校長室から
2014年04月
2014.04.29
中高別朝礼の話(2014年4月28日、29日)
2014年4月27日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で2人の教皇が列聖されました。
ヨハネ23世(1881年11月25日-1963年6月3日)は、1958年10月28日から1963年6月3日まで教皇職を務められました。「第2バチカン公会議」の開催を宣言され、カトリック教会を現代化すべく大きく刷新することに着手されました。他宗教との対話に向けてカトリック教会を開き、カトリック信者以外の方を公会議に招きました。第2次大戦後の東西冷戦時代に「対立」ではなく「対話」で紛争を解決することを説いた回勅「地上の平和」は、20世紀においてもっとも重要なバチカン文書と言われ、政治的にも大きな影響を与えました。教皇に選出された時すでに76歳という年齢であったことから、このような大きな働きをされるとは誰も想像していなかったとも言われます。その飾らず、気さくな人柄から、多くの人に愛された教皇でした。
ヨハネ・パウロ2世(1920年5月18日 - 2005年4月2日)は、1978年10月16日 から 2005年4月2日まで教皇を務められました。26年間の在位期間に100か国以上を訪問されたため「空飛ぶ教皇」とも言われ、演説の一部は訪問先の言語を使われるのが常でした。1981年の来日時には広島と長崎を訪れ、日本語でも核兵器の廃絶を訴えられました。広島での「平和アピール」の中で、全ての人々に向けてメッセージを発せられ、全世界の若者たち向けては次のように語りかけられました。「ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。」(カトリック中央協議会 訳)
お二人の教皇様に共通するのは、それまでの人々が当然のことと考えていた境界線を越えて、世界の平和のための新しい扉を開いていかれたことです。お二人が発せられたメッセージは、今の時代の私たちにも訴えかける力をもっています。本年度学校目標である「フロンテイア・スピリット」から、皆さんは様々な人を思い起こすことでしょう。そして自分の中にも、フロンテイア・スピリットが息づいているのを感じ始めていることでしょう。総長様がおっしゃっていたように、フロンテイア・スピリットというのは、「愛」に方向づけられていくものであることをこのお二人もまた教えてくれるように思います。
2014.04.15
中高別朝礼の話(2014年4月14日、15日)
4月16日に、聖心会の総長Sister Kathleen Conanと総長顧問のSister Kim Sook Heeが、聖心会日本管区長のシスター新庄美重子とご一緒に学院を訪問されます。
現在の総長様は、聖マグダレナ・ソフィア・バラから数えて16代目にあたります。本学院の保護の聖人聖ローズ・フィリピン・ドゥシェーンゆかりの北アメリカのご出身で、かつてグリニッジの聖心の校長を務められていたこともあります。良い機会ですので、聖堂で全校朝礼を行い、本年度の学校目標である「フロンティア・スピリット」についてお話頂くことにしました。英語でのスピーチとなります。上級生は理解できると思いますが、中1の方等のために先生が通訳してくださいます。その場では要約となりますので、後で担任の先生等から再度詳しく伺ってください。総長様は、昨年、コンゴの聖心の寄宿舎で起きた火災のことを寄宿舎主任のシスター足立から伺うやいなや、まだ学校でアナウンスされる前に自主的にベイクト・セールを行って募金を集めたこと、また温情の会としても寄付を送ったことに感銘を受けておられました。
総長顧問というのは、総長を補佐する役割をもつ方で、Sister Kim Sook Heeはアジア地域のご担当です。シスターは一昨年度まで韓国の聖心の校長をされていましたので、本学院と共催して行われている姉妹校交流プログラム「韓国体験学習」等でお会いした方もあるかもしれません。皆さんの中には韓国語を勉強していらっしゃる方もありますから、お会いすることがあったら韓国語でご挨拶してみてください。
管区長様は、日本の聖心会全体の責任者です。現管区長は、1908年の聖心会来日から数えて12代目となります。シスター新庄は東京聖心の校長をされていましたが、不二聖心でも教えていらしたことがあり、寄宿舎の担当もされていました。
国際修道会である聖心会は40か国にネットワークをもっています。不二聖心は、世界30か国の姉妹校のネットワークだけではなく、聖心会の国際ネットワークとつながっているのです。たとえば、皆さんがおかずを我慢する節約弁当によって得られる寄付の一部は、インドネシアでストリートチルドレンのために働くシスター井上にお送りしていますが、インドネシアには聖心の学校はありません。Informal educationといって、国の状況等を考え、あえて学校を作らずに別の形で教育に奉仕することを選択することもあるのです。フィリピン・ドゥシェーンの時代から今日に至るまで、フロンティア・スピリットをもって、まだ聖心会が創立されていない国に向かうシスター方が今もたくさんいます。
高校の入学式の中で、皆さんには国際性を生きる責任があるとお話しました。総長様のご訪問が、皆さんの中にフロンティア・スピリットを燃え立たせ、スキルに留まらない真の国際人としての自覚を促すものとなるよう願っています。
2014.04.05
前期始業式・校長講話
カトリックの価値観に根ざした全人教育
不二聖心女子学院では、カトリックの精神に基づき、皆さんが「魂」「知性」「実行力」という領域においてバランスよく成長し、「社会に貢献する賢明な女性」として成長していくよう準備します。これら3つの領域が統合されていくためには、皆さん自身が各領域を自分自身と関連づけて意識していることが必要です。そこで、不二聖心では、毎年、一つ一つの領域に焦点をあて、学校の年度目標に取り入れています。先生方とご相談し、今年は「実行力を養う」を取り上げ、より具体的な目標としては「フロンティア・スピリット」(開拓者精神)を掲げることにしました。今日は、不二聖心女子学院創立に至る二つの流れから、二人の方の生き方をもとに、今年の目標について考えてみましょう。
1) 聖フィリピン・ドゥシェーン 「いかに幸いなことか、良き訪れを伝える者の足は」(イザヤ書52:7)
カトリックの学校は、それぞれにゆかりのある保護の聖人を戴いていますが、フロンテイア・スピリットは、本学院の保護の聖人である聖ローズ・フィリピン・ドゥシェーンの代名詞でもあります。フィリピンは、創立者マグダレナ・ソフィア・バラに願い出て、アメリカ大陸へ派遣され、聖心女子学院を開校しました。これは、ヨーロッパ以外の地への初めての設立であり、学院が世界5大陸へと広がりゆくきっかけとなりました。不二聖心女子学院もこの大きな流れの中で誕生したのです。
1818年3月21日、フィリピンは4人の同志と共にレベッカ号に乗ってフランスのボルドー港を出航、5月29日にニューオーリンズに錨をおろしました。19世紀初頭、異なる言語・文化の中でのミッションは現在とは比べものにならない程の困難を伴いましたが、フィリピンは、「大きな目的のためには惜しみなく自分を捧げる」という“ドゥシェーン気質”をもって幾多の苦難を乗り越え、9月にはセントルイスに初めての学院を建てました。これが、現在不二聖心がアメリカ体験学習で訪れているAcademy of the Sacred Heartです。以後、1852年11月18日に帰天するまで、34年の長きにわたりアメリカ大陸でのミッションに献身しました。
1988年にバチカンの聖ペトロ大聖堂で行われたフィリピンの列聖式の中で、教皇ヨハネ・パウロ2世は、「果敢な宣教魂をもったこの偉大な開拓者は、神の愛に燃えた心の目で未来を見たのです。革命後のフランスのニーズを超えて、新しい世界、北米のニーズを見たのです。『全世界に行って、すべての人に福音を宣べ伝えよ』とのイエスのみことばを実践したフィリピンは、神の招きは全ての人に向けられたものであり、国家、政治、文化、民族を超えたものであることを思いおこさせてくれます」と讃えました。
2) 岩下壮一「闇をてらす足おと」 ― 不二農園100周年を迎えてー
大正初期、関西の実業家であった岩下清周氏がこの地に移り住み、それまでの農園を「不二農園」と改名してから今年で100年目にあたります。近代農業に取り組んだ不二農園の先駆性、私財を投じて地域の子供たちのために農園内に創立した私立温情舎小学校(不二聖心の前身)のヒューマニズムに富んだ進取の気風の中にも、フロンティア・スピリットが満ちていました。
清周氏の志は、長男でカトリックの司祭でもあった岩下壮一神父様に受け継がれていきました。神父様は、6年間に及ぶヨーロッパ留学から帰国後、哲学の研究者としての道を敢えて辞し、温情舎小学校初代校長として教育に献身すると共に、日本人として初めて神山復生病院第6代院長となり、当時日本で猛威を奮ったハンセン病の患者の方々のために生涯を捧げました。
復生病院は、フランス人のミッショナリーが開いたハンセン病療養施設が始まりで、5代までの院長は全て外国人の神父様方でした。壮一神父様は、同じ日本人として、心身の苦しみに喘ぐ同胞に寄り添い、尽力することに強い責任感と使命を感じていらしたといいます。父清周氏の遺産を注ぎ込み、寄付を募り、患者たちの立場に立って病院の施設や生活を改善していきました。「天刑病」として差別され、家族から隔離され、本名を捨てて生きねばならなかった病者の方々は、壮一神父様と出会うことで人間性を回復していきました。まさに「復生」をもたらしたともいえる姿は、作家重兼房子によって『闇をてらす足おと―岩下壮一と復生病院物語』(春秋社1986年)の中で描かれています。
3) フロンティア・スピリットに満たされて
中学校の入学式ではオープンハートで「二人といない自分」(不二)に与えられた可能性を開花させましょうと、高校の入学式では”Vocation”をもとに、一人ひとりがその人にしか果たせない使命が名指しで与えられているということをお話しました。人と比べたり、既成の枠組や先入観に捕らわれずに、自分の深みで響く呼びかけに耳を澄まし、周囲のため、また自分自身のために本当に大切だと思う事柄に出会ったら、勇気と創造力、そして忍耐をもって向き合い、取り組んでみましょう。それは、身近なことから始まると思います。
また、今年は特に、学習においても、活動や態度、内面性においても、自分の中の未開拓の領域、これまであまり向き合ってこなかった未知なる分野、または新しいフィールドを意識し、チャレンジしてみましょう。向き合わずにあきらめてしまっていることがあったら、そのままで良いのかどうか確かめてみることも必要です。10代であきらめるには早すぎることもあるのではないでしょうか。
日々の生活の中で意識してできることは、目立たない、ごく小さなことかもしれません。けれど、すべては日常から始まるのです。ローズ・フィリピンや、岩下壮一神父様もそうでした。学生時代の学びや普段の小さな選択、姿勢や態度が、将来の大きな決断を支えたのです。
グローバル化がもたらす光と影が複雑に錯綜する現代にあって、世界をよりよく変容していく新しい生き方を提示し、信念をもってそれを生き抜く人――、世界は、そのような人を必要としています。前人未踏の世界に踏み込む勇気が必要かもしれません。
皆さんの不二聖心女子学院での現在の学びが、世界の未来を作っていくと私は信じています。先生方も負けてはいません。皆で、不二聖心をフロンティア・スピリットで充満させましょう!
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