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フィールド日記

2012.10.08

オオスズメバチの驚くべき生態を「共生の森」で観察

  2012.10.08 Monday


気持ちの良い秋晴れの一日でした。茶畑の中の一本道を歩きながら、富士山をながめることができました。


 

 「共生の森」で驚くべき光景に出くわしました。2匹のオオスズメバチが抱き合うように地上に
横たわり、一匹がもう一方に口移しで栄養の補給をしていたのです。
スズメバチが高度に社会性を発達させたハチであることを強く印象づける、忘れがたい光景でした。
動画も撮ることができました。

 

 

今日のことば

 カラコルム山脈は四方を取り囲んで、私たちはあたかも氷の山に包み込まれた格好になっている。
日は差しているが、まだアノラックを脱ぎたくなるほどには気温は上昇していない。どこに目をやっ
ても緑というものがない。
私は、日本の森というものが、いかにありがたい存在かを、このときあらためて実感していた。
森に吸い込まれた雨は、夥しい腐葉土や樹木の根に濾過されて、さまざまなミネラルや、まだ科学で
は識別できない大自然の恵みのなかに浸透し、おそらく別の命を与えられていくのであろう。そして
地下水となり、泉となり、小川となり、大河となる。それはひとえに森のお陰である。
日本という国自体が、いわば土のスポンジからできているようなものなので、とりわけ緑が育ちやす
いのだという説がある。その説を逆手に利用して、あちこちの森を壊してダムを作ることに賛成する
グループもある。そのような人たちは、森が森として生命を得るために費やした厖大な時間のことを
無視している。
カラコルム山脈のど真ん中にたたずみ、その堅牢な岩盤だらけの、緑のない風景を見れば、森という
ものが、ただ単に豊かな水だけをもたらしているのではないことに思い至るだろう。
森は祈りを捧げている、という言葉がある。森は何を祈っているのか……。
H・D・ソーローは、その名著「森の生活」の「村」の章の最後をホメーロスの詩と論語の一節とで
結んでいる。
――「ひとは戦に苦しまずとよ。ブナの木の椀のみ欲りしそのころは。」

                 『ひとたびはポプラに臥す』(宮本輝)より