ラッパズイセンが既に花を咲かせ始めています。ラッパズイセンはウェールズの国花としても知られており、以前不二聖心で講演してくださった、ウェールズ出身の作家、C・W・ニコル氏は長野のアファンの森にたくさんの水仙の球根を植えられたそうです。
今日のことば
『ぼくのワイルド・ライフ』(C・W・ニコル 集英社文庫)を読む (平成21年11月30日)
―― “Always look for the connections” ――
もうすぐ十一月が終わります。新しい月が始まると僕は最初の日曜日が来るのを心待ちにします。第一日曜日のジャパンタイムズで、尊敬するC・W・ニコル氏のエッセイが読めるからです。この習慣はもう何年も続いていますが、最近では、九月六日のMy key connectionと題された一編がとりわけ感動的でした。そのエッセイは次のように始まります。
It was 1954 and summer holidays were over. The family had moved a few miles south from Tewkesbury to Cheltenham in the beautiful country of Gloucestershire in the west of England , and I had been transferred from the one town’s boys grammar school to the other’s .
On my first day there , a small gang of boys gathered around , asking questions , curious about the new boy in the third year. Then all heads turned as a magnificent , classic open-topped Bugatti roared into the playground. The boys all gave a mighty cheer and raced to surround the car.
“Who’s that ?” I yelled out to the boy as he passed me.
“Dad ,” he said , “Dad Driver!”
That was very confusing at the time , as the car obviously had a driver , and the big , bearded man at the wheel didn’t look old enough to be the dad of anybody in this school.
It turned out that the name of the driver in question was Driver , and the boys all called him “Dad” – perhaps because he was so imposing , and the most charismatic and popular teacher in the school. For me , he was to become the best teacher I ever had ; one who changed my whole life.
自分の人生を大きく変えた恩師、ピーター・ドライバーとの出会いが以上のように語られています。彼はこのあと生物の先生であったピーター・ドライバーの影響を受け、自身もピーターの助手として生物調査に関係する仕事をするようになっていきます。その最初の調査の様子が、『ぼくのワイルド・ライフ』(集英社文庫)という本の中の「ぼくは子ガモのおばちゃん」と題されたエッセイに書かれています。
ぼくがピーター・ドライバーの助手になり、カナダ極北地方の探険についていったのは十七歳のときだった。カナダではなくてほかのどこだったとしても、ぼくはついていったと思う。
彼はぼくより一〇歳年上で、ぼくが通っていたイングランドの古風で厳格な男子校の生物教師だった。ぼくらはふつうの生徒と教師の間柄をこえて、ずっと親密だった。これはおそらく、ぼくらがふたりとも独特のイギリス式ユーモアのセンスをもち合わせていたからだろう。ぼくはまた、物事にひどく熱中するたちの少年だった。生物学、自然、カヤック乗り、柔道、探険、冒険物語などに夢中になっていたのである。
ピーターは理想的な教師であった。生物学という科目が彼の手にかかると、無味乾燥な教科書のページやら、薬くさい器具やら、ホルマリンづけの解剖台などをはるかにこえたものになった。彼によって、生命を研究するこの学科が、それこそ生命を吹きこまれたのである。
ニコルさんは、自分の人生を変えるほどの影響を与えた恩師と極北地方でホンケワタガモの調査をします。その調査は、ピーター先生がホンケワタガモのヒナの母親となり、ニコルさんがおばさんとなって、カモたちと生活を共にする中で行われました。
ヒナたちはピーターを刷りこまれ、彼は母ガモになりきった。ヒナはたえず注意を必要とする。とくにホンケワタガモはそうだ。彼らは自分で食物はとるがエサ場には連れていってやらねばならないし、見張ってやり、抱いて暖めてやらねばならない。トイレに行くときでも、あとを追うヒナを残していくことはできなかった。ぼくはこの大男が、ケワタガモ語でヒナたちをなだめたりしかったりしているのを見て、ニヤニヤしないわけにはいかなかった。しかも、キーキー鳴くフワフワしたボールたちが、われがちにピーターのあとを追いかけていくのだからなおさらだ。(中略)
ピーターとヒナたち、それにぼくは、いつもたがいにていねいにあいさつをしていた。これはちょうど人間のおじきと反対の動作で、頭を上向きにうなずかせるのである。もともとこの運動は、卵の中のヒナが殻を上向きに押すことから発達したもので、それは水を飲むときのくちばしを上向きにあげる動作につながり、やがて求愛の動作へと発展していく。このときは、セクシーな「ウーウー」という鳴き声とともに、首を大げさに上向きにうなずかせるのである。自然は実にむだのないことをするものだ。
卵の殻をやぶる動作とあいさつの動作と求愛の動作はつながっている。このような興味深い事実が十七歳の時の体験談を綴ったエッセイ「ぼくは子ガモのおばちゃん」の中ではいくつも紹介されていきます。
『ぼくのワイルド・ライフ』の最後の章は「わが愛しのピーター先生」というタイトルです。ここでは、ニコルさんがスコットランド北端部のホイ島に出かけていき、そこに生活するピーター先生と何十年ぶりかで再会した様子が描かれています。この章も極上のエッセイにしあがっているのですが、僕にとってとりわけ印象的だったのは、二人が黄昏の海辺を散歩する場面でした。
海は静かで鉛色のきらめきを放っている。海面からアザラシの頭が突き出るのをふたりは指さした。
「ノアじいさん(ぼくらのイヌイットの友人)なら、あっという間にあいつを捕まえるだろうな」ピーターがいった。
「きのうウサギを撃ちに歩いている間に六頭見たよ」とぼく。
「たくさんいるんだ。今までにも岬から二〇〇~三〇〇頭は見た」
ユリカモメがかたわらをゆっくりと飛びすぎた。歩きながらぼくらの話題は、カモメたちがいかに多くのヒツジの子や、ときには妊娠したメスのヒツジまでを殺すかという話に移った。信じられないかもしれないが、これはまさしくほんとうなのだ。ぼくもピーターも現場を目撃している。ここではカモメによる子ヒツジの被害はきわめて深刻なのだ。どうすればよいのか? 答えは簡単だ。むかしのように、島民にカモメの卵を食べさせればいいのだ。カモメたちは無人島だとか、人の訪れることのない場所で生き残るだろう。ぼくは北極でカモメがいかにふえているか話した。人間の食べかすと、皮だけはいで氷の上に放置されるアザラシの死体がその原因だ。
イヌイットがスノーモービルと引きかえに犬ゾリを捨てたこと、ガソリンを買うのに金がいり、皮を売るだけの目的でアザラシを殺しすぎること。そのことが、古い歴史をもつ誇り高い文化にどんな影響を与えたか、またこのせいでカモメの生息数がふえ、営巣するカモたちにいかに圧力がかかっているかぼくらは話し合った。カモたちは卵やヒナを襲うカモメにひどく苦しんでいるのだ。ぼくらは歩きつづけた。海岸にチドリを見たり、早咲きのランを見かけたり、あるいは湾のはるか向こうにまたアザラシを見たりしたときだけ、ぼくらは歩みをとめるのだった。そしてまた行動とバランス、人間の自然に対するあくなき干渉について語り合った。
イヌイットが犬ゾリを捨てたこととカモの数が減少すること、この一見なんの関係もないように思われる二つのことが実はつながりあっている。これが自然界の姿であり、自然の中では、私たち人間も含めて、ありとあらゆるものがつながり合っているということをニコルさんの文章は教えてくれます。
この再会からさらに二十年以上が経った今年の夏、再びニコルさんはホイ島を訪れました。その時のことがジャパン・タイムズに載ったエッセイ「My key connection」の最後に出てきます。
Fifty years have passed. Peter is still one of my dearest friends. For the last 30 or so many years he has made the Orkney Islands his home. This summer I went to ask him for advice on the directions we should take with our woodland research. His words were simple, but I knew exactly what he meant.
“Always look for the connections,” he said.
In 2010 , I’ll be70. How time flies! If I have learned anything , it is to realize that truly , all life is connected. And if you look closely , that can be said of all our lives too.
なんという美しい文章でしょう。「“Always look for the connections”」僕もこの言葉を心に深く刻みつけたいと思います。