フィールド日記
2012.12.02
ヤツデの花 トゲハネバエ
2012.12.02 Sunday
校舎の裏の林の中でヤツデの花が咲き始めました。12月に入ると花の数はめっきり少なくなりますので、冬に活動する生物にとっては、ヤツデの花の花粉や蜜は貴重な栄養源となります。
写真に小さく写っている昆虫は双翅目の昆虫で、専門家の方に同定を依頼したところ、まだ標本や文献の整理の進んでいないトゲハネバエ科の仲間であることがわかりました。「複眼沿いの剛毛が1本で肩瘤に剛毛が無いのでSuillia属の可能性が高い」との推測でした。
今日のことば
集会の翌週、外来でお会いした患者さんが、ニューヨークタイムズ紙のある連載を紹介してくださった。彼と同じ病気を患う記者によるエッセイである。『精神の恢復を待ちつつ家で憂慮する日々』と題した十月二十日付の紙上には、病に対処しようとする作者の心の内が認められていた。
「憂慮は私の友である」。「スターバックスでの気ぜわしい一時間の会話はもう沢山だ」。
「この期間を通して意識的、無意識的に、私は自分の生活を単純化させてきた」。
「私は自分の所有物に所有されるのではなく、それらを切り捨てることに深い喜びを覚えるようになった。私は取りつかれたように古いEメールのメッセージを排除していった。まるでそれらががん細胞であるかのように」。引き込まれるように一文、一文を読みながら、先の集会の一室でスピリチュアリティの話を伺ったことを思い出した。(中略)
あらゆるメディアに人の目を引く文字が氾濫する昨今、虚飾のない言葉に触れることは稀になった。
めまぐるしい日常から一歩身を引いた時、そうした言葉が私たちの中にすっと入ってくる。
一番星の光が強まってきた。森の音、川の音が上流より聞こえる。バーモントは冬に入った。
川辺の木々は何に抗うことなく葉を落とし続ける。大地が雪や氷に覆われるまで、その営みは続く。
虚飾のない言葉は、自然の営みに似ている。語り手の心を離れた言の葉は、読み手の心の中を降り、そっと積もっていく。そしていつしか土になるだろう。読み手に何ができるわけでもない。それでも自然の中にいるように、心から舞ってきた言葉には、静かに心を開いていたいと思う。
「アメリカ便り」(森雅紀)より