フィールド日記
2013.06.09
藤原定家とテイカカズラ
2013.06.09 Sunday
中学3年生の国語の授業で池内了の「『新しい博物学』の時代」という文章を読みました。最新の科学技術を駆使してもわからなかった、かに星雲の超新星爆発の起った年が、藤原定家の残した日記『明月記』の記録(後冷泉院の天喜二年四月中旬以後、丑の時客星が觜參の度に出づ。東方に見はれ、天関星に孛す。大きさ歳星の如し。)で明らかになったことを紹介し、理科系の知と文科系の知を結び付けることの意義を説いた文章です。大歌人、藤原定家は天文学にも多大なる貢献をしていたわけですが、定家が関わりを持つのは天文学だけではありません。植物学の分野にも定家は関係があります。今の時期に花を咲かせるテイカカズラの「テイカ」は藤原定家に由来しているのです。式子内親王に思いを残して死んだ藤原定家は式子内親王の墓にツル性の植物となってからみつきます。その植物が後に「テイカカズラ」と名付けられたという話が残っているのです。不二聖心の裏道には、高木にからみついたテイカカズラから落ちてきた花がたくさん見られます。
今日のことば
西隣りの市橋貞吉爺さんは六十を越えた親切なおじさんであった。私はこの人から魚を釣る事も小鳥を飼う事も教わった。村の小学校では教えてくれないが、貞吉爺さんは手を取って教えてくれた。そして曲がっている釣針にみみずを餌にして川の中に放り込む方法まで一々教えてくれた。それで貞吉爺さんが大好きであった。私は兵庫県神戸港で生れたが大自然の中で育ったのは阿波吉野川の感化であった。それで今でも私は四歳から十一歳までの児童は農村で育てた方が自然を通して神を知るには良いと思っている。阿波吉野川は日本でも珍しい美しい川である。恐らく日本であれだけ美しい川は他にないであろう。また西洋でもあれだけ美しい川は多く見る事は困難である事と思っている。それで私は東京、大阪の子供等を大自然に返す運動を絶えずしている。エミールを書いたルソーは教育の基本として自然に帰れと叫んでいるが私も大賛成である。農村で育った私は本当に自然を楽しんだ。農村を知っていたから私は創造主が良くわかった。
賀川豊彦(昭和34年12月12日)