストを終えて、皆さんも同じように感じている人がいらっしゃるのではないでしょうか?先月、創立者の祝日の記念にお配りした御絵の中に書かれていた「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネによる福音書8章32節)というみことばを今一度思い起してみましょう。
さて、一昨日は聖心女子大学で、姉妹校や同窓会が集まって、「東日本大震災復興支援チャリティ・デー」が開かれました。この中で参加された方はありますか?手を挙げてください。私は地区会が行けなかったのですが、同窓会会長様が、メールで当日の様子を送ってくださいました。参加者の溌剌とした表情を見て、Face Bookでもないのに、思わず「いいね」を押したくなりました。このチャリティ・デーのスローガンは、「東北を忘れない、これからもずっと」というものでした。今夏、SOFISは不二聖心が主催校で、姉妹校の方々と共に被災地を訪れることを計画しています。学校全体でこの「忘れない」という思いを共有し、温情の会の活動等を通して被災地との継続的なかかわりを続けていきましょう。
このスローガンを目にした時、私は3・11の時に、宮城県仙台市で被災した友人が送ってくれた手紙に引用されたことばを思い出しました。
本当に美しいのは
静かな持続する意志に支えられた
力まず、目立たず、おのれを頼まず
速効を求めず、粘り強く、無私な行為
(『木を受けた人』あとがきより)
入り口の黒板にはっておきますから目を通してください。
勉強や仕事、創作や課題解決など、多くの場面で示唆を与えてくれることばだと思います。皆さんが、「静かな持続する意志に支えられ」て行為し続けたいものは何ですか?それは「無私だから」こそ「静かに持続する」といえるのではないでしょうか?
このような意志をもって生活できたら、人は、たとえ大変な中にあっても幸福なのではないかと思います。「静かな持続する意志に支えられた無私な行為」を通して辿りつきたいもの、またその態度を大切にしていきましょう。
2013.05.21
第4回 中高別朝礼の話(2013年5月20日、21日)
おはようございます。今週末は、体育大会ですね。高3の方々を中心に、準備も最終段階に入っていらっしゃることでしょう。先週末、東京の大学のキャンパスで、多くの卒業生の方々と偶然出会いました。何人もの方々が、「体育大会に行きます」とおっしゃっていました。卒業しても変わることのない母校への思いを感じ、とてもうれしく思いました。
さて、先週、ホームページに「ルーツへの旅」というコーナーができました。皆さんや卒業生の方々をはじめ、学院を愛する方々が、「不二聖心女子学院のルーツをたどる旅」に出かける時の参考にして頂けるように、と担当の先生が始めてくださったものです。少しずつ内容を更新していってくださる予定ですので、参考にしてください。
たとえば、元パリの聖心女子学院は、今はロダン美術館になっていて「考える人」の彫像などを見ることができます。パリの中心にあり、観光名所の一つですから、一般的なガイドブックにも行き方や説明は必ずのっています。ただし、世界中から訪れる聖心の関係者の主目的は、マグダレナ・ソフィア・バラがいらした頃の学院の様子に思いをはせることですから、ここを訪れる時は、『聖マグダレナ・ソフィアの生涯』(三好切子著 毎日新聞社 1978年)の105~119ページの「パリのビロン邸」を読むとよいでしょう。世界史の好きな方は、フランス革命に関連する人物との関係を考えながら読むと面白いかもしれません。いつか訪れる時に備えて、少しずつ知識を蓄えていくことをお勧めします。
実に、「学院のルーツへの旅」をたどることは、「私たちが、今こうしてここに共にいること」と深くかかわっています。
- もし、1952年に聖心温情舎(不二聖心の前身)が創立されなかったら、私たちは、今日こうして出あうことはありませんでした。
-もし、1908年に聖心会が日本に来日しなかったら、不二聖心は創立されなかったかもしれません。
- もし、1800年にマグダレナ・ソフィアが聖心会を創立されなかったら、聖心会の来日はありませんでした。
- もし、マグダレナ・ソフィアという方がこの世にいらっしゃらなかったら、聖心会は創立されなかったでしょう。
学院のルーツや歴史は、私たち自身とつながっているのです。その中で育まれてきた価値観や伝統、そしてスピリットは、過去のものではなく、生きたものとして私たちのただ中にあり、アイデンティティに影響を与えています。その事実に心をとめまがら、こうして出会えたことに感謝しつつ、創立61年目の旅を続けていきましょう。