フィールド日記
2012.10.19
メナモミとアブラムシ 襲われた子ウサギ
2012.10.19 Friday
牧草地にメナモミの花が咲いています。メナモミは、筒状花が舌状花に包まれるキク科独特の構造
をしています。メナモミの総苞片にはたくさんの柄のついた腺がありますが、写真のメナモミの総苞
片にはアブラムシがついていました。粘り気のある腺の上をどのようにして移動しているのか、
不思議に思います。
今朝、牧草地で既に息絶えた子ウサギを見つけました。猛禽類に襲われた可能性が高いと
思われます。見るのがつらい姿でしたが、これもまた自然界の一つの姿です。
今日のことば
私の住む大牟田から車で一時間ほどいった八女郡上陽町では、ムササビが植林を食い荒らす害獣として
銃で撃たれている。殺したムササビは利用価値が少ないからなのかどうかわからないが、教材として欲
しいというと何頭でもゆずってもらえた。剥製標本や頭骨標本づくりとあわせて中学校で解剖実習をや
ってみた。解剖がすすむにつれて体中のいたる所から散弾の小さな鉛がでてきた。筋肉にくいこみ、内
臓をえぐり、胃を砕いていた。解剖をしていた生徒は、「思わず目をつむりたくなりました」と解剖後
の感想文に書いている。そして、さらに次のように書いている。「杉の新芽を食べるから殺したという
ことですが、これは絶対にまちがっている。人間が山を開いて木を切るから、ムササビの食べ物がなく
なるので、しかたなしに杉の新芽を食べるのだと思う。ムササビにしてみれば、エサも住み家もなくなり、
そのうえ、殺されるなど、こんな迷惑な話があるものか。(中略)農家の人になってみなければ、作物を
荒らされ怒りなどはわかりませんが、やはり、すべての人が動物の身となって一度考え、『真の開発』
とは何かを、口先だけでなく、本気で考えてみる必要があると思います。このままでは、丸裸の、汚れて
冷えきった地球になるのはわかりきっていることですから」。
生きもの教育のなかでは、子どもたちにやさしい心を育てることを忘れてはならない。生きものは「もの」
ではあるが、ただの「もの」ではない。やはり生きものである。麻酔をせずに生体解剖をしたり、大人の
研究者が交通事故の研究のためにとしてサルをつかった生体実験をしていたという話を聞くにつけ、生き
もの教育のゆがみの深刻さをあらためて考えさせられる。
植物は身のまわりにどれだけでもある。子どもに家の庭の草とりをやらせれば、それだけで植物のよい勉強
になる。草のしぶとさがわかり、季節による草の種類の変化にも自然に気づく。
教育は時間のかかる営みである。焦ってはならない。非能率的にみえるかもしれないが、具体的な地域の
自然のなかで生(なま)の生きものたちにふれることによって、子どもたちの生物観は大きく豊かになっ
ていく。そのような機会を子どもたちにつくってやるのは大人の責務である。教師はトラの巻指導案を見
て授業をするのではなく、生きものを通して子どもたちにむきあうことが重要だ。
尾形健二(『生きものを教える 九州生物学研究グループ』(農文協・1987)より)