フィールド日記
2012.11.13
ベニバナボロギク ショウジョウクロバエ
2012.11.13 Tuesday
不二聖心の今朝7時の気温は、7度でした。朝晩の冷え込みがだいぶ厳しくなってきました。
「共生の森」には多くの帰化植物が生えていて、寒さの中でも元気に花を咲かせています。写真の植物はベニバナボロギクで、戦後あっという間に、日本各地に広がりました。戦時中は東南アジア各地に出征した兵士が南陽春菊と呼んで食用にしていたそうです。
すすき野原に咲いている野菊にショウジョウクロバエがとまっていました。夏にやや高い山に現れるハエですが、11月に不二聖心で見られるとは驚きです。個体レベルでも寒さに対する耐性はそれぞれで異なるのかもしれません。
今日のことば
A級戦犯の夫 思いやる夫人 無職 升水 一三 (東京都大田区 77歳)
「時の墓碑銘 此人等信念もなく理想なし」(5日朝刊)が、私を半世紀前にタイムスリップさせました。
私は戦後、隅田川のほとりにあった、進駐軍に接収された病院の受付でアルバイトをしていました。
朝鮮戦争が始まると、米軍の負傷兵が搬送されてきました。そのうち、日本人の患者も運ばれてきて、
日本人もこの戦争を手伝っているのかと、驚いた覚えがあります。
当時、巣鴨拘置所から日本人の戦犯容疑の人たちも数人きていました。A級戦犯では大川周明、東郷茂徳
両氏が一階の病棟に入院していて、ご家族の方が面会に通われていました。そんな中に、ブロンドのドイツ
婦人がおられました。東郷茂徳夫人でした。
ある時、面会日以外の日にみえたので「今日は面会出来ない日ですが」と声をかけました。すると「わかっ
ています。夫と同じ建物の中にしばらく居たいだけです」と受付前のソファに座り、手提げ袋から毛糸の玉
を取りだして、静かに編み物をされていました。
ここにも、戦争に翻弄された人の姿を見る思いでした。
朝日新聞「声」の欄より