校長室から

2016.12.20

クリスマス奉仕(2016年12月20日)

生徒たちが「クリスマス奉仕」に出かけた日に、ある新聞社の方からお電話をいただきました。たまたま奉仕先での子供たちの様子をご覧になり、概要をお知りになりたいと思われたようです。恐縮するとともに、奉仕に励む生徒たちの姿が目に浮かびました。

この日は、全校生が、近隣の教会、公共施設、老人ホーム等、に派遣されていきます。同じく待降節(アドベント)の中で行われるプラクティスや、クリスマス・チャリティセールの準備等と共に、平和の源であるクリスマスをふさわしく迎えることを意識します。クリスマスプレゼントをいただくことも楽しみでしょうが、それだけを考えてクリスマスを迎える生徒は一人もいません。

私は今、来春、卒業を控えた高校3年生一人ひとりと面接をおこなっています。学院生活の中で、「受けるよりも与える方が幸いである」(聖書より)というみことばを経験的に理解し、美しく成長した最上級生たちの姿こそ、最高のクリスマスプレゼントだと実感しています。

2016.12.12

クリスマスキャロル(2016年12月12日)

 クリスマスおめでとうございます。

キリストのご降誕を迎えるにあたり、今年、生徒たちは世界がさまざまな形で直面している緊張や暴力、貧困や紛争の現状を鑑みながら、 ”Beside you” をテーマに選びました。そして地域でのクリスマス奉仕に参加し、クラス毎にプラクティスに励みつつクリスマスキャロル・チャリティーセールの準備を進めてまいりました。

平和は国と国との間だけで構築されるものではなく、また抽象的な概念や、はるか遠くにある理想でもありません。私たちは皆、この世界の一部であり、平和を実現していく責任をもっています。私たち一人ひとりの平和から、世界の平和が始まるともいえるでしょう。生徒たちの真摯な姿が、そのことを強く思い起こさせてくれました。

このテーマを祈っている時、Placide Cappeau の詩に、Adolphe Adamが1847年にメロディーをつけたクリスマスキャロル“ O Holy Night”の一節を思い出しました。

The King of Kings lay thus in lowly manger;
In all our trials born to be our friend.
He knows our need, to our weaknesses no stranger,
Behold your King! Before Him lowly bend!
(John Sullivan Dwight's version)

人は、誰でも、心の奥に平和や幸福を希求する思いを抱いています。同時に、日々の生活においては思い通りに事柄が解決しないことや、他者とのかかわりの難しさもしばしば経験します。そのような私たちの願いや叫び、悲しみに寄り添い、本当に大切なものに目を向けるよう促してくださる神様に信頼し、”Beside you”の心で一つになって今日のお祝いをご一緒できましたら幸いです。チャリティーセールの売り上げは、温情の会委員会を通して支援を必要とされている方々へと送らせていただきます。

皆様とご家族の方々の上に、クリスマスの平和と喜びが豊かにありますよう心からお祈り申し上げます。



"Sit and be still…Be with yourself…Listen…Wait…To be found."
- painting by Beth Sulleza rscj (PHI)

2016.12.01

"GRACE" ~不二の香り~(2016年12月1日)

 本学院の同窓会ドゥシェーン会が、新しい同窓会グッズの一つに、不二聖心女子学院オリジナルのアロマオイル”GRACE”を作りました。校章入りの白いアロマストーン付きです。説明書きには、“神聖を表す「乳香」をベースに、愛や喜びを表現するマンダリン、心を穏やかにするローズウッドをブレンドした不二聖心オリジナルの香り”とありました。

 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 (マタイ2:9-11)

聖書は、クリスマスに東方の三博士たちが幼子イエスに捧げたものの一つに「乳香」をあげています。古来、「乳香」は、キリスト教に限らず神に捧げる神聖な香として、祈り等にも用いられたようです。

アドベント(待降節)が始まり、学院でも、プラクティス、クリスマス奉仕、クリスマス・キャロル、チャリティバザー等の準備が進められています。クリスマスが恵み(GRACE)に満ちたものとなるよう静けさと祈りの心を大切にしてまいりたいと思います。

2016.11.23

勤労感謝の日(2016年11月23日)

学校説明会が終わってほっとしていたら、校長室をノックする音が聴こえました。高3の二人の生徒たちが大きな箱を抱え、にこにこしながら立っていました。生徒を代表して、「先生方へ」と手作りのクッキーとカードを届けてくれたのです。「父の日」「母の日」ですでに戴いているのに、本当にありがとう!すばらしい生徒の皆さんに囲まれて、幸せです。

2016.11.12

聖ローズ・フィリピンの心

今月、全世界の聖心で聖ローズ・フィリピン・ドゥシェーンの祝日を祝います。
折しも、聖女が1818年に創立したアメリカのセントチャールズの聖心Academy of the Sacred Heart (ASH) からMs. Carol Pfitzingerが訪問されました。この方は、ASHの元保護者で、現在はShrine of St. Philippine Duchesne のディレクターを務めていらっしゃいます。毎夏、行われるアメリカ体験学習では、ご家族をあげて生徒たちを大歓迎してくださっているまさに恩人であり、生徒たちは「キャロルさん!」と親しみを込めてお呼びしています。
ASHには、彼女が晩年亡くなられるまで過ごされたお部屋や、ご遺骨なども保存されており、まさに学校全体がアーカイブスのようです。2018年に創立200周年を迎えるこの学校は、聖フィリピンを守護聖人として仰ぐ不二聖心にとっても、魂の故郷のようなとても大切な場所です。
“At last we have reached the country of our desires…there are no difficulties here except when people worry too much about tomorrow.”(Philippine Duchesne1841)
キャロルさんが、生徒たちにくださったカードに、このような言葉が書かれていました。これは、聖フィリピンが、長年の夢がかない、1841年にシュガークリークのポトワトミーインディアンのもとに派遣された時のお言葉です。8歳から72歳まで、変わらずに持ち続けた夢です。そのような聖女の不屈の精神と、神様に根差した大らかさが、不二聖心の子どもたちにも受け継がれていると私は信じています。 http://duchesneshrine.org/life

2016.11.01

韓国のシスター方の祈り(2016年11月1日)

 先月は、韓国のシスター方が学院に滞在されました。生徒たちと心温まる交流ができましたことは、フェイイスブックやホームページでご報告した通りです。ちなみに代表でお話しくださったシスターは朴槿恵大統領の担任をされた方でした。私自身は、あちらこちらで、生徒たちの韓国語の発音の良さに驚きました。ここでは生徒たちが知らないことを少しお伝えします。

全校朝礼の後、校内外をご案内しました。ミッショナリーのシスター方はじめ学院に生涯を捧げてくださったシスター方の墓にご案内した時、口々に「クリプタ(納骨堂)に行きたい」とおっしゃいました。納骨式でもなければ、お墓の地下にあるクリプタまで行きたいとおっしゃるお客様はあまりいません。あわてて鍵をあけると、シスター方は、今は天に召されたシスター方のお名前が刻まれた石に手をあてて祈られ、マリア様への祈りに続き、故人に捧げる美しい韓国語の聖歌を歌われました。本当に感動しました。

滞在場所のマリア修道院に戻る道すがら立ち寄ったフィリピン・ドゥシェーン修道院では、寄宿舎に隣接して修練院があった頃、寄宿生の食後のお皿洗いをしながら、生徒とかかわった日々を懐かしそうに話してくださいました。シスター方が聖心会入会直後の若き日々を過ごされた裾野は「ふるさと」だと繰り返しおっしゃっていました。そして、オラトリーで、生徒たちのために祈ってくださり、これからも裾野の聖心の子どもたちのために祈り続けてくださると約束してくださいました。

10月の「マーテル・アドミラビリス」の祝日で、生徒たちは「・・・私たちの目を、見えるものからあなたの見ておられる見えないものへと導いてください。目に見えない存在、目に見えない生命、目に見えない行い、目にに見えない愛へ・・・」と祈ります。生徒たちは、このような見えないけれど確かにある無償の愛と祈りの中で育っているのだと実感しました。

学院へのお土産としていただいた“Mission for the emerging future”(これから生まれる未来に向けての使命)という文字が入った手作りの掛け軸は、感謝と連帯のうちに、職員室に掛けてあります。

2016.10.20

第50回 秋のつどい (2016年10月20日)

 今年の秋のつどい(学院祭)は、50回目にあたり“Golden Fanfare”をテーマに開催されます。

歴史をひもといてみますと、第1回目の秋のつどいは1967年11月11日(土)に開催されています。運営委員には、卒業生と高校3年生のお名前があります。マリア館に小学校があった時代で、児童によるオペレッタ「みにくいあひるの子」が上演され、裾野町の郷土学習の発表も行われたようです。パーラーの暖炉の上に飾られた「祈る少女」を描かれた岡常次先生もご存命で、生徒作品と共に、心美会(美術の道に進んだ卒業生が岡先生を顧問に発足)の作品展示も行われました。

開催日が11月3日頃に定着したのは第8回目以降のことで、それまでは10月に催されたこともありました。パンフレットの形・サイズも様々で、正方形だった時代も長くありました。パンフレットとは別に「研究発表集」という冊子を作製していた時代もあります。ごく初期の頃は、「文化祭」とか「芸術祭」と呼ばれたこともありました。

秋のつどいに初めから一貫して流れているのは、生徒・保護者、卒業生とご家族、教職員(現・旧)、そして地域の方々やお客様とが一つになって、日頃の学びの実りを発表し、鑑賞し合おうという清廉なエネルギーです。

Golden Fanfare といえば、今年、リオデジャネイロ・オリンピックで、昨年アメリカの姉妹校の一つStone Ridge School of the Sacred Heartを卒業されたばかりのケイティ・レデッキーさんが、4個の金メダルと銀メダル1個を獲得されたことは、生徒たちにも大きな喜びでした。創立時から、学院は聖心グローバル・ネットワークと共にありましたが、第1回秋のつどいの頃とは比べ物にならないほど世界が近くなっている今、1800年から続くグローバル・ネットワークの力が、学院の教育の中にますます力強く影響しているのを感じます。

今年は3本の教育方針の柱の中の「知性を磨く」に焦点をあて、”Climb Every Mountain”を学校目標とし、生徒・保護者が一つになって学びの輪を広げ、深めてまいりました。学年やグループ、個々の生徒の成長の成果をご覧いただき、学院としてよりよい学びがなされるためにご助言いただけたら幸いです。

2016.10.12

韓国聖心60周年 (2016年10月12日)

 10月9日、ソウルで行われた韓国・中国管区の聖心会創立60周年のお祝いに参加してまいりました。国の重要文化財にもなっている美しい聖堂でのごミサ。引き続き学校で催されたお祝いの昼食会では、朝鮮戦争の傷跡が残る中での創立から、今日までの発展の歴史がスライドと共に紹介され、創立時を知る参加者の方々から、数々の思い出が語られました。

ちょうど1週間ほど前に開園されたばかりの幼稚園も見学しました。コミュニケーション・ウィンドー等、至るところに面白い仕掛けがなされたこの建物は、学校ともつながっています。その隣には、近所の方々やお迎えの保護者等のためのコーヒーショップも建設中でした。

歴史の重みと、軽やかな新しい動きが調和したキャンパスは、活気にあふれていました。

今夏も生徒たちは、この地を訪れました。韓国との間には複雑な歴史がありますが、1992年から始まった韓国聖心との交流を通して、生徒たちは互いを知り、友となるプロセスの中で、その複雑さを乗り越えていこうという歩みを続けています。

2016.10.01

千客万来(2016年10月1日)

 10月に入りました。今日は、日本に暮らすアメリカ人のカトリックのファミリーのグループが、神父様とご一緒にマリア修道院をリトリートに訪れています。この方々のリクエストもあって、敷地内に広大な範囲で十字架の道行きが作られ、パンフレットも日本語・英語両方で作られました。

 現在わかっているだけでも、今月はフィリピン、韓国、11月初旬はアメリカのセントルイス、中旬はニューヨーク、1月には台湾、3月にはメキシコと海外から多くの聖心関係者が学院を訪問されます。これらのゲストのために、アーカイブのパンフレットの英訳も進めているところです。ぜひご活用ください。

2016.09.20

富士の恵みの水 (2016年9月20日)

「毎朝、顔を洗う時に、富士山に“ありがとう”と言っているんですよ・・・」

敬老の日のお祝いをしたばかりの一人のシスターのことばにはっとさせられました。こんなふうに一日を始め続けるなら、きっと人生も何かが違ってくるだろうと思いました。

続いて、「紅茶タダニシキも、他の場所で飲むのと、ここの水を沸騰させて入れたのとでは、味が全く違います。」ときっぱり!不二聖心は、富士の恵みと共にあります。おいしい水もその一つです。その水で入れた「幻の紅茶ただにしき」を、毎朝、丁寧に入れ、目の前に差し出していただけるとは、なんと有難いことでしょうか。

お祝いをしたはずが、かえってすばらしい贈り物をいただきました。