フィールド日記
2014.02.07
冬の花と春の花 ウメの花とカンアオイの花
今の時期のフィールドでは冬の生物と春の生物の両方を見ることができます。
牧草地はまだ冬枯れの景色です。
林の中でカンアオイを見つけました。地を這うように咲く冬の花です。日本の各地で絶滅危惧種に指定されています。
カンアオイの咲いている場所の近くで梅の花が咲いていました。カンアオイの季節から梅の季節に少しずつ移りつつあります。
今日のことば
『植物入門』(前川文夫 八坂書房)を読む
―― 不二聖心に流れるもうひとつの時間 ――
先日、放送朝礼でお話したように、いま僕は不二聖心の植物カレンダーを作ることを計画しています。先週の日曜日も学校で「昨日の新聞から151」の印刷をすませたあと、カレンダーに使う植物の写真を撮るために、少しだけ裏道を歩いてみました。
食用にもなるキノコ、アラゲキクラゲやもともとは南方系の蛾であるヒロヘリアオイラガの繭など、今まで記録したことのない生物をいくつか写真に撮りながら歩いていき、裏道を降りきったあたりで、ある一枚の葉を目にして立ちどまりました。その一枚の葉を見た瞬間に、『ヒガンバナの博物誌』の著者として知られる栗田子郎氏のホームページに今年の一月十三日に新たに加えられた文章のことを思い出したのです。それは次のような文章でした。
この季節、雑木林の道の辺は枯れ落ち葉に覆われ寒々としているが、所々でしっかりとした緑の葉群が弱い冬の日差しを受けている。カンアオイ、通称カントウカナイオである。だが、その花は積もった落ち葉に隠されて見えない。失礼して、枯葉の褥をはずして写真を撮らせていただいた。褥の中には温もりがこもっていた。
カンアオイの存在を知ったのは高校1年の課外活動で生物部に所属したころだと思う。ずいぶん地味な花だなと感じた程度だったのだろう、はっきりとした記憶はない。
しかし、理学部の生物学科に進学してからの講義でこの植物とその仲間がただ者でないことを知った。ことに、前川文夫さんのカンアオイ亜科の地理的分化と数千万年にわたる進化についての考察にはそのスケールの大きさに感激したものであった。
この文章を読んだ時に、自分も一度山野に自生するカンアオイをぜひ目にしてみたいと思いました。そして数千万年にわたる進化の歴史をその花を通して感じてみたいと思ったのです。不二聖心の裏道を歩いていて僕が思わず立ちどまったのは、栗田さんのホームページで見たカンアオイの葉とそっくりの葉が目の前にあったからです。しかし、それがカンアオイだという確信がすぐに得られたわけではありません。その葉がカンアオイであるためには、根を覆う枯葉の中に花が咲いていなければならないのです。高まる胸の鼓動を感じつつ、しゃがんでカンアオイの根の周りの枯葉を一枚ずつはがしていきました。
ありました。そこに、写真で見た花とよく似て、さらに美しいカンアオイの花が。感激した僕は急いで花の姿を写真に何枚も収めました。(裏面の写真はその時の一枚です。)
実物を見ることの意味を感じるのはこういう時です。こうなると俄然、カンアオイに対する関心が高まっていきました。カンアオイについて知るためには先ず前川文夫さんの本を読むべきだと考え、最初に『植物入門』の中のカンアオイに言及した箇所に目を通しました。前川文夫さんは『植物入門』の中でカンアオイを次のように説明しています。
一株に一枚~二枚の常緑の葉は、冬の真最中にもよく目立ちます。柄はよごれた紫、ちぎると独特の匂い、一月から五月ごろまでの間に葉の根元につくこりこりした花、こわしてみると内側には網目があるなどが目じるしです。山の北斜面が好きです。
花がすんで実になっても形は変わらず、やがて花と柄とのつづき目が粒々にくずれてきます。注意してみると、その中に茶色の種子がまじっています。
種子のひろがり方は、風に乗るタンポポ、人にたかるイノコズチ、鳥にくわれるウメモドキなど、いろいろありますが、カンアオイはその点ではまったく能なしで、親の株の根元に落ちるだけです。
それも地面についた実から落ちるので、せいぜい親の株から一〇センチとは離れることができません。結局、親とせり合いとなるのですが、運よく少し離れて生えたものだけが一人前になります。しかも、毎年葉を一枚か二枚出すようなゆっくりしたもので、花を開くまでには早くて五年はかかるでしょう。親株から十センチ先を占有して子孫をつくるのに、ならして十年では足りないほどです。
というわけで、山の斜面を、横へ横へと子孫をふやして行くのには、この計算では一〇〇メートルですでに一万年となります。しかし自然では永い間には山が平らにもなるし、低いところが高くなることもあるので、今少し速くひろがるチャンスはあると思われますので、一万年の間には一キロは行けるだろうと推定したわけです。
この文章を読んで、一キロ分布を広げるのに一万年かかるという話に先ず驚きました。在来種の生息域にあっという間に侵入し占領してしまう外来種の話を頻繁に聞いている自分にとって、一キロ一万年という数字は思わずため息の出るような長い時間でした。
さらに興味深かったのは、前川さんが『植物入門』の中に載せているカントウカンアオイの分布図です。そこには三浦半島から房総半島にかけて帯のように広がるカントウカンアオイの分布域が示されていました。当然、海の部分は帯が切れています。この図からわかることは何か。海の部分を除けば一本の帯のように分布域はつながるわけですから、これはかつて三浦半島と房総半島が陸続きであったことを示しています。生物の分布の様相は時に地学の研究にも重要な示唆を与えてくれることがありますが、これもその一例だと思いました。
その後も前川文夫さんのいくつかの著書に目を通し、前川さんにとってカンアオイが特別な意味を持った植物であることを知りました。『植物入門』の中には「息抜きにハイキングに行かれたおりに、ちょっと気にして下さって、できればその場所をお知らせ頂ければ、新しい資料としてありがたいことです」という一節もあり、何かそれが泉下の前川さんからの励ましの声のように感じられて、気がつけばカンアオイについて考えているということが続きました。
そうして迎えた木曜日の夜のことです。今年に入ってから撮影した写真を整理していて、日曜日に発見したカンアオイとは全く異なる模様の、カンアオイらしい植物の葉の写真を見つけたのです。特徴的な葉をしていたのでとりあえず写真に収め、そのまま忘れていた一枚でした。撮った場所が牧草地の上の林道であることは覚えていますが、それ以外の記憶は全く残っていません。しかし改めて眺めてみると、それはどうみてもカンアオイの葉に見えるのです。林道は裏道からだいたい一キロぐらいの距離のところにあります。もしカンアオイであれば、不二聖心の敷地内で一万年の時間をかけて分布を広げていったということになります。
さらに、注目したのは葉の模様です。葉の形は裏道のカンアオイの葉とよく似ていましたが、模様が全く違っていたのです。模様が全く違うということは種も違うのかもしれない。ということは、不二聖心の敷地内で種分化が起こった可能性もある。分布を拡大するのに時間がかかる生物は種分化がおこりやすいというのはよく言われることなのですが、その可能性を思うとまたまた胸が高鳴るのを感じました。
この写真がカンアオイであるかどうかを確かめるためには、もう一度この植物を見つけ、根元の枯葉をよけて花が埋まっているかどうかを確認する必要があります。一刻も早くそれを確認したいと思いました。
確認に必要な時間は少なくとも20分。それだけあれば林道まで行って確認できるかもしれない。
金曜日の朝、この計画を実行に移しました。週末まで待つことはできませんでした。木曜日の時点で土曜日の予報は大雨、林道の環境が変わってしまう恐れがあったのです。
雨の朝でした。地面はぬかるみ、雨は容赦なく木々の間から落ちてきます。探し始めてすぐに、悪条件の中、記憶だけを頼りに一枚の葉を林の中から見つけ出すことはたいへん難しいことだと気付きました。どれだけ歩いてもカンアオイらしき葉は見付かりません。学校に行かなければならない時間も近づいてきます。とうとう僕はあきらめることにしました。むなしく林道から牧草地へと向かう帰り道、頭にひらめくものを感じました。前川文夫さんの文章の一節が頭の中によみがえってきたのです。「(カンアオイは)山の北斜面が好きです。」という『植物入門』の一節です。
幸い、中学三年生の国語の授業で「南大門」について話をする機会があり、不二聖心の地理の中でどちらが南を指しているかを方位磁針で確認したばかりでした。北はその反対を見ればいいわけです。もう一度、林道を戻り、北側に向いた斜面を探しました。
そしてついに見つけました。間違いなくあの写真に収めたのと同じ模様の葉です。雨に打たれながら根元を探りました。そこにカンアオイの小さな花を見つけた時の感動を忘れることはないでしょう。
ここではっきりしたことは、不二聖心の中には少なくとも二箇所のカンアオイの自生地があり、その間隔は一キロを超えている、そして二つの自生地の間には一万年の時間が流れているということです。このカンアオイが不二聖心の敷地の外に分布を拡大するにはさらに一万年程度の時間を要するだろうと思われます。
これ以上、地味にはなれないというぐらい、控え目な姿をしたカンアオイの花。しかしその花の一つ一つは一万年という時間を背負っています。聞くところによるとカンアオイは環境の変化に弱い植物だそうです。しかも他家受粉をしますから、花粉の媒介者がいなければ次の世代を残すことはできません。さらには、カンアオイの消滅は、種としての消滅だけでなく、カンアオイの葉を唯一の食草としているギフチョウ(「春の女神」と言われる美しい蝶です)の消滅にもつながっていくのです。
安堵感を抱いて林道を歩きつつ、このような貴重な生物を大切に守っていきたいと強く思いました。