フィールド日記
2011.07.24
ダイミョウセセリとゴシュケビッチ
平成23年7月23日 土曜日
今日は夏休み2日目です。裾野市は快晴の一日でした。朝は涼しいくらいでしたが、
また明日からうだるような暑さが戻ってくるようです。
中学校校舎から本館へと向かう廊下にダイミョウセセリが迷い込んでいました。
ダイミョウセセリはラテン語の学名にも「Daimio」と入っています。
この学名は幕末に日本にやってきたロシア人ゴシュケビッチがつけたものなのです。
大名が着る黒い着物が当時のロシア人にとってよほど印象深かったのでしょう。
このゴシュケビッチという人については、静岡昆虫同好会の枝恵太郎氏がお書きになった
非常に面白くわかりやすい文章があります。以下に引用しておきましょう。
ゴシュケビッチ夫妻 ―― 伊豆下田の昆虫 ――
一八五四年、日米和親条約により開港されたばかりの下田港にロシア船ディアナ号が来航し、停泊中に津波に遭い、大破した船を修理のために戸田港へ回航する途中で沈没してしまった話はあまりにも有名である。
これに乗船していた中国語通訳のロシア人ゴシュケビッチは翌年の春まで、下田に滞在を余儀なくされた。
この時に下田近辺で採集したたくさんの昆虫標本は セントペテルブルグの王立科学アカデミー博物館に寄贈され、昆虫学者モチュルスキーやメネトリーによって研究、記載された。
静岡県の昆虫研究の幕開けは、約百五十年前の下田港の開港とともに来日外国人によって始まったといえる。
その後、伊豆天城山などの昆虫類が日本人学者の手で記載されるが、
昆虫相が詳しく解明されるのは静岡昆虫同好会の設立(一九五三年)以降となる。
ゴシュケビッチによって下田で採集され、新種として記載されたものに、シロチョウ科のスジグロシロチョウ、カミキリムシ科のノコギリカミキリやヒメスギカミキリなどがある。
また、ジャノメチョウ科のサトキマダラヒカゲ(里黄斑日陰、学名Neope goschkevitschii)のように
種名に彼の名が付けられたり、セセリチョウ科のダイミョウセセリ(学名Daimio tethys)のように属名に
「大名」と付けられたりしている。河原や海岸の砂地に生息するエリザハンミョウ(学名Cylindera elisae)は
ゴシュケビッチ夫人エリザの名が付けられている。
このように生物の学名にはよく人の名が付いたものがある。その標本を採集した人や関連する研究者に
敬意を表して献名されたものである。
モチュルスキーは異国から送られてくる多数の珍しい昆虫に驚喜し、
それらを採集したエリザ夫人の功績を讃えて命名したのであろう。
その後、一八五七年にロシア領事として再来日したゴシュケビッチ夫妻は盛んに昆虫を採集したと言われている。(枝恵太郎・静岡昆虫同好会)
1854年に津波が下田を襲うことがなかったら、おそらくこの蝶には違う名前がつけられていたことでしょう。
ちなみにこの文章に出てくるノコギリカミキリは、7月15日の「不二聖心のフィールド日記」で紹介されています。