フィールド日記
2012.11.21
泡立ち始めたセイタカアワダチソウ
2012.11.21 Wednesday
晩秋から初冬にかけて草原の昆虫たちに最後まで豊かに栄養を与え続けているのが、悪名高きセイタカアワダチソウです。
不二聖心でもハチやハナアブなどいろいろな生き物がセイタカアワダチソウに頼って、命の最後を生きています。しかし、そのセイタカアワダチソウにも花の終わりの時期が近づき、アワダチソウという名前の通り泡立つような姿を見せ始めています。
今日のことば
宗教を持つ人は、絶海の孤島へ漂着したが何をしていても一刻も本国へ帰ることを志してやまなかった
あのロビンソン・クルーソーのような人だ。かれは孤島に茅屋を建て、黒人フライデーを僕(しもべ)
とし、山羊を捕えて乳をしぼり、名ばかりの畑を耕した。しかしかれは決してそれだけでは満足せず、
孤島はかれの安住の地ではなかった。何をしてもかれの心は、地平線の彼方なつかしい本国に向っていた。
今かりに孤島に安住して少しも本国へ帰ることは考えなかったとする。無宗教の人はそんなものだと。
なるほど現代の文化生活も、永遠の価値の前にはロビンソンの生活以上に評価されないでしょう。
わたしどもの生活に高い価値と意義を見いだすためには、どうしても永遠無限なるものとの関係において
生きなければならない。人間の生活はだいだいだれも同様で、三度食べて、働き、夜ねて、朝起きるだけ
である。しかし真に信仰に生きる人は、赤ちゃんのおむつのお洗濯をしていても、台所でお芋の皮をむい
ていても、心の眼は浮世の地平線のかなたはるかに高く神に向っている。このような人間の姿こそ実に貴
いものである。現代はあまりにも、孤島に漂着して本国に帰ることを忘れたロビンソン・クルーソーにみ
ちている。われわれは途中で沈没してもいい、孤島で犬死をするよりは、独木舟でもいいから作って故国
へ帰ろうという道心に燃えたい。またこうしてこそ、かえって日々の卑近な生活が高き目的への道程として、光栄に輝くものとなってくるのであります。
岩下壮一 1934.11.28