校長室から

2014.02.04

中高別朝礼の話(2014年2月3日、4日)

 駐日米国大使として赴任されたCaroline Kennedyが、ニューヨークの聖心の卒業生であることを皆さんはご存知でしょう。ケネディ一族は、政治や実業界だけではなくチャリティなどの社会的活動でも有名で、キャロラインも恵まれない環境にある子供たちの教育に関心をもちつつ、ニューヨークの公立学校でボランティアで詩を教える活動を長く続けていたようです。

昨年11月に初の地方公務として被災地を訪問した際、宮城県石巻市の小学校に英語の絵本110冊を寄贈、自ら読み聞かせも行ったというニュースを耳にした時、それまでの彼女のライフワークとのつながりを感じました。

 そんな彼女の経験をもとに出版された“Poems to Learn by Heart”という本があります。彼女の選んだ詩が、家族、友情、自然等のセクションに分けて掲載されていて、各セクションの冒頭にコメントが書かれています。

            

この本の中には、私が皆さんくらいの年代だった頃から好きだった詩人の作品もとられています。そんなこともあって、一度心の奥深くに入ったことばは決して消えることはなく、普段は意識していなくても必要な時には必ず現れ、自分を支えてくれるという「ことばの力」についての彼女の主張がぴんときました。

また、テクノロジーの進化により便利なツールやディバイスに囲まれた現代では軽視されがちな「暗唱 / 暗記する力」についても改めて考えされました。読んでみてください。

学年末が近づき、達成感を感じている分野がある一方で、そうでない領域もあるかもしれません。今日は、この本の中から、フィリピン・ドゥシェーンを思い出させるoak(ナラの木)に因んだ短い詩をご紹介します。

Don’t Worry if Your Job Is Small
Anoymous

Don’t worry if your job is small
And your rewards are few.
Remember that the mighty oak,
Was once a nut like you.

2014.01.24

台湾聖心からの短期留学生を迎えて(2014年1月24日)

 今年も台湾聖心から短期留学生を迎えることができました。多文化に開かれ、複数の言語を話す彼女の存在は、今年も本学院の生徒たちに良い刺激を与えてくれています。毎年、寄宿舎とホームステイの両方の経験ができる形でお迎えしているのですが、寄宿舎の先生の中には、英語のみならず、中国語や韓国語に堪能な方もあり、寄宿舎でも様々な言語での会話が飛び交っています。

不二聖心と台湾聖心とは不思議なつながりがあります。それは1950年の上海聖心の閉校に遡ります。志半ばで国を追われた上海聖心のシスター方は、ある方々は台湾へ、ある方々は日本へ渡り、上海で消された「聖心の灯」をそれぞれの国において、灯すことに生涯をかけました。こうして1952年に不二聖心が、1960年に台湾聖心が設立されました。

台湾聖心の創立にあたっては、全世界の聖心女子学院の生徒から50セントほどの寄付が募られました。「台北市の学院の創立者の皆さん」と呼びかけられた生徒たちは熱心に協力し、やがて家庭でも大きな関心事となりました。寄付は順調に集まり、5年後には中国風の佇まいの中に西洋的な要素が融合した立派な校舎が建ちました。四隅が天に向かってそそり立つ彫刻を施された黄金色の屋根、大きな朱塗りの柱、中庭に向かって開かれている月型の門、その風格には圧倒されるものがあります。

そのような歴史をもつ台湾聖心もまた、広く世界に開かれた伝統をもっています。毎年8月に台湾聖心を会場に開かれる台湾Cultural Exchange Programには、世界中の姉妹校から生徒が集い、台湾の文化や言語について学び、グローバルな視点から意見を交わします。

2014.01.16

韓国のソウル聖心の生徒たちの訪問(2014年1月16日)

 잘 오셨습니다.(ようこそ!)
 明日から韓国のソウル聖心の生徒たちが学院を訪問し、ホームステイをします。これは1991(平成3)年に不二聖心で行われたアジア姉妹校交流会がきっかけとなり、翌1992(平成4)年からソウル聖心と共催で始まったものです。
 毎年、夏休みには本学院の生徒がソウル聖心を訪問します。国と国との関係は難しい課題を抱えていますが、このような時であるからこそ、若くしなやかな感性をもって、お互いの歴史や文化から学び合い、友情を深めつつ、新しい時代を構築していこうとする生徒たちの姿が眩しく思えます。以下、2012年の夏に私が参加した時の感想の一端です。

イエスの聖心のうちに 一つの心

引率 大原 眞実

ソウル聖心の生徒との出会いの場面がとても印象的に残っています。それまでメール等でやりとりしていたとはいうものの、初対面同士のはずなのに、懐かしい人と再会したかのような雰囲気で感動しあっている様子に思わず見入ってしまいました。後日、板門店を訪ねた後、昼食をとったレストランで、日本から来ていた高校生のグループと隣り合わせになりました。韓国の提携校との間で、私たちと同じようなプログラムを行っているとのこと、意義ある体験をしている様子が伝わってきました。
 ただ、生徒間の交流という意味では、同じルーツをもつ姉妹校の生徒間で体験し得るようなものとは少し異なるかもしれない、とふと思いました。姉妹校には、理屈抜きでつながっていける何かがあります。それは日本の姉妹校の生徒同士も同様で、ソウル最後の夜の「最後の晩餐」に続く「最後のお茶会」では、一人残らず最高に幸せそうな笑顔で語り合っていました。教員間も同じでした。「私たちをつないでいる何かがある」と誰もが感じていたと思います。
 この体験学習に参加する機会を頂いた者としての使命を真剣かつ謙虚に語っていた参加者ひとりひとりの顔を思い浮かべながら、その思いが神様によって強められ、それぞれの場で実っていくよう願ってやみません。

(2012年度「海外体験学習」冊子より)

2014.01.07

新年を迎えて(2014年1月7日)

新年おめでとうございます。

 1月6日、生徒たちを迎える前日、神父様をお迎えし、教職員が集ってごミサを捧げました。祈りの中心は、「神様から託されている大切な生徒たち」です。ミサの先唱、朗読、奉納、共同祈願、伴奏のみならず、侍者やアンサンブルまで、普段生徒たちがしていることをすべて先生方で心をこめて担当しました。リハーサルも含めての真剣そのものです。ピュアな雰囲気に、今年も感動しました。
                     


さて、今年、不二聖心は、ローカル、グローバル両方のレベルで記念すべき年です。

1)不二農園の100周年記念
1875(明治8)年からこの地に農場はありましたが、1914(大正3)年に岩下家の所有になってから「不二農園」と命名されました。その後、1920(大正9)年に創立された温情舎小学校と共に、不二農園は地域に貢献することを大切にしてきました。

 1945(昭和20)年、不二農園・温情舎が、マザー岩下亀代子を通して聖心会に寄贈されたことが不二聖心誕生のきっかけとなりました。私たちも地域と共に歩む学校でありたいと思っています。今年の様々なお祝いを通して、さらに開かれた学校づくりを推進して参ります。

2)聖心会 第6代総長 マザー ジャネット・スチユアートの没後100年祭
「天性の教育者」と謳われ、「聖心の教育」に関する多くの優れた著作を残されたマザーを記念して、世界に広がる聖心のスクール・ネットワークの中でお祝いが行われます。不二聖心の教育をさらに深める機会になることと思います。

 変化の時期というのは、細心の注意力を要するものです。
遠くの地平を見つめながら、同時にどんな些細なことにも耳を傾けることを怠らず、読むこと、振り返ること、そして探求をやめてはなりません。
私たちの使命を助けてくれる知識を得るために、心は柔軟でなければなりません。・・・
動かない止まった状態でいることは、腐敗を意味するのです。美しい過去に安住しないようにしましょう。                                                    Mother Stuarttuki

  皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように。

2013.12.18

冬休み前の全校集会での話より抜粋(2013年12月18日)

 12月5日、ネルソン・マンデラの帰天が報じられました。世界中が彼の死を悼み、葬儀には、各国の国家元首を始め多くの人が参列しました。マンデラは、若くして反アパルトヘイト運動に身を投じたことから1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受け、27年間に及ぶ獄中生活を送りました。釈放後、1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任し、アパルトヘイト撤廃に尽力した功績から1993年にノーベル平和賞を受賞、翌年、南アフリカで初めて全ての人種の人々が参加して実施された選挙を経て大統領に就任した後も民族和解の政策を推進し、全民族融和の象徴として尊敬を集めました。彼をこのように導いたのは、若き日にキリスト教のミッション・スクールで受けた教育だったと言われます。実際、彼自身、メソジスト系のクリスチャンでした。

             
富士山が世界遺産になった今年、不二農園の紅茶タダニシキを使ったソフィアージュのプロジェクトがきっかけで、11月20日に県内の私学として初めて川勝知事が不二聖心をしてくださいました。聖堂で手を合わせられた時のご様子、代表の生徒一人ひとりへの対応のされ方、「不二聖心の“不二”とはどのような意味かわかりますか?この校名にふさわしく、二人といない自分を大切にしてください。」というお言葉等から、「もしかしたら?」と思ったのですが、後に京都のカトリック系ミッション・スクールのご出身であることを知りました。

皆さんが、「若さを価値あるものとする」ということは、二人といない自分を大切にすることでもあります。先生方も含めて、ここにいる私たちには、この世界でたった一人の存在として生を受けた者として、その人にしか果たせない使命(ミッション)が与えられています。それはネルソン・マンデラでも、ここにいるあなたでも同じことです。マンデラは、自らの命さえ顧みず、黒人に対する差別撤廃に取り組みました。一見、自分のことを捨てているかのような人生ですが、深いところで自らを支える意志に忠実であった彼は、本当の意味で自分を大切にした生きた方をしたといえるでしょう。これからも、本年度の目標「知性を磨く~若さを価値あるものとせよ~」を心に刻み、与えられた今を真に価値あるものとする努力を続けるあなたたちであってください。


皆さんとご家族の方々の上に神様の祝福を祈ります。良いクリスマスと新年を迎えられることを願いつつ、1月にまたこうして皆で集える日を心待ちにしています。

2013.12.13

クリスマス・キャロル パンフレット ごあいさつより(2013年12月13日)

 主のご降誕のお喜びを申し上げます。

今年のクリスマス・キャロルのテーマは、1971年にJohn Lenonが発表した代表曲"Imagine"を思い出させます。この曲は、様々な国で音楽の教科書等に取り上げられ、世界を大きく揺るがすような紛争や出来事が起こった時には、人々を原点に帰るよう促す強いメッセージを発信し続けています。

Imagine all the people
Living life in peace
You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one
( John Lenon"Imagine"より)

私たちの原点は、キリストご誕生の時に天使が告げた「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ」いうメッセージにこめられた祈りにあります。この祈りは、最初のクリスマスから、神によってもたらされる平和な世界の到来を想像する人々によって受け継がれてきました。

「想像する」ことには大きな力があります。次代を担う生徒たちが、そこから生まれる力に信頼し、困難な時代にあっても、失望ではなく希望を、対立ではなく連帯をもって、平和な世界の建設者となっていくこと――、それこそが初代院長マザーエリザベス・ダフが願われた若さを価値あるものとすることにつながるのではないでしょうか。

今日のお祝いの中で皆様と共に捧げられる祈りが、チャリティセールの実りが、「神の栄光」と「地の平和」を現実のものとする方向へと私たちを導いていくよう心から願っております。 

  

2013.12.03

中高別朝礼(2013年12月2日、3日)

 12月2日の日曜日から待降節(アドベント)が始まりました。待降節は、「キリストの誕生を待つ」時です。ただし漠然と待つのではなく、キリストとの親しさを深めつつ自分を整えて待つことの大切さが昔から強調されてきました。
 皆さんが始めたプラクティスもこれにつながるものです。「クラスで決めたプラクティスの内容を守れたか、どうか」に留まるのではなく、待降節の意味を深めながら続けていきましょう。皆で決めたプラクティスをいい加減に行うようでは困りますが、いくら完璧に守っても、心の中で守れない人を批判していたのでは本当のプラクティスにはならない、ともいえるでしょう。プラクティスが本来「何を目的としているか」に心を向けましょう。
 
 今日は、「ゆりの行列」です。もっともキリストと親しくつながっているマリア様に向かう時です。皆さん一人ひとりがゆりの花を捧げて「マリア様、私の心のゆりをお捧げします。いつまでも清く保つことができますように」と祈ります。
 「いつまでも清く保つことができますように」というのは、別の言い方で言うと、「生涯神様につながっていることができますように」、「そして神様の思いにかなった生き方ができますようお守りください」ということです。また、「心」というのは、その人の中心ですから、「自分自身」といってもよいでしょう。ゆりの花を捧げる時、皆さんは自分自身をお捧げするのです。
 
待降節の中に「ゆりの行列が」が置かれているのはとても意味深いことです。クリスマス・キャロルまでの間、日々の生活の中で、プラクティスを通して、神様に自分を捧げてください。そのような準備を経てクリスマス・キャロルが迎えられたら、きっとあなたたちの歌声が神様に届き、テーマである「イマジン」にふさわしい日となるでしょう。
 今なお続く東日本大震災の影響、連日テレビで放映される韓国や中国との関係、なかなか進まないフィリピンの台風からの復興など、世界は様々な問題を抱えています。皆さんの中にも、何らかの壁にぶつかっている人もあるでしょう。簡単なことではありませんが、現実に目を背けることなく、皆さん自身が希望の光となれるよう、思いや決意を新たにするキャロルとなることを願っています。

ゆりの行列

2013.11.29

若さを価値あるものに(2013年11月29日)

 2013年3月19日、アルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が第266代教皇に選出されました。就任にあたり新教皇が選ばれた「フランシスコ」という名は、中世において教会改革に大きな役割を果たしたアシジの聖フランシスコにちなむもので、新教皇の素朴な人柄、貧しい人々との近さ、質素さ、謙虚さを感じさせます。そしてフランシスコ教皇が世界に向けて発するメッセージは、就任以来、霊的な深さと教会刷新に対する献身によって多くの共感を呼んでいます


2013年7月27日に行われたWYD(ワールド・ユース デー)リオデジャネイロ大会「夕の祈り」の講話の中で、教皇様は世界中から集まった350万人の若者に向けて次のように語られました。

 若い心は、よりよい世界を築くことを望みます。(中略)どうか変化の主役となることを他の人に任せないでください。皆さんこそが未来を手にしています。皆さんを通して世界に未来が到来するのです。どうかこの変化の主役となってください。無関心を克服し、世界のさまざまな地域に生じている社会と政治の不安に対してキリスト教的な答えを示してください。世界の建設者となってください。世界をよりよいものとするために働いてください。イエスは傍観者とならずに、自ら積極的にかかわりました。人生の傍観者とならずに、イエスと同じように積極的にかかわってください。
(カトリック中央協議会HPより)

 続く講話の中で、よりよい世界を築くことは「自分から始まる」こと、ゆえに一人ひとりが心を開き「神様に聴く」ことの大切さを強調していらっしゃいます。

 本年度も、学院で学ぶ全ての生徒たちが奉仕活動や体験学習に取り組みました。自分の殻から抜け出し、異なる文化や環境の中で生きる人々と出会い、心と頭と体を使ってかかわる体験の蓄積が、未来の担い手たちを、「人生の傍観者」ではなく「変化の主役」に、そして「世界の一員としての連帯感と使命感をもって、よりよい社会を築くことに貢献する賢明な女性」(教育理念より)へと育てていくことを願ってやみません。


(2013年度 「奉仕活動・海外体験学習」冊子巻頭言より)

2013.11.23

2013年11月23日

 修道院へ帰る道すがら見上げた夜空、満天の星です。塔の先端の十字架を囲む光を見ているうちに、秋のつどいの後、本館前で寄宿生を待っていらした保護者の方々との会話を思い出しました。友人との別れを惜しんでいるのでしょうか、なかなか現れない子供たちを待つには少し暗すぎるような気がして、「もう少し街灯が必要ですね」と申し上げたところ、にっこりと微笑まれ「これでかまいません」とおっしゃいました。そして、意外そうな顔をしたであろう私に、「星が綺麗に見えますから」と言われました。見上げると、大粒の星々が目に飛び込んできました。街灯については様々なお考えもあるでしょうが、このような詩的で落ち着いた心で待たれている子供たちは、とても幸せだと思いました。

アドベント(待降節)も近づき、学院にはクリスマス・キャロルの歌声が響いています。クラス毎に決めたプラクティスはクリスマスを待つ心を整え、チャリティセールの準備は子供たちの目を社会の現実に深く開かせていきます。こうして、今年も生徒たちは「本当のクリスマス」を体験していくことでしょう。暗闇の中でこそ、星は輝く――、キリストの誕生を告げる星に導かれて歩み続けた東方の博士たちのように、不二聖心で学ぶ生徒たちが、いついかなる時も愛と真理の光に導かれて歩み続けるよう願います。

不二聖心の澄んだ空気の中で瞬く星々が、今宵も寄宿舎で過ごす生徒たちを黙って見守っています。同じ星の光が、ご家族と共に過ごす通学生を見つめています。

2013.11.15

2013年11月15日

 秋のつどいが近づいて忙しそうにしている生徒たちに対して、卒業生の先生が、全校朝礼でこんなお話をされました。

私たちが不二聖心で学んでいた時、よく言われたことの一つは、『同時に2つ、3つのことをこなせるようでありなさい。ただし、バタバタせずに、エレガントにこなせるようでありなさい。』

 この助言の影響もあったのでしょうか、生徒たちの代表が集まる委員会で、今月の生活目標が「美・Elegant」と決められました。”Be Elegant” が新しい形で表現した発想がとても面白いと思いました。

 不二聖心女子学院の生活では、授業や試験、豊かな行事やアクティビティが多彩に織りなされていきます。上級生から伝えられる「マナーブック」の伝統も息づいています。そのような日々の中で培われる力を生徒たちが本当に実感するのは、物事が自分に都合よく起こるとは限らない社会に出た時かもしません。

”Elegant”ということばは、「他の人が敬意を払わずにはいられないような様」を表すと聞いたことがあります。生徒たちの内面性の豊かさが自然と顕れるのにはっとさせられ、思わず敬意を払いたくなる、そんな瞬間に今日も出会いました。