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フィールド日記

2012.02.28

ホトケノザ  中学3年生の宗教の授業

  2012.02.28 Tuesday

 ホトケノザが1週間ほど前から咲き始めています。葉の形が蓮台に似ているところから「仏の座」と名付けられました。新潮文庫の『散歩で出会う花』 という本には580種の植物が紹介されていますが、その中で花期に2月が含まれているのは、スイセンとホトケノザだけです。春の花の中でもとりわけ早い時 期に花を咲かせる草花と言えるでしょう。

 

 中学3年生の宗教の時間に「『最も小さい者』と出会う」というテーマの授業が行われました。聖書の「マタイによる福音書」第25章の「はっきり 言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」という一節をふまえて生徒一人一人が「最も小さ い者」か「最も小さい者のために生きた人」について調べ、全員が発表をしました。今日は、その中から二人の生徒の発表と授業の感想を紹介します。

 
*上半身二つに一つの下半身。Y字型に繋がった結合双生児としてベトナムで生まれたベトちゃんとドクちゃん。とても活発な兄弟で、いつもおもちゃを奪い 合って遊んでいました。この写真の二人の無邪気なポーズ、笑顔からも二人の仲の良さが伝わってきます。生まれたときからずっと隣で一緒に生活してきた二人 は、他の誰よりも心が通じ合っていたように思います。しかし彼らの姿の背景には、私たちが決して目を背けることのできない事実がありました。
二人がこのようにして生まれてきたのは、ベトナム戦争の際にアメリカ軍が大量に散布した枯葉剤の被害を抜きにしては考えられないとされています。枯葉剤 はダイオキシンを含み、涙一滴の量で一万人以上を殺せるほどの威力があるばかりか、大地を破壊し、長期に渡って環境と生態系にダメージを与え続ける毒性を 持ちます。ベトナム中の熱帯雨林を枯らしてしまえば敵は丸裸だという、アメリカ軍の枯葉作戦のもと、十年間も散布され続けました。兵士だけでなく女性や子 供までもが枯葉剤を浴び、癌ばかりか次世代を脅かす流産・先天性障害など今なお深刻な事態が続いています。ベトちゃんとドクちゃんもその犠牲となりまし た。二人はベトナム戦争終結から六年後に生まれました。戦争に何ら関係のない子どもたちが、過去の戦争が残した重荷を負わされているのです。
ベトちゃんとドクちゃんはその後、分離手術が無事に行われました。今ではドクちゃんは結婚し、病院のスタッフとなって事務仕事をしています。一方ベトちゃんは重い脳障害を抱え、二十六歳でこの世を去りました。
ベトちゃんとドクちゃんから、戦争の被害を受けた多くの子どもたちの、声にならない憤りや悲しみの叫び声が聞こえてきたような気がします。ドクちゃんには、ベトちゃんの分まで精一杯生きてほしいと思いました。(R・Y)

 

 

*中一の誕生日に私はある一人の人に出会いました。その人の名前はアシュリーです。彼女は世界 で約三十人から四十人しかいない早期老化症、通称「フロジェリア」という病気を持っています。フロジェリアとは人の十倍もの速さで年をとってしまう病気で あり、原因も治療法もまだ見つかっていません。そんな病気であっても常に前向きな彼女の姿からは生きることの大切さが伝わってきます。
アシュリーは彼女自身の本の中で「病気であるからって自分がかわいそうだなんて思ったことがない」と語っています。もし私が彼女と同じ状況にあったら、 私は彼女のように言うことはできないと思います。他にも彼女は「たまに道ですれ違う人に嫌な顔をされたり、エイリアンだって言われるようなことがあったり しても
私は怒らないの。ただ相手にニコリと笑うとむこうも笑い返してくれることがあるのよね。」と語っています。自分がどんな状況にあっても笑顔を振りまけるくらいの心の広さと豊かさが彼女には私たち以上にあるのではないかと感じました。
傍から見れば彼女は「小さい者」なのかもしれませんが、それでも彼女は笑顔を絶やさず多くの人に勇気と感動を与え続けています。ただその場その場で口で 慰めたり励ましたりすることはとても簡単ですが、自分がどんな状況にあっても言葉や態度でそれを続けるのはとても難しいものです。
彼女の母親であるローリーははじめはアシュリーの病気を受け入れられずとても辛かったそうです。そんな彼女を勇気づけ励ましたのもアシュリーです。「マ マ、もし私がママより先に死んじゃっても悲しまないでね。だって天国でまた会えるんだもん。私はフロジェリアで髪の毛がなくて皮膚は薄いけどそれ以外みん な普通の子と同じよ。」と。最後まで周りに感動を与えたアシュリーはすでに永眠してしまいましたが、その明るさは今も人々の心の中に残っているのです。 (M・N)

 

 次はクラスの全員の発表を聞いた生徒の感想です。

◎私は今まで「最も小さな者」に出会うことがなく、またその人たちのために生きた人も知らなかったので、今の自分の恵まれた環境に感謝したいと思い ました。友達の発表を聞いていて、表面だけでなく詳しく中身まで、最も小さい者やその方のために生きた人、そして私たちがどう考えてどう行動するかを考え ました。
最も小さい者のために生きた人は謙虚であり、まずは人のために行動する賢明な人なのだと思いました。私も「人のために」を大切にしていきたいです。

◎最も小さい者が本当に最も小さい人なのかと問いかけてみると、そうではありませんでした。クリスタとタチアナやアシュリーは最も小さい者側で生ま れてきましたが、彼女たちの生き方は最も小さい者を救える力を持っていました。世界はとても広く、様々な人がいます。もっと自分の視野を広げるべきだと思 いました。一人だけで何人もの人を救えるのなら、私も最も小さい者のために生きる人になりたいです。

◎人のために何か役に立つことをしたいと思っていても、なかなか行動することができないことがあります。そして、自分が苦しい時、どうしても周りの ことより自分のことで精一杯になることの方が多いと思います。でも世の中を変えていく人は人の弱さも知り、勇気がある人だと感じました。今回の授業を通し て視野が広がったらいいなと思いました。いろいろな人に出会えました。

◎たくさんの人に出会えました。この人たちの言葉や活動をこれからの生活で生かしていきたいと思いました! 人のために生きることは、本当に素敵なことだと感じました。私も人の役に立てるような人になりたいと強く感じました。

◎一人一人の、人のために尽くした人、小さな者のために生きた人の発表を聞いて、世界にはこんなに多くの人の役に立ったり、人のために頑張ったりし ている人がいることを知り、人間の尊さを改めて感じました。またその中には日本人が多く、私たち日本の一つの誇りであると感じました。
本当に小さい者とは何なのか、同じ人間の中でも差別がおこってしまうのはなぜなのか、考えてみたいです。

◎小さい者とは一体どんな人のことをさすのか、私達はどうすればよいのか、授業の前にはたくさんの疑問がありましたが、授業を受けてたくさんの疑問 が少しずつ減っていきました。自分自身も小さい者について調べ、他の人からも小さい者のために働いている人について聞き、世界にいるたくさんの人々につい て少しわかった気がします。
まだまだ知らないこともたくさんありますが、同じ人間として互いに助け合い、成長していかなくてはいけないなと思いました。人のことを考え、実際に動くことのできる人になりたいと思いました。

◎たくさんの人物の話を聞けて、とても役に立った。これからの将来を背負っていく私達の世代に今どんな状況が世界に起こっているのか、どんな人が犠 牲になっているのか、とても大切な話をいっぱい聞けた。どの話も本当に心に響いてショックを受けた話もたくさんあったけれど、それをどう自分たちで改善し ていくか、これから考えていこうと思った。

◎私たちはあまりに恵まれすぎていて、そして何よりも知らなすぎているなあと思いました。今回この機会に多くのことを知れてよかったと思います。人 はいつもまわりに流されてしまいます。権力のある大きな力の前に「どうすることもできない……みんながいる方へいこう。」と考えてしまいがちです。しか し、そんな中でその社会に屈せず立ち向かう勇気を持つ人がいます。無力さを感じちぢこまっている「最も小さい者」に手をさしのべることのできる人がいま す。私もそんな人になりたいとこの授業を受けて強く思いました。

◎最も小さい者がこの世界にはまだまだ多く存在していて、そのような方々を同じ人間が作ってしまっていることに憤りを感じました。その一方で最も小 さい者のために生きた方も多くいらっしゃり、これから先私たちの手によって最も小さい者を世界から救い出すことが可能であることを確信しました。最も小さ い者のために生きた人すべてに共通して言えることは、その誰もが強い信念と勇気を持って立ち向かっていたということです。

◎世の中には自分のことしか思っていない人、自分のことしか考えない人ばかりだと思っていました。しかし、この宗教の授業を通して自分のことよりも 相手のことを思って生活したり活動したりしている人々が多くてとても感動しました。また私たちの身勝手な生活によって苦しんでいる人々が多く存在している ことを知り、心が痛くなりました。この経験は不二聖心でしかできない体験だと思いました。

◎最も小さい者は確かに苦しい思いや私には想像もできない苦労をたくさんしていると思います。いつも死と隣り合わせの生活をしている彼らの心境は私 にはとても理解しきれません。しかし、そんな現状を作りだしているのはたいてい私達、先進国の人間のような気がします。知らないとか、まだ子供だから、と いうようないいわけを探す前に今の現状に目を向けていかなければいけないように思いました。それが現代を生きている者の義務のような気がします。

今日のことば

もっともよき認識はさずけられるものである。

聖トマス・アクィナス