フィールド日記
2013年01月
2013.01.21
気生藻類のスミレモ
2013.01.21 Monday
今週は金曜日にマラソン大会が行われます。マラソン大会のコースになっている裏道の坂では気生藻類のスミレモを観察することができます。
スミレモは緑藻類に分類されますが、写真を見てわかるように実際の色はオレンジ色をしています。これはニンジンでよく知られるカロチノイド系の色素をためこむ性質がスミレモにあるからです。静岡県東部は、今夜は雪の予報が出ています。もし予報通りになったら、雪の白にスミレモのオレンジが鮮やかに映えることでしょう。
今日のことば
雪の日の紅茶の色を愛しけり
日野草城
2013.01.20
カンアオイ 不二聖心に流れる1万年という時間
2013.01.20 Sunday
全国各地で絶滅危惧種に指定されているカンアオイを不二聖心ではたくさん目にすることができます。カンアオイは地面に接するような位置に花をつけるため、生息域を1キロ拡大するのに1万年程度かかると言われます。その貴重な花は秋から冬にかけて開花します。
今年もカンアオイはしっかり開花しただろうかと気になり、裏道を少し歩いてみました。
葉は見つけても花をつけている株はなかなか見つかりませんでした。森の斜面でようやく花を見つけ、4年前に初めてこの花を目にした時の感動がよみがえってきました。今日の「今日のことば」では、その時に書いた文章を紹介します。
今日のことば
昨日の新聞から152 平成21年2月2日(月)
『植物入門』(前川文夫 八坂書房)を読む
―― 不二聖心に流れるもうひとつの時間 ――
先週の日曜日に学校で「昨日の新聞から151」の印刷をすませたあと、少しだけ裏道を歩いてみました。
食用にもなるキノコ、アラゲキクラゲやもともとは南方系の蛾であるヒロヘリアオイラガの繭など、今まで記録したことのない生物をいくつか写真に撮りながら歩いていき、裏道を降りきったあたりで、ある一枚の葉を目にして立ちどまりました。その一枚の葉を見た瞬間に、『ヒガンバナの博物誌』の著者として知られる栗田子郎氏のホームページに今年の1月13日に新たに加えられた文章のことを思い出したのです。それは次のような文章でした。
この季節、雑木林の道の辺は枯れ落ち葉に覆われ寒々としているが、所々でしっかりとした緑の葉群が弱い冬の日差しを受けている。カンアオイ、通称カントウカナイオである。だが、その花は積もった落ち葉に隠されて見えない。失礼して、枯葉の褥をはずして写真を撮らせていただいた。褥の中には温もりがこもっていた。
カンアオイの存在を知ったのは高校1年の課外活動で生物部に所属したころだと思う。ずいぶん地味な花だなと感じた程度だったのだろう、はっきりとした記憶はない。
しかし、理学部の生物学科に進学してからの講義でこの植物とその仲間がただ者でないことを知った。ことに、前川文夫さんのカンアオイ亜科の地理的分化と数千万年にわたる進化についての考察にはそのスケールの大きさに感激したものであった。
この文章を読んだ時に、自分も一度山野に自生するカンアオイをぜひ目にしてみたいと思いました。そして数千万年にわたる進化の歴史をその花を通して感じてみたいと思ったのです。不二聖心の裏道を歩いていて僕が思わず立ちどまったのは、栗田さんのホームページで見たカンアオイの葉とそっくりの葉が目の前にあったからです。しかし、それがカンアオイだという確信がすぐに得られたわけではありません。その葉がカンアオイであるためには、根を覆う枯葉の中に花が咲いていなければならないのです。高まる胸の鼓動を感じつつ、しゃがんでカンアオイの根の周りの枯葉を一枚ずつはがしていきました。
ありました。そこに、写真で見た花とよく似て、さらに美しいカンアオイの花が。感激した僕は急いで花の姿を写真に何枚も収めました。
実物を見ることの意味を感じるのはこういう時です。こうなると俄然、カンアオイに対する関心が高まっていきました。カンアオイについて知るためには先ず前川文夫さんの本を読むべきだと考え、最初に『植物入門』の中のカンアオイに言及した箇所に目を通しました。前川文夫さんは『植物入門』の中でカンアオイを次のように説明しています。
一株に一枚~二枚の常緑の葉は、冬の真最中にもよく目立ちます。柄はよごれた紫、ちぎると独特の匂い、一月から五月ごろまでの間に葉の根元につくこりこりした花、こわしてみると内側には網目があるなどが目じるしです。山の北斜面が好きです。
花がすんで実になっても形は変わらず、やがて花と柄とのつづき目が粒々にくずれてきます。注意してみると、その中に茶色の種子がまじっています。
種子のひろがり方は、風に乗るタンポポ、人にたかるイノコズチ、鳥にくわれるウメモドキなど、いろいろありますが、カンアオイはその点ではまったく能なしで、親の株の根元に落ちるだけです。
それも地面についた実から落ちるので、せいぜい親の株から一〇センチとは離れることができません。結局、親とせり合いとなるのですが、運よく少し離れて生えたものだけが一人前になります。しかも、毎年葉を一枚か二枚出すようなゆっくりしたもので、花を開くまでには早くて五年はかかるでしょう。親株から十センチ先を占有して子孫をつくるのに、ならして十年では足りないほどです。
というわけで、山の斜面を、横へ横へと子孫をふやして行くのには、この計算では一〇〇メートルですでに一万年となります。しかし自然では永い間には山が平らにもなるし、低いところが高くなることもあるので、今少し速くひろがるチャンスはあると思われますので、一万年の間には一キロは行けるだろうと推定したわけです。
この文章を読んで、1キロ分布を広げるのに1万年かかるという話に先ず驚きました。在来種の生息域にあっという間に侵入し占領してしまう外来種の話を頻繁に聞いている自分にとって、1キロ1万年という数字は思わずため息の出るような長い時間でした。
さらに興味深かったのは、前川さんが『植物入門』の中に載せているカントウカンアオイの分布図です。そこには三浦半島から房総半島にかけて帯のように広がるカントウカンアオイの分布域が示されていました。当然、海の部分は帯が切れています。この図からわかることは何か。海の部分を除けば一本の帯のように分布域はつながるわけですから、これはかつて三浦半島と房総半島が陸続きであったことを示しています。生物の分布の様相は時に地学の研究にも重要な示唆を与えてくれることがありますが、これもその一例だと思いました。
その後も前川文夫さんのいくつかの著書に目を通し、前川さんにとってカンアオイが特別な意味を持った植物であることを知りました。『植物入門』の中には「息抜きにハイキングに行かれたおりに、ちょっと気にして下さって、できればその場所をお知らせ頂ければ、新しい資料としてありがたいことです」という一節もあり、何かそれが泉下の前川さんからの励ましの声のように感じられて、気がつけばカンアオイについて考えているということが続きました。
そうして迎えた木曜日の夜のことです。今年に入ってから撮影した写真を整理していて、日曜日に発見したカンアオイとは全く異なる模様の、カンアオイらしい植物の葉の写真を見つけたのです。特徴的な葉をしていたのでとりあえず写真に収め、そのまま忘れていた一枚でした。撮った場所が牧草地の上の林道であることは覚えていますが、それ以外の記憶は全く残っていません。しかし改めて眺めてみると、それはどうみてもカンアオイの葉に見えるのです。林道は裏道からだいたい1キロぐらいの距離のところにあります。もしカンアオイであれば、不二聖心の敷地内で1万年の時間をかけて分布を広げていったということになります。
さらに、注目したのは葉の模様です。葉の形は裏道のカンアオイの葉とよく似ていましたが、模様が全く違っていたのです。模様が全く違うということは種も違うのかもしれない。ということは、不二聖心の敷地内で種分化が起こった可能性もある。分布を拡大するのに時間がかかる生物は種分化がおこりやすいというのはよく言われることなのですが、その可能性を思うとまたまた胸が高鳴るのを感じました。
この写真がカンアオイであるかどうかを確かめるためには、もう一度この植物を見つけ、根元の枯葉をよけて花が埋まっているかどうかを確認する必要があります。一刻も早くそれを確認したいと思いました。
確認に必要な時間は少なくとも20分。それだけあれば林道まで行って確認できるかもしれない。
金曜日の朝、この計画を実行に移しました。週末まで待つことはできませんでした。木曜日の時点で土曜日の予報は大雨、林道の環境が変わってしまう恐れがあったのです。
雨の朝でした。地面はぬかるみ、雨は容赦なく木々の間から落ちてきます。探し始めてすぐに、悪条件の中、記憶だけを頼りに一枚の葉を林の中から見つけ出すことはたいへん難しいことだと気付きました。どれだけ歩いてもカンアオイらしき葉は見付かりません。学校に行かなければならない時間も近づいてきます。とうとう僕はあきらめることにしました。むなしく林道から牧草地へと向かう帰り道、頭にひらめくものを感じました。前川文夫さんの文章の一節が頭の中によみがえってきたのです。「(カンアオイは)山の北斜面が好きです。」という『植物入門』の一節です。
幸い、中学3年生の国語の授業で「南大門」について話をする機会があり、不二聖心の地理の中でどちらが南を指しているかを方位磁針で確認したばかりでした。北はその反対を見ればいいわけです。もう一度、林道を戻り、北側に向いた斜面を探しました。
そしてついに見つけました。間違いなくあの写真に収めたのと同じ模様の葉です。雨に打たれながら根元を探りました。そこにカンアオイの小さな花を見つけた時の感動を忘れることはないでしょう。
ここではっきりしたことは、不二聖心の中には少なくとも2箇所のカンアオイの自生地があり、その間隔は1キロを超えている、そして二つの自生地の間には1万年の時間が流れているということです。このカンアオイが不二聖心の敷地の外に分布を拡大するにはさらに1万年程度の時間を要するだろうと思われます。
これ以上、地味にはなれないというぐらい、控え目な姿をしたカンアオイの花。しかしその花の一つ一つは1万年という時間を背負っています。聞くところによるとカンアオイは環境の変化に弱い植物だそうです。しかも他家受粉をしますから、花粉の媒介者がいなければ次の世代を残すことはできません。さらには、カンアオイの消滅は、種としての消滅だけでなく、カンアオイの葉を唯一の食草としているギフチョウ(「春の女神」と言われる美しい蝶です)の消滅にもつながっていくのです。
安堵感を抱いて林道を歩きつつ、このような貴重な生物を大切に守っていきたいと強く思いました。
2013.01.19
シナモンの香りのヤブニッケイとクスクダアザミウマの関係
2013.01.19 Saturday
キャンプ場のヤブニッケイ(クスノキ科)の葉からクスクダアザミウマを採集しました。体長は約2ミリです。クスクダアザミウマはクスノキ科の樹木に発生して木を枯らしてしまうことがあります。ただし、クスクダアザミウマ自身は植物の汁を吸うだけで、樹木に決定的な打撃を与えるわけではありません。クスクダアザミウマが傷をつけることで、もともと樹木の中に存在した炭疽病菌の活動が活発になり炭疽病が木を枯らしてしまうのです。しかし写真からもわかるように不二聖心のヤブニッケイの葉の色は生き生きとしています。これはキャンプ場の土が良いために樹勢に力強さがあり、多少の病原菌はものともしないからだと考えられます。
今日のことば
緑を増やして、緑のそばで仕事をしたり、ものを考えたりすることは、人間の心を非常にやわらかくすることだという思想が近年われわれにも根づいてきたと思います。ですから、人類の未来に希望のない発言が最近しばしばありますけれども、地球の緑さえ守ってゆけばわれわれにも未来がある、子孫たちはなんとか生きられるだろうということが、近ごろしきりに思われてならないのです。緑は、すべての基礎です。
司馬遼太郎
2013.01.18
ロウバイの蕾
マリアガーデンのロウバイの蕾が少しずつ開き始めています。2002年1月13日の朝日新聞の「花おりおり」(湯浅浩史)というコラムでロウバイは以下のように説明されています。
2002年1月この時期ひっそりと咲く。が、知る人ぞ知る。香り、色、それにロウ細工のような花。個性豊かで冬の得がたい花である。名の由来に2説。一つは臘月(ろうげつ)、つまり陰暦12月に咲く、ウメに似た花の臘梅。またはロウ状の梅からの蝋梅(ろうばい)。分類上はロウバイ科で、萼(がく)と花弁が連続し、ウメとは縁遠い。
日本に伝来したのが17世紀の前半と言われますので、それ以来、約400年の間、日本人はこの花の開花に立春の近いことを感じ続けてきたのだと思います。
今日のことば
昨日の新聞から184 平成22年1月25日(月)
『三行の智恵』(葉祥明 日本標準)を読む
―― 著名な絵本作家による生き方についてのアドバイス ――
僕は「モルゲン」という、主に高校生を対象として作られている新聞を愛読しています。その中に書評のコーナーがあって、そこではプロの書評家ではなく、高校生や高校の教師がさまざまな本を紹介しています。最新号の中で、新潟県立国際情報高校の山本寛先生が葉祥明の『三行の智恵』という本を紹介なさっていました。独特の画風で知られる、著名な絵本作家の葉祥明さんは、生き方についての御自身の思索のあとをまとめた著作を何冊か刊行しています。これまでそれらの著作からさまざまな生きるヒントを得ていた僕は、たまたま書店で『三行の智恵』を見つけてすぐに購入し一読して深い感銘を受け、いつか生徒のみなさんにも紹介したいと思っていました。そのような時に、同じようにこの本に感動した方の存在を知り、うれしく思いました。僕の思いを代弁するかのような、山本寛先生の紹介文を次に引用してみたいと思います。
「よりよく生きる」という言葉を目にする機会が多いように感じる。高度経済成長を支えたパラダイムの崩壊によって、私たちは「目に見える、物質的豊かさ」から「目に見えない、内面的豊かさ」を知らず知らずのうちに志向するようになっている。
「よりよく生きるための~」と題された書物の多くは、How to~ の類ばかりで、一見分かりやすい指針が示されているものの、私たちが真に求める「内面の豊かさ」を教示してくれるか、はなはだおぼつかなく感じていたのも事実である。しかし、本書はそうした書物とは明らかに一線を画している。わかりやすい3行の言葉で生きるための知恵を示してくれる。その一言は、平易だが深い。例えば、「がんばってもいい。しかし、がんばりすぎてはいけない」など。
一冊を読み終えた後、「中庸」を見失っていた自分に気づいた。私たちの思考は、あまりにも一つの方向に偏りすぎていなかったか。「よりよい生き方」にも正解があると思い、かえって生活を息苦しくしていなかったか。短い時間でも読めるが、深い読後感が残る一冊としてお奨めします。
「わかりやすい3行の言葉」で示された、より良く生きるための知恵をいくつか紹介してみましょう。
物を所有してもいい。
しかし、
それに振り回されてはいけない。
理想を持つのはいい。
しかし、
現実を無視してはいけない。
信念を持つのはいい。
しかし、
凝り固まってはいけない。
苦しみがあるのはなぜか。
それは、
成長するためだ。
悲しみがあるのはなぜか。
それは、
深くなるためだ。
人間の真の価値は、
地位や財産や才能ではなく
優しさや思いやりにある。
どんなに望んでも
そうならないものは
そうならない。
どんなに望まなくても
そうなるものは
そうなる。
知識は外から、
知恵は心の奥深くから
やってくる。
自分自身を、
これでいいともいけないとも
思い過ぎないように。
人は、この世では
本当は何も
所有できない。
この世で所有したものは、
いずれは失う。
親も子も、自分自身も。
自分の中に
豊かな愛を育む。
そのための人生。
あなたが、世界を
愛すれば愛するほど、
世界はあなたを愛する
このようにして3行の言葉が1ページに1組ずつ書かれています。全部でそれが96組あります。読む人によって感銘を受ける言葉は異なるでしょうが、すべての人が「この言葉は自分のためにある」と思える言葉と出会えることは間違いないと思います。ぜひこの本を手にとり、かけがえのない言葉との出会いを経験してください。
ちなみに僕は89ページの言葉が好きです。「人は世界を変えられる」でその言葉は始まります。何をすれば「人は世界を変えられる」のか。89ページを開いて確かめてみてください。
2013.01.17
クスノキとヤブニッケイマルカイガラムシ
2013.01.17 Thursday
不二聖心の植生の特徴の一つは、駿東地区でも珍しいと言えるほどクスノキの巨木が何本も見られることです。
クスノキにはさまざまな生物が集まりますが、中でも最も小さい部類に属するのが、下の写真のヤブニッケイマルカイガラムシです。約1ミリ程度しかありません。カイガラムシの周辺が赤黒く変色していますが、この変色を、カイガラムシによって葉緑素が壊されて隠れていたアントシアンが目立つようになったためだと推測する専門家もいます。もしそうだとすると秋の紅葉と同じことがクスノキの葉上でおこっているということになります。
今日のことば
人間は恐るべき獣であり、しかも同じ種族を餌食にする唯一の猛獣である。同じ種族が反目し、大量殺戮の戦争を起こすのは人間だけである。
ウィリアム・ジェームズ
2013.01.16
スイカズラにはなぜ「忍冬」という別名があるのか
2013.01.16 Wednesday
花の良い香りで知られるスイカズラは別名、忍冬(ニンドウ)といいます。常緑性で冬でも落葉しないところから、忍冬という名前がつけられました。葉を丸めて冬を乗り越えようとしている姿にはいかにも冬を忍んでいるという風情があります。
スイカズラの花をご覧になりたい方は下記のURLをクリックしてください。
https://www.fujiseishin-jh.ed.jp/field_diary/2013/05/4947/
今日のことば
現在伐採している杉や檜、あるいは里山の植物は、先祖からの遺産を利用しているということなのである。先祖によって生かされ、子孫のためにつくすという利他行為の精神が、里山維持の基本だということをしっかり心にとめることが大切である。
河合雅雄
2013.01.15
栗の毬の棘の一本一本に霜がおりました
2013.01.15 Tuesday
冷え込みの厳しい朝となりました。「共生の森」の隣の栗畑のクリの毬の棘の一本一本に霜がおりていました。
クリの葉の葉脈の一本一本にも霜が降りていました。
目を上に向けると陽の光を受けたクリの葉の絵描き虫のあとが鮮やかでした。
小さな冬芽の寒さに耐える姿も心に残りました。
今日のことば
空が美しいだけでも生きてゐられると 子に言ひし日ありき 子の在りし日に
空が美しいのも子が生きてゐてこそとかの日言はざりしゆゑに子に死なれしか
ひとみいい子でせうと言ひし時いい子とほめてやればよかりし
『母の歌集』(五島美代子)より
2013.01.14
ナツグミの虫えい(虫こぶ)
2013.01.14 Monday
御殿場に茱萸沢(グミサワ)という地名があることからもわかるように、駿東地区ではグミ類の樹木を数多く目にすることができます。不二聖心の林内にもたくさんのグミの木が生えています。写真に写っているのはナツグミで、これもグミの仲間です。中央に小さな虫こぶが見えます。この中に1ミリ程度の小さな生物が生活している様子を画像に収めることができましたので、関心のある方は下記のURLをクリックしてみてください。虫こぶは、虫が出した化学物質の影響を受けて植物が作ってしまう虫の子ども部屋です。それを考えると画像に映っている生物が虫こぶの形成者と思いがちですが、どうやらそうではないようなのです。画像に映っている生物は、虫こぶの形成者の子どもが巣立ってから、その部屋を間借りしている可能性が高いことがわかりました。小さな生き物たちの世界も実に複雑なつながりを持っているようです。
https://www.youtube.com/watch?v=7FZbv_PKjHA
今日のことば
キングスレイ・ウォード(『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』の著者)は生活のバランスを保つ重要さも息子に教えている。
仕事に行き詰ったら、一時、心の中にその問題を預け、しばらく寝かせる。
その間に、運動したり読書をしたりすること、特に自然に接することを勧めている。自然の中で釣りをしたり狩りをしたりして、時間がたてば無意識の内に考えが整理され、まとまってくる。
そういう意味で、自然がこの世の中での最高顧問であると言う。
佐々木常夫
2013.01.13
ツツジの幼木の紅葉
2013.01.13 Sunday
牧草地の横の道の脇に生えているヒノキの根元にツツジの幼木を見つけました。ドウダンツツジなどの真赤な色の紅葉も魅力的ですが、このような幼木の控えめな紅葉にもまた格別の味わいがあります。モチツツジの幼木ではないかと思われます。
モチツツジは主に東日本に分布し、西日本には近縁種のキシツツジが見られます。四国の東部では分布域が重なっているようです。キシツツジは牧野富太郎博士により、高知県で採集された標本に基いて1908年に記載されました.
今日のことば
私は、草木に愛を持つことによって、人間愛を養うことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮ほどの偉物であったなら、きっと私は草木を本尊とする宗教を樹立して見せることができると思っている。
牧野富太郎
2013.01.12
ムシバミコガネグモの生息を確認 静岡県で2例目
2013.01.12 Saturday
1月9日の「不二聖心のフィールド日記」で紹介したコガネグモについて、東京大学大学院農学生命科学研究科生物多様性科学研究室の谷川明男先生から以下のような回答が届きました。
お送りいただきましたコガネグモ,本日,無事に到着いたしました.さっそく拝見いたしましたが,まさにムシバミコガネグモでした.大変貴重な記録となりますので,日本蜘蛛学会のニュースレター「遊絲」にこの記録を掲載させていただけないでしょうか。
日常的に目にしていたクモが大変貴重なものだと知り、驚きました。親グモの近くには子グモもいました。次世代の個体もしっかりと育っています。
今日のことば
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの
誰も知らず
歓声よりも長く
興奮よりも速く 走ろうとしていた
あなたを
少しでもわかりたいから
人々がみんな立ち去っても私
ここにいるわ
「ノーサイド」(松任谷由美)より