フィールド日記
2013年03月
2013.03.31
コナラの赤い新芽 ゴミに擬態するゴミグモ
2013.03.31 Saturday
「共生の森」に昨年高校1年生が植えたコナラの新芽が開き始めました。コナラの葉は開き始めた時には赤い色をしています。春の雑木林が全体に赤茶けて見えるのことがあるのはこのためです。早速ゴミグモがコナラの枝に巣を張っていました。ゴミに擬態しているゴミグモの姿が識別できるでしょうか。クモがいるということは、新芽を食べようとすでに虫が集まり始めているということです。
今日のことば
青春期の悩みにぶつかったおいの満男が質問した。
「人間は何のために生きてんのかなあ」
寅さんはこたえた。
「何て言うのかなあ、ほら『あー生まれてきて良かったなあ』って思うことが何べんかあるじゃない。そのために人間生きてんじゃねえのか」
「寅さんの伝言」(朝日新聞)より
2013.03.30
『じかきむしのぶん』 羽化したスイカズラハモグリバエ
2013.03.30 Saturday
福音館書店から出ている『じかきむしのぶん』はいわゆる「絵かき虫」(潜孔虫)を主人公にした珍しい絵本です。きわめてシンプルな作りの本でありながら、ハモグリバエの幼虫が糞をしつつ進んでいく様子なども丁寧に描かれていて、児童への「絵かき虫」入門としての役割を果たし得る貴重な絵本となっています。このような絵本が出版されているのは世界でもあまり例のないことではないでしょうか。不二聖心にもたくさんの「じかきむし」(字書き虫)がいますが、その中の一つ、スイカズラハモグリバエが羽化しました。スイカズラという植物がなければ絶対に生きていけない生物です。生態系は、このような目に見えにくい、たくさんのつながりによって成り立っています。
今日のことば
わが国は世界でももっとも優れた多くの図鑑を出版している国と言ってもいい状況にある。それは植物、キノコ、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚、昆虫、エビ・カニ、貝類その他多くの生物群や岩石鉱物にわたり、現代の写真術を駆使した素晴らしいカラー写真によって印刷されている。
ヨーロッパ、アジアなどの外国の書店を覗いてみると、蝶、鳥、大型の甲虫、ランなど大型で美麗 な動植物の図鑑は多く置いてあるが、わが国で出版されている一般の関心がそれほど高いとは思えないクモ、ダニ、蛾、土壌動物、蘚苔類、海藻などの図鑑はほとんど見当たらない。このことは、日本におけるナチュラルヒストリーの広範囲な発展の下地が整っていることを示しているような気がする。
青木淳一
2013.03.29
雑木林を歩くキジ
2013.03.29 Friday
今朝、裏の駐車場の近くでキジと出会いました。不二聖心のキジはだいぶ人に慣れていますので、すぐ逃げ出すようなことはありません。こちらの様子をうかがいながら静かに雑木林の中に消えていきました。その時の様子は動画で見ることができます。しばらくは「ケーン、ケーン」というキジの声が林の中から響いていました。高3の教室で授業をしていると時々この声が聞こえてきます。「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉を生んだ昔話のキジはこの声が災いして猟師に撃たれますが、不二聖心は禁漁区ですのでいくら鳴いても撃たれる心配はありません。悠然と歩くキジの姿が校内のあちこちで見られます。
今日のことば
父母のしきりに恋し雉子の声
松尾芭蕉
2013.03.28
蕨
2013.03.28 Thursday
教頭の田中正延先生がお撮りになった写真を見て驚いてしまいました。野の一面にワラビが生えていたのです。春の命があふれる風景の写真に、しばし仕事を忘れて見入ってしまいました。今年はなぜか春の植物の育ちが例年よりも早いように思います。
今日のことば
まっ黒い ぞうきんで
顔はふけない
まっ白い ハンカチで
足はふけない
用途がちがうだけ
使命のとおとさに変わりがない
ハンカチよ 高ぶるな
ぞうきんよ ひがむな
河野進
2013.03.27
コブシの花と「辛夷の花」(堀辰雄)
2013.03.27 Wednesday
3月24日の産経新聞の「朝の詩」に次のような詩が載りました。
かたくりの花 藤田桂子
華やかな櫻の木の下で
ひっそりと咲く
うすむらさきの花
風にかすかにゆれる
つれあいは
櫻を見に行こうとは
決して言わない
かたくりを見に行こう
と言うのだ
めだたなくとも
その可憐な花を
愛でる人もいる
今の時期の不二聖心にも「めだたなくとも可憐な花」がたくさん咲いています。その中から今日はキャンプ場の辛夷の花を紹介しましょう。堀辰雄の随筆「辛夷の花」にも、目立たない辛夷の花を見つけるのに作者が苦労する場面が出てきます。
今日のことば
「春の奈良へいつて、馬酔木の花ざかりを見ようとおもつて、途中、木曾路をまはつてきたら、おもひがけず吹雪に遭ひました。……」
僕は木曾の宿屋で貰つた絵はがきにそんなことを書きながら、汽車の窓から猛烈に雪のふつてゐる木曾の谷々へたえず目をやつてゐた。
春のなかばだといふのに、これはまたひどい荒れやうだ。その寒いつたらない。おまけに、車内には僕たちの外には、一しよに木曾からのりこんだ、どこか湯治にでも出かけるところらしい、商人風の夫婦づれと、もうひとり厚ぼつたい冬外套をきた男の客がゐるつきり。――でも、上松を過ぎる頃から、急に雪のいきほひが衰へだし、どうかするとぱあつと薄日のやうなものが車内にもさしこんでくるやうになつた。どうせ、こんなばかばかしい寒さは此処いらだけと我慢してゐたが、みんな、その日ざしを慕ふやうに、向うがはの座席に変はつた。妻もとうとう読みさしの本だけもつてそちら側に移つていつた。僕だけ、まだときどき思ひ出したやうに雪が紛々と散つてゐる木曾の谷や川へたえず目をやりながら、こちらの窓ぎはに強情にがんばつてゐた。……(中略)
そんなふうで、三つ四つ小さな駅を過ぎる間、僕はあひかはらず一人だけ、木曾川に沿つた窓ぎはを離れずにゐたが、そのうちだんだんそんな雪もあるかないか位にしかちらつかなくなり出してきたのを、なんだか残り惜しさうに見やつてゐた。もう木曾路ともお別れだ。気まぐれな雪よ、旅びとの去つたあとも、もうすこし木曾の山々にふつてをれ。もうすこしの間でいい、旅びとがおまへの雪のふつてゐる姿をどこか平原の一角から振りかへつてしみじみと見入ることができるまで。――
そんな考へに自分がうつけたやうになつてゐるときだつた。ひよいとしたはずみで、僕は隣りの夫婦づれの低い話声を耳に挿さんだ。
「いま、向うの山に白い花がさいてゐたぞ。なんの花けえ?」
「あれは辛夷の花だで。」
僕はそれを聞くと、いそいで振りかへつて、身体をのり出すやうにしながら、そちらがはの山の端にその辛夷の白い花らしいものを見つけようとした。いまその夫婦たちの見た、それとおなじものでなくとも、そこいらの山には他にも辛夷の花さいた木が見られはすまいかとおもつたのである。だが、それまで一人でぼんやりと自分の窓にもたれてゐた僕が急にそんな風にきよときよととそこいらを見まはし出したので、隣りの夫婦のはうでも何事かといつたやうな顔つきで僕のはうを見はじめた。僕はどうもてれくさくなつて、それをしほに、ちやうど僕と筋向ひになつた座席であひかはらず熱心に本を読みつづけてゐる妻のはうへ立つてゆきながら、「せつかく旅に出てきたのに本ばかり読んでゐる奴もないもんだ。たまには山の景色でも見ろよ。……」さう言ひながら、向ひあひに腰かけて、そちらがはの窓のそとへぢつと目をそそぎ出した。
「だつて、わたしなぞは、旅先きででもなければ本もゆつくり読めないんですもの。」妻はいかにも不満さうな顔をして僕のはうを見た。
「ふん、さうかな」ほんたうを云ふと、僕はそんなことには何も苦情をいふつもりはなかつた。ただほんのちよつとだけでもいい、さういふ妻の注意を窓のそとに向けさせて、自分と一しよになつて、そこいらの山の端にまつしろな花を簇がらせてゐる辛夷の木を一二本見つけて、旅のあはれを味つてみたかつたのである。
そこで、僕はさういふ妻の返事には一向にとりあはずに、ただ、すこし声を低くして言つた。
「むかうの山に辛夷の花がさいてゐるとさ。ちよつと見たいものだね。」
「あら、あれをごらんにならなかつたの。」妻はいかにもうれしくつてしやうがないやうに僕の顔を見つめた。
「あんなにいくつも咲いてゐたのに。……」
「嘘をいへ。」こんどは僕がいかにも不平さうな顔をした。
「わたしなんぞは、いくら本を読んでゐたつて、いま、どんな景色で、どんな花がさいてゐるかぐらゐはちやんと知つてゐてよ。……」
「何、まぐれあたりに見えたのさ。僕はずつと木曾川の方ばかり見てゐたんだもの。川の方には……」
「ほら、あそこに一本。」妻が急に僕をさへぎつて山のはうを指した。
「どこに?」僕はしかし其処には、さう言はれてみて、やつと何か白つぽいものを、ちらりと認めたやうな気がしただけだつた。
「いまのが辛夷の花かなあ?」僕はうつけたやうに答へた。
「しやうのない方ねえ。」妻はなんだかすつかり得意さうだつた。「いいわ。また、すぐ見つけてあげるわ。」
が、もうその花さいた木々はなかなか見あたらないらしかつた。僕たちがさうやつて窓に顔を一しよにくつつけて眺めてゐると、目なかひの、まだ枯れ枯れとした、春あさい山を背景にして、まだ、どこからともなく雪のとばつちりのやうなものがちらちらと舞つてゐるのが見えてゐた。
僕はもう観念して、しばらくぢつと目をあはせてゐた。とうとうこの目で見られなかつた。雪国の春にまつさきに咲くといふその辛夷の花が、いま、どこぞの山の端にくつきりと立つてゐる姿を、ただ、心のうちに浮べてみてゐた。そのまつしろい花からは、いましがたの雪が解けながら、その花の雫のやうにぽたぽたと落ちてゐるにちがひなかつた。……
「辛夷の花」(堀辰雄)より
2013.03.26
ミジンコの幼生誕生 中学3年生の宗教の授業「最も小さい者」と出会う
2013.03.26 Tuesday
「不二聖心のフィールド日記」では、3月24日から、本館前の築山の池で採集したミジンコの卵の成長記録を紹介してきましたが、ついに3日目にして幼生が誕生しました。まもなく体外に出ると思われる幼生の目の色も昨日の赤から母親と同じ黒に変わっているのが画像を見るとわかります。母親の周りを幼生が泳いでいました。動画ではその様子も見ることができます。
今日のことば
中学3年生の宗教の授業で、「マタイによる福音書」の「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは。わたしにしてくれたことなのである。」という言葉を読み、世の中の「最も小さい者」と言える立場や境遇の人々について調べ発表するという授業をしました。その中からいくつかの発表を紹介します。
この写真は、ダッカの街角で撮られた、台車に住んでいる老婆の写真です。この老婆は高齢で膝が悪いため歩けません。そのため一日中、この台車の中で過ごしています。雨や太陽の光を防ぐためビニールシートがかぶせられています。時々、ストリートチルドレンに頼んで引っ張ってもらいながら移動をして生活しているそうです。ストリートチルドレンはこの老婆の手や足となって生活しているのです。写真を見る限り、この老婆は家もなく食べ物もなく、服も毎日同じものを着ていて、家族もいなくて寂しそうに見えます。しかし、老婆はストリートチルドレン達に生きていくすべを教えているのだそうです。自分が今まで生きてきた人生の中で役に立ったことをストリートチルドレン達に教えているのです。だから老婆は親がいないストリートチルドレン達にとって母親みたいな存在なのです。このような厳しい環境にありながら、老婆もストリートチルドレンもお互いに支え合いながら生活していて素敵だなと感じました。世界にはこのような貧しい環境で一日一日を必死に生きている人達がいることを忘れずに日々感謝をして生きていきたいと感じました。(R・U)
みなさんは、公園などで野宿生活をしている人々を見たことがありますか。きっと、ほとんどの人が見たことがあると思います。そうした人々はさまざまな理由で一定の場所に住めなくなり、解放会館などを住所として住民登録をしています。住所がないと、ハローワークなどで紹介される仕事は一切できず、保険のサービスや選挙権が奪われてしまうからです。しかし、2007年、大阪市が講演で野宿生活をしていた人々のテント村を強制撤去し、それに続いて他の3か所の解放会館などに登録がある2088人の住民票を抹消しました。この写真の男性はダンボールハウスが撤去され、愛犬とともにさまよい歩き、この撮影から1週間後に体調を崩して保護されたそうです。そもそも、大阪市は30年にわたって解放会館での住民登録を認めていました。2006年には、大阪地方裁判所で河川敷や公園のテントを住所として認めるとする判決を出しています。それなのに、その1年後、今度は大阪高等裁判所の判決で社会通念上住所と言えないと否定したのです。
みなさんは、突然、誰かの手によって自分の家を奪われたらどうしますか。私は納得できなくて裁判をおこすかもしれません。だけど、彼らはその抵抗すらできません。私たちには一人ひとり居住の権利があります。社会的立場の弱い人だけ、それを奪われていいわけがありません。
世界に目を向けて考えると、まだ良い方だと思う人もいるかもしれません。でも私は平和だと言われている日本の中にも、こういう人権侵害だと言える問題があることを知って驚いたし悲しくなりました。戦争がないことだけが平和なのでしょうか。私たちはこの現実を忘れずに、これから考えていかなければいけないと思います。(М・М)
アフリカのほぼ中央に位置する人口約600万人の小さな国、ブルンジ。この国では、以前からずっとフツ族とツチ族が対立していましたが、その争いがますます激しくなり、1993年の大統領暗殺をきっかけに、大量虐殺が行われました。そして、1999年までに約110万人もの人々が家を追われ、近隣諸国へ逃れました。国内に残った多くの人々は避難民となりました。
人が死ぬことが日常となるような生活の中で、病院や無料診療所で、「国境なき医師団」が援助活動をしています。周囲のジャングルなど、ゲリラが潜んでいるような危険な場所でも治療を行う彼らは、まさに「最も小さい者のために働く人」ではないかと思います。私だったらきっと、自分も死んでしまうかもしれないような所で、人を助けようとは思えないと思います。しかし、「国境なき医師団」の医師たちは、「国境なき医師団の支援を受けている病院なら、無料で治療を受けられる」と遠くから何時間もかけてやってくる人々を見捨てるわけにはいかないと、必死に苦しみを乗り越えています。
はしかやマラリアなどが発生してたちまち広がってゆき、1年に満たないうちに、人口の3分の1に匹敵する200万人が発症し、多くの人が命を落としたそうです。医療の環境も悪く銃声を身近に感じることも少なくないのに、助けを必要としている人々の元にかけつけられる人は、人のために生きている人だと思います。私は、ブルンジへ行き誰かの命を直接救うことはできませんが、募金などを通して「最も小さい者」のために何かできる人になりたいです。(T・Y)
「マタイによる福音書」25章より
「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」
2013.03.25
卵を持ったミジンコ② 水質をかぎわけるサカマキガイ
2013.03.25 Monday
1枚目の写真は昨日紹介した、卵を持ったミジンコの写真です。2枚目は今日の写真です。卵が形を変え、赤い点のような目もはっきり見えます。3枚目の写真は水道水を入れたケースの中のサカマキガイの様子です。築山の池で採集しました。水道水を嫌ってか、水上に出ているのがわかります。4枚目の写真はその1分後の写真です。サカマキガイが水の中に入っています。実はその間に水道水を池の水に変えました。サカマキガイは水質の変化を水上にいてもすぐに感知したのです。
今日のことば
日本についてこの地で私たちが経験によって知り得たことをお知らせします。この国の人々は今まで発見された民の中で最高であり、異教徒で日本人より優れている人々は見つけられないでしょう。
フランシスコ・ザビエル
2013.03.24
築山の池の卵を持ったミジンコ
2013.03.24 Sunday
築山の噴水の池から採集したミジンコが卵を持ちました。透明な体の中にある卵がはっきりと写真にも写っています。画像をクリックすると体内の器官が動く様子がわかります。生態系の底辺を支えるプランクトンの生きる姿です。
今日のことば
セザンヌの悩みを救ってくれたのはたぶん故郷の山や川なのかもね。たぶん人間は友人のほんの少しの思いやりや、ずっとかわらずにある自然のように、ささやかなもので救われるんじゃないかしら。
あるフランス人女性の言葉 『旅だから出逢えた言葉』(伊集院静)より
2013.03.23
桜の開花 NHK「にっぽん紀行」坂本健一さん
2013.03.23 Saturday
不二聖心でも桜が開花しました。古今集に「春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり」という歌があります。青空を背景にして咲く桜の花々にカメラを向けながら「命なりけり」の思いを深くしました。
3月20日の夜のことです。ある生徒から電話がありました。「先生、今テレビを見ていますか。坂本さんが出ています。」と生徒は教えてくれました。あわててテレビに目をやると、大阪の古本屋、青空書房の坂本健一さんの日常を追った「にっぽん紀行 ― 89歳のラブレター ―」が放映されていました。授業で聞いた坂本健一さんの話を覚えていたその生徒はわざわざ電話で「にっぽん紀行」に坂本さんが出ていることを教えてくれたのです。坂本さんは、以前に不二聖心の生徒に便箋23枚の手紙をくださった方です。他にも何通ものお手紙をいただき、いつしか心の中に坂本さんの名言集が収められるようになりました。以前にいただいた葉書の中には、「若いときただ真実真理をのみ追い求めて来ましたが今私は日に日に命と云うものを考えて居ります」と書かれていました。89歳になられた坂本さんの姿を久しぶりに拝見して、坂本さんのその言葉を思い出しました。
今日のことば
昨日の新聞から206 平成22年9月13日(月)
『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』(さかもとけんいち SIC)を読む
―― 不二聖心の生徒たちに便箋23枚の手紙をくださった方の本 ――
7月のある日のことでした。授業を終えて職員室に帰ると自宅からのメッセージが机に届いていました。大阪の坂本健一さんから電話があったことを知らせるメモでした。早速、坂本さんに電話をしてみると、「今度本を出すことになったから蒔苗さんのところにも一冊送ります。」とのことでした。
この話を聞いて僕は小躍りしました。かねてから坂本さんの名文にふれていた僕は、坂本さんの書いたものが一冊の本になることを心待ちにしていたからです。僕と坂本さんとの関わりは、かもがわ出版から出ている『のこすことば 第六集』に収められている僕の文章を読むとよくわかりますので、次に引用してみたいと思います。
私は、静岡県裾野市で中学3年生に国語を教えています。昨年から授業の最初に新聞などに載った良い文章を一編読んでそれから授業を始めるということを始めました。その68回目に小説家の山本一力さんの文章を取り上げました。大阪で青空書房という古本屋を経営する坂本建一さんが登場する文章です。文章の中には店頭に貼られている紙の言葉も紹介されていました。
「生きるのがいやになったとき、読む本があります。一緒に探しましょう。」
坂本健一さんは、書店を訪れる人の話を聞き、その人にぴったり合った本を薦めてくれるのです。
山本一力さんの文章を読み終えた時です。一人の生徒が「坂本さんに本を紹介してほしい」とつぶやいたのがはっきり聞こえました。その声を聞いていつか大阪の坂本さんに会いにいきたいと強く思いました。
夢がかなう日は意外に早くやってきました。11月8日に大阪に行く用事ができ、その用事を済ませてから時間をつくって青空書房を訪ねました。中学3年生に向けて何か本の話をしていただきたくてまいりましたと来意を告げると、坂本さんは椅子をすすめてくださり、約1時間、本の話をしてくださいました。心に残る話をいくつも聞くうちに、一語たりとも聞き漏らしてはもったいないという思いが強くなり、途中からメモを取るようにしました。そして翌週の授業でその言葉をプリントして配りました。プリントを読んだあとで、生徒たちに坂本さんに手紙を書こうと呼びかけ、お礼の気持ちをこめて生徒たちの書いた文章を坂本さんに送りました。
それから1月ほどして、分厚い封筒が坂本さんから届きました。それは便箋23枚に及ぶ生徒たちへの返事の手紙でした。一人一人の生徒に向けて温かい言葉が綴られていました。最初のメッセージは次のような内容です。
「読書は人間のしるしです。ろばは本を読みません。(中略)だんだん読書人より「ケータイ」がええ人も増えて来ました。頁を繰ったり、意味を考えたりするのが邪魔くさくなったヒトが「ケータイ」派になって行きます。青空のおっちゃんは考えます。自分で読むのを止めたり考えることをサボった人が増えると支配者や権力者に都合のよい世の中になります。読書する人は想像力が豊かです。想像力が豊かだと優しくなります。相手の痛みや辛さが理解できるからです。相手の痛みが解らないヒトは自分の痛みを予感できません。首を切られてからイタイのでは遅いのです。」
このような言葉が便箋二十三枚にわたって綴られていました。手紙を読んだ一人の生徒は、坂本さんとの出会いは自分の宝だと言いました。八十歳を過ぎてなお働き続ける坂本さんの、人生の知恵に満ちた言葉は、生徒たちの心に一つの灯をともしてくださったと感謝しています。
このあとも坂本さんとの手紙のやりとりは続き、坂本さんから僕は多くのことを学んできました。坂本さんのことを僕はひそかに心の師だと思っています。たくさんの本を紹介してきた「昨日の新聞から」の仕事をほめてくださった時にも、坂本さんは「蒔苗先生のすばらしい読書力には脱帽します。しかし先生のこれ以上ないと思われる人生の本とは何でしょうか。魂をゆさぶられる本、一冊でも多く会えたら良いなあと思っています」と言ってくださいました。こういうことを言ってくださる方こそ師と呼んでいい人ではないかと僕は思っています。
さて心の師と仰ぐ坂本さんの文章を不二聖心の生徒のみなさんにもできるだけたくさん読んでほしいと思っています。『浪華の古本屋 ぎっこんばったん』の中から特に心に残っている文章をいくつか紹介しましょう。
時代遅れの古本屋
今は亡き河島英五の歌に「時代遅れの男になりたい」と云うのがあるが、別になりたくってなったのではないが、私など完璧に時代遅れそのものである。何故ならケータイ持たず、パソコン知らず、車に乗れず、三百六十五日毎日ギッコンギッコンペダルを踏んで、背を曲げ、えっちらおちっちら八十四(才)の坂を駆け上っている。どん臭いと云おうか不器用と云うべきか…だから私の雅号は呆。もうこのIT時代に生き兼ねる代物であるが、まあ、いいか。齢八十四、あとどう考えても先は知れている。慾はないが恥をかくことは多い。遠い昔、新婚三ヶ月目の妻に「あんたは甲斐性無しや」と指摘された。それが当たっているから口惜しい。古本屋をやっているが、その実、古本讀屋を続けている。つまり讀書人なのである。
ただし、ポリシーがある。売る辛さも知っている。買う辛さも体験済みである。だから、天秤にかけたり、狡い駆け引きする奴は相手にしたくない。安く売りたい。戦後、鎌倉文庫と云う鎌倉在住の文士達によって作られた雑誌の創刊『人間』発売日。胸弾ませて天神橋筋五丁目、N書店に買いに行ったとき、「みんなお米か野菜もって買いに来はるで」と断られた記憶がある。食料不足の最中、仕方がなかったかも知れないが、若い文学青年は大いに憤ったものである。今、本巷に溢れ、飽食の時代。想像もつかない当時の苦い想い出が、私そして貧しく真面目な向学の青年達に一円でも安く良書を提供したいと創業以来の念願である。綺羅を飾った豪華稀覯本より素朴な装幀で内容のある一冊をすすめて居る。
かつて古本屋はお客に語りかけないのがサービスであると教えられた。今もそうであるかも知れないが、私は本以前に人間が好きである。だからその人の探している本を一緒にさがし、その作家、作品に就いて語り合うことが多い。特に若い人には多くの期待を寄せている。だから持てる知識を出来るだけ多く頒けて行きたい。それが私がこの世へお礼を返すたった一つの方法である。幸い私は蒟蒻弁当のみで苦学した青春の文学歴があり、近代日本文学への愛着も深い。そして古事記、万葉も少しはかじっている。文学を好きになり、人をおもろいなあと思わす位いの材料は持っている。
本との出合いも一期一会
本は生きてます 大切に
二度とない人生 本を読もう
コイン一枚で叡智を友に出来るのだ
一生に一度の出会いそんな本がある
挫折が人生を深くする
蹉跌が新しい明日を導く
湧き出る言葉がある。メモに書いて店の隅に貼る。その癖、人に見られると、恥づかしい。
次もまた、坂本さんの本への思いが伝わってくる文章です。
つける薬がないヒト
五十才か六十才位の男である。最初漱石の文庫を棚から引出してちょっと見ていたが直ぐ棚に返し、ぐるっと廻ってその裏側の棚から翻訳ものの少しぶ厚いのをひっぱり出して解説を読みかけた。目が合うのを避けて私は他のお客さんの対応をしていた。十分位経ったか、男は私に気付いて、こちらに背を向け矢張り解説に読み耽っている…。我慢も限界にきた。精神衛生上頗る悪いと覚ったとき「お客さん、解説読んだってその小説は解りませんよ」とつい云って了った。
「何やて。それお客に向かって云うことか。お客がどこ読もうと勝手やないか」
「お客さんと云うのは本を買って頂いて初めてお客さんですよ。十分も二十分も立ち読みせんとわからんようやったら止めてください」
「何云うてんねん。どこ読もうと客の自由やないか。梅田へ行って見い。椅子出して一時間でも二時間でも放っといてくれるで。たかが本ぐらいのことでごじゃごじゃ云うな」
「たかが本ではないのです。そこら中に書いてますやろ。本は生命ですって。本は生きてますって」
「何云うとんのや。本は紙と活字だけや。死んでるやんか。息してへんがな。生きてるやって…おっさん、あほちゃうか。今買わんでも明日買いに来たるかも知れん。本に触ったらみんなお客さんや。おっさんこの本一冊で飯食っとんのやろ。お客馬鹿にしたらあかんで」
「馬鹿にしてまへんけど、本は死んでると考えているような人に店に入って欲しない。出て行って下さい」
捨て科白を残して荒々しく男は立ち去って行った。折り曲げられた文庫を棚に戻しに立った。本は新潮文庫のノーマン・メイラー、中西英一訳『鹿の園』588頁。売り値は百五十円だった。本が汚されたように思えた。値段では無い。我が店に有る本は、文庫たりとも愛着惜かざる息子みたいなものである。
百人の人に百の顔がある如く百冊の本には百の生命がある。色々な受け止め方、感じ方は、読者の境遇・年齢・感覚などでさまざま。本の使命は重い。どっしりと思惑が閉じこめられているからやと思う。
本屋をひやかすのはいい。しかし御自身の人生をひやかして終わるのは如何にも空しい限りである。たった一度の人生であるから。
初めてお会いした時、坂本さんは「人間として生まれて本読ましてもらうのはものすごう幸せと思います。」とおっしゃいました。ここにも坂本さんの本への思いが見えます。坂本さんのたくさんの言葉にふれ、本を愛する生徒が一人でも増えることを願いつつ、「昨日の新聞から206」を終わりたいと思います。
2013.03.22
キジムシロの奇形 ホソヒメヒラタアブ 春型のベニシジミ
2013.03.22 Friday
「共生の森」でキジムシロの奇形に出会いました。本来、5枚であるはずの花弁が6枚あります。
これが複数の株で見られるようになると変種として認められる可能性が出てきます。そのためには、たくさんの昆虫が訪花して似通った遺伝子の子孫を増やす必要がありますが、「共生の森」には、その受粉昆虫がたくさんいます。今日は、その中からホソヒメヒラタアブと春型のベニシジミを紹介しました。
今日のことば
一匹の虫は、まるで一つの俳句のようだ。とても小さいのに、読み解くことによって、そこには宇宙大の時空間が広がる。
小池昌代
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