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フィールド日記

2014年02月

2014.02.27

紅梅と白梅


 数日前から梅の開花のニュースがさかんに報じられるようになりました。不二聖心ではかなり前から紅梅も白梅も咲き始めています。梅の句では服部嵐雪の「梅一輪一輪ほどの暖かさ」の句がよく知られていますが、今年は特別寒い冬でしたので、春の暖かさを心待ちにしています。


 今日のことば

 庭石の錆びたる上に枝垂れて咲きぬる梅の花のましろさ    若山牧水

2014.02.24

記録的な大雪の影響  カマキリの卵の位置


 今朝の6時のニュースでも、記録的大雪から10日経っても影響が今も各地に残っていることが報じられていました。農業被害等の実態も明らかになりつつあります。
 不二聖心では樹木の被害が深刻であったことが徐々にわかってきました。「共生の森」の近くでは、かつてウラギンシジミに越冬場所として利用されていたヤブニッケイの大木の枝が折れてしまいました。

大雪の冬はカマキリの産む卵の位置が高くなるという説があります。すすき野原では、見上げるほどの高さに産み付けられたカマキリの卵が見つかりました。

今日のことば

その場では神が助けてくれることもある、といふ、友人の風景画家の言葉を、私はよく思ひ出す。その場とは、画家が見つけて描こうとする、また向ひ合つて描きつつある、自然である。
                                                         川端康成

2014.02.19

キジ  雪でめくれた土  ヒサカキ

久し振りにキジの姿を見かけました。寒さの厳しい毎日ですが、冬の間も不二聖心のキジは元気に活動しているようです。

雪の影響で校舎の裏道の脇の土がめくれあがってしまいました。雪で重くなった木を根が支えきれなかったものと思われます。


他にも雪の影響がいろいろなところに残っていますが、折れた木で目につくのはヒサカキです。3月~4月頃たくさんの花をつけるヒサカキですが、折れた木をよく見るとたくさんの花芽がついているのがわかります。台風などでヒサカキが折れたという例は他にも報告されており、ヒサカキは災害に弱い木なのかもしれません。





今日のことば

花が上を向いて
咲いている
私は上を向いて
ねている
あたりまえのことだけれど
神様の深い愛を感じる
                                                   星野富弘

2014.02.17

記録的な大雪のなごり  ツチグリ


大雪の週末が過ぎ今日からまた新しい1週間が始まりました。裏の駐車場にもまだかなりの雪が残っています。御殿場市在住の、ある先生のお父様は80年御殿場で暮らしてきて、こんな雪は初めてだとおっしゃったそうです。

 雪の中からツチグリが顔を出していました。毎年、春先に発生し、このブログでもたびたびツチグリの記事を載せてきましたが、雪とツチグリの組み合わせは初めてのように思います。

今日のことば

朝日新聞の「歌壇」の載った高校3年生の歌

窓からの一年変わらぬ景色から色彩だけがゆっくり抜ける 村田優歌
雨空がヒールの音をかきけした私の息を溶かしていった  杉山珠恵
素敵でしょ?全身痣と筋肉痛勝敗抜きの頑張った証    舘ますみ

2014.02.13

ようやくジャコウアゲハの蛹が羽化


 昨年の8月に不二聖心を会場として「夏休み子供自然体験教室」が行われました。その時に7月に蛹化したジャコウアゲハを展示しましたが、その蛹が昨日羽化しました。ジャコウアゲハの蛹の休眠期間は山地と平地で異なるという興味深いデータがあります。不二聖心産のジャコウアゲハは羽化までにかかった時間の長さから山地性の可能性が高いのではないかと思います。


お菊虫(ジャコウアゲハの蛹)の抜け殻です。


今日のことば
 「一枚、二枚、三枚、四枚……九枚、やっぱり一枚足りない」
怪談「播州皿屋敷」で大切な皿を割ったと因縁をつけられたお菊は、責め殺されて古井戸に投げ込まれてしまう。そして幽霊となったお菊は、古井戸から夜な夜な現れては、恨めしそうに皿の枚数を数えるのである。
その後、お菊が投げ込まれた古井戸には、うしろ手に縛られた女性の姿をした不気味な虫が出現したという。この虫はお菊の怨念が姿を変えたものだと、人々は噂した。これが「お菊虫」である。
お菊の正体は、ジャコウアゲハというチョウのさなぎである。
                                      稲垣栄洋

2014.02.12

雪から顔を出したフキノトウ  雪の重みで折れた竹

 雪の中からフキノトウが顔を出しました。フキノトウは、春の食べられる山菜としても人気があり、整腸作用などたくさんの効果を期待することができる山菜です。


 雪の重みで竹が倒れてしまいました。これまでにも雪の重みで竹がしなることはありましたが、ここまで割れたり折れたりしたことは記憶にありません。


 今日のことば

 2027年に、リニア中央新幹線が開通することになり、私の地元は大いに沸いている。中間駅がこの地に建設されることが決まったからである。(中略)
 リニアが走ることで得られる、「都会が近くなる」利益の部分と、美しい自然に人工的な手を加えることからくる自然への負の影響。その双方の調和をどのようにとっていくのか、地元住民ゆえに、しっかり考えていかなければならないと思っている。
                                        神庭靖子

2014.02.10

雪の朝の不二聖心

もしかしたらこの20年で不二聖心に最も雪が積もった朝だったかもしれません。
生徒と雪かきをしてから授業が始まりました。

今回の大雪は強風が吹いたのが特徴でした。雪の上の黒いものは、すべて風で飛ばされたクスノキの葉です。


雪の朝はいっそう静けさが増します。空にはキツツキのドラミングの音が響きわたっていました。
http://www.youtube.com/watch?v=vQl1thQs058&feature=youtu.be

今日のことば

 詩人は、「詩を書くことも、待つことのひとつではなかったかと思う」とも述べている。すなわち、「いつも何かの訪れがあって、こちらに待つ用意があってできたものばかり」だと。
 詩を書くことに限らない。この洞察はあらゆる創造的な営為にあてはまる。待つことは、「何かの訪れ」に向かっての「用意」にほかならない。
                                        中村邦生

2014.02.07

冬の花と春の花 ウメの花とカンアオイの花


今の時期のフィールドでは冬の生物と春の生物の両方を見ることができます。
牧草地はまだ冬枯れの景色です。


林の中でカンアオイを見つけました。地を這うように咲く冬の花です。日本の各地で絶滅危惧種に指定されています。


カンアオイの咲いている場所の近くで梅の花が咲いていました。カンアオイの季節から梅の季節に少しずつ移りつつあります。


今日のことば
『植物入門』(前川文夫 八坂書房)を読む
―― 不二聖心に流れるもうひとつの時間 ―― 

先日、放送朝礼でお話したように、いま僕は不二聖心の植物カレンダーを作ることを計画しています。先週の日曜日も学校で「昨日の新聞から151」の印刷をすませたあと、カレンダーに使う植物の写真を撮るために、少しだけ裏道を歩いてみました。
食用にもなるキノコ、アラゲキクラゲやもともとは南方系の蛾であるヒロヘリアオイラガの繭など、今まで記録したことのない生物をいくつか写真に撮りながら歩いていき、裏道を降りきったあたりで、ある一枚の葉を目にして立ちどまりました。その一枚の葉を見た瞬間に、『ヒガンバナの博物誌』の著者として知られる栗田子郎氏のホームページに今年の一月十三日に新たに加えられた文章のことを思い出したのです。それは次のような文章でした。

この季節、雑木林の道の辺は枯れ落ち葉に覆われ寒々としているが、所々でしっかりとした緑の葉群が弱い冬の日差しを受けている。カンアオイ、通称カントウカナイオである。だが、その花は積もった落ち葉に隠されて見えない。失礼して、枯葉の褥をはずして写真を撮らせていただいた。褥の中には温もりがこもっていた。
カンアオイの存在を知ったのは高校1年の課外活動で生物部に所属したころだと思う。ずいぶん地味な花だなと感じた程度だったのだろう、はっきりとした記憶はない。
しかし、理学部の生物学科に進学してからの講義でこの植物とその仲間がただ者でないことを知った。ことに、前川文夫さんのカンアオイ亜科の地理的分化と数千万年にわたる進化についての考察にはそのスケールの大きさに感激したものであった。

この文章を読んだ時に、自分も一度山野に自生するカンアオイをぜひ目にしてみたいと思いました。そして数千万年にわたる進化の歴史をその花を通して感じてみたいと思ったのです。不二聖心の裏道を歩いていて僕が思わず立ちどまったのは、栗田さんのホームページで見たカンアオイの葉とそっくりの葉が目の前にあったからです。しかし、それがカンアオイだという確信がすぐに得られたわけではありません。その葉がカンアオイであるためには、根を覆う枯葉の中に花が咲いていなければならないのです。高まる胸の鼓動を感じつつ、しゃがんでカンアオイの根の周りの枯葉を一枚ずつはがしていきました。
ありました。そこに、写真で見た花とよく似て、さらに美しいカンアオイの花が。感激した僕は急いで花の姿を写真に何枚も収めました。(裏面の写真はその時の一枚です。)
実物を見ることの意味を感じるのはこういう時です。こうなると俄然、カンアオイに対する関心が高まっていきました。カンアオイについて知るためには先ず前川文夫さんの本を読むべきだと考え、最初に『植物入門』の中のカンアオイに言及した箇所に目を通しました。前川文夫さんは『植物入門』の中でカンアオイを次のように説明しています。

一株に一枚~二枚の常緑の葉は、冬の真最中にもよく目立ちます。柄はよごれた紫、ちぎると独特の匂い、一月から五月ごろまでの間に葉の根元につくこりこりした花、こわしてみると内側には網目があるなどが目じるしです。山の北斜面が好きです。
花がすんで実になっても形は変わらず、やがて花と柄とのつづき目が粒々にくずれてきます。注意してみると、その中に茶色の種子がまじっています。
種子のひろがり方は、風に乗るタンポポ、人にたかるイノコズチ、鳥にくわれるウメモドキなど、いろいろありますが、カンアオイはその点ではまったく能なしで、親の株の根元に落ちるだけです。
それも地面についた実から落ちるので、せいぜい親の株から一〇センチとは離れることができません。結局、親とせり合いとなるのですが、運よく少し離れて生えたものだけが一人前になります。しかも、毎年葉を一枚か二枚出すようなゆっくりしたもので、花を開くまでには早くて五年はかかるでしょう。親株から十センチ先を占有して子孫をつくるのに、ならして十年では足りないほどです。
というわけで、山の斜面を、横へ横へと子孫をふやして行くのには、この計算では一〇〇メートルですでに一万年となります。しかし自然では永い間には山が平らにもなるし、低いところが高くなることもあるので、今少し速くひろがるチャンスはあると思われますので、一万年の間には一キロは行けるだろうと推定したわけです。

この文章を読んで、一キロ分布を広げるのに一万年かかるという話に先ず驚きました。在来種の生息域にあっという間に侵入し占領してしまう外来種の話を頻繁に聞いている自分にとって、一キロ一万年という数字は思わずため息の出るような長い時間でした。
さらに興味深かったのは、前川さんが『植物入門』の中に載せているカントウカンアオイの分布図です。そこには三浦半島から房総半島にかけて帯のように広がるカントウカンアオイの分布域が示されていました。当然、海の部分は帯が切れています。この図からわかることは何か。海の部分を除けば一本の帯のように分布域はつながるわけですから、これはかつて三浦半島と房総半島が陸続きであったことを示しています。生物の分布の様相は時に地学の研究にも重要な示唆を与えてくれることがありますが、これもその一例だと思いました。
その後も前川文夫さんのいくつかの著書に目を通し、前川さんにとってカンアオイが特別な意味を持った植物であることを知りました。『植物入門』の中には「息抜きにハイキングに行かれたおりに、ちょっと気にして下さって、できればその場所をお知らせ頂ければ、新しい資料としてありがたいことです」という一節もあり、何かそれが泉下の前川さんからの励ましの声のように感じられて、気がつけばカンアオイについて考えているということが続きました。
そうして迎えた木曜日の夜のことです。今年に入ってから撮影した写真を整理していて、日曜日に発見したカンアオイとは全く異なる模様の、カンアオイらしい植物の葉の写真を見つけたのです。特徴的な葉をしていたのでとりあえず写真に収め、そのまま忘れていた一枚でした。撮った場所が牧草地の上の林道であることは覚えていますが、それ以外の記憶は全く残っていません。しかし改めて眺めてみると、それはどうみてもカンアオイの葉に見えるのです。林道は裏道からだいたい一キロぐらいの距離のところにあります。もしカンアオイであれば、不二聖心の敷地内で一万年の時間をかけて分布を広げていったということになります。
さらに、注目したのは葉の模様です。葉の形は裏道のカンアオイの葉とよく似ていましたが、模様が全く違っていたのです。模様が全く違うということは種も違うのかもしれない。ということは、不二聖心の敷地内で種分化が起こった可能性もある。分布を拡大するのに時間がかかる生物は種分化がおこりやすいというのはよく言われることなのですが、その可能性を思うとまたまた胸が高鳴るのを感じました。
この写真がカンアオイであるかどうかを確かめるためには、もう一度この植物を見つけ、根元の枯葉をよけて花が埋まっているかどうかを確認する必要があります。一刻も早くそれを確認したいと思いました。
確認に必要な時間は少なくとも20分。それだけあれば林道まで行って確認できるかもしれない。
金曜日の朝、この計画を実行に移しました。週末まで待つことはできませんでした。木曜日の時点で土曜日の予報は大雨、林道の環境が変わってしまう恐れがあったのです。
雨の朝でした。地面はぬかるみ、雨は容赦なく木々の間から落ちてきます。探し始めてすぐに、悪条件の中、記憶だけを頼りに一枚の葉を林の中から見つけ出すことはたいへん難しいことだと気付きました。どれだけ歩いてもカンアオイらしき葉は見付かりません。学校に行かなければならない時間も近づいてきます。とうとう僕はあきらめることにしました。むなしく林道から牧草地へと向かう帰り道、頭にひらめくものを感じました。前川文夫さんの文章の一節が頭の中によみがえってきたのです。「(カンアオイは)山の北斜面が好きです。」という『植物入門』の一節です。
幸い、中学三年生の国語の授業で「南大門」について話をする機会があり、不二聖心の地理の中でどちらが南を指しているかを方位磁針で確認したばかりでした。北はその反対を見ればいいわけです。もう一度、林道を戻り、北側に向いた斜面を探しました。
そしてついに見つけました。間違いなくあの写真に収めたのと同じ模様の葉です。雨に打たれながら根元を探りました。そこにカンアオイの小さな花を見つけた時の感動を忘れることはないでしょう。
ここではっきりしたことは、不二聖心の中には少なくとも二箇所のカンアオイの自生地があり、その間隔は一キロを超えている、そして二つの自生地の間には一万年の時間が流れているということです。このカンアオイが不二聖心の敷地の外に分布を拡大するにはさらに一万年程度の時間を要するだろうと思われます。
これ以上、地味にはなれないというぐらい、控え目な姿をしたカンアオイの花。しかしその花の一つ一つは一万年という時間を背負っています。聞くところによるとカンアオイは環境の変化に弱い植物だそうです。しかも他家受粉をしますから、花粉の媒介者がいなければ次の世代を残すことはできません。さらには、カンアオイの消滅は、種としての消滅だけでなく、カンアオイの葉を唯一の食草としているギフチョウ(「春の女神」と言われる美しい蝶です)の消滅にもつながっていくのです。
安堵感を抱いて林道を歩きつつ、このような貴重な生物を大切に守っていきたいと強く思いました。

2014.02.05

雪の愛鷹山 -2度の寒さの中で鳴くタゴガエル

 2014.02.05
 昨晩は不二聖心にも雪が降り、「雪やこんこん、霰やこんこん」と元気よく歌う寄宿生の声が聞かれました。一晩中冷え込みの厳しい状態は続き、今朝は7時の時点で-2度でした。
 不二聖心は、愛鷹火山(洪積世中期の48万年前~38万年前の活動)の南東麓の末端域に位置していますが、今朝は雪の愛鷹山を眺めることができました。

以前、不二聖心で理科を教えてくださっていた保坂貞治先生によると、不二聖心の地層は、基盤に玄武岩質の凝灰角礫岩、上部に40~70㎝の亜礫岩を載せる地層からなり、凝灰角礫岩層は水が関与し層状構造を示しているそうです。その水が湧出しているところは、浸食されて穴となり、いろいろな生き物のすみかとなっています。
 幻のカエルと呼ばれるタゴガエルもその穴の中に生活しています。タゴガエルは真冬に交尾をするカエルとして知られていますが、-2度の寒さの中、オスがメスを呼ぶ声が今朝も確かに聞こえていました。

今日のことば

『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社編)を読む
―― 少年院から届いた詩集 ――
 
 六月十五日の朝日新聞の「折々のうた」に次のような歌と大岡信の文章が載りました。

 この澄めるこころ在るとは識(し)らず来て刑死の明日に迫る夜温(ぬく)し     島秋人(しまあきと)

『遺愛集』(昭四二)所収。昭和四十二年(一九六七)年十一月二日、小菅刑務所で死刑を執行された死刑囚。警察官だった父が敗戦で失職し、自らも中学を出て非行少年となった。新潟県の農家に深夜忍びこみ、主人に重症を負わせ、その妻を絞殺、金品を奪って逃走するがまもなく逮捕された。獄中で短歌を独習し、毎日新聞の歌壇欄に投稿、選者窪田空穂を師父と仰ぐ。多くの愛読者があった。右は刑死前夜の作。三十三歳。

この「折々の歌」を読んで、久しぶりに島秋人のことを思い出しました。『遺愛集』は大学時代の僕の愛読書であり、刑務所での日常を愛おしむ歌を繰り返し読んだことを覚えています。新聞に載った歌には、処刑というかたちで人生の最期を迎える直前の心境が「この澄めるこころ」と表現されていますが、島秋人が落ち着いた静かな心で死を迎えたことは、処刑当日書かれた手紙からもうかがい知ることができます。短歌と出合うきっかけをつくってくれた吉田絢子さんに宛てた手紙を引用してみましょう。

奥様
とうとうお別れです。思い残すことは歌集出版が死後になることですね。被害者の鈴木様へのお詫び状を同封しますので、おとどけくださいね。僕の父や弟などのことはなるべく知れないように守ってくださいね。父たちもかわいそうな被害者なのです。
短歌を作ってよかったと思って感謝しています。僕のことは刑に服してつぐないする以外に道のないものとあきらめています。覚悟は静かに深く持っています。

島秋人の歌と手紙を久しぶりに読んで、僕は次の言葉を思い出しました。刑務所で五十年にわたって作歌の指導をしてきた扇畑忠雄の言葉です。

「わたしは年齢こそ上だが、人生では彼らがベテランです。悪いことをし、苦しんでいるのだから。石ころを蹴飛ばし、花を千切って歩いていた人が、歌を通じて見るものが新鮮に感じられるようになれば、すばらしいことですね」

実は、偶然にも、この一週間の間にもう一度、この言葉を思い出すことになりました。それは『雨のふる日はやさしくなれる』という詩集と出合ったことがきっかけでした。『雨のふる日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリー)がどのような本かを伝えるために、嶋谷宗泰さんの「発刊にあたって」の文章を引用してみます。

少年の詩は、心の底の感動を素直にうたい上げるものです。日々の生活の中で、いろいろな思いが心につまって、豊かな感動となり、それがあふれて、濃縮された言葉で表現されたものが少年の詩だと思います。
少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。
八街(やちまた)少年院に来た少年たちはそれぞれ相当に非行の進んだ少年たちです。入院する前は人を傷つけ、自分をも傷つけ、人間であることを自ら拒絶したようなすさんだ心情に身をおいた少年たちです。人間らしい豊かな感受性や知性を堅い殻の中に閉じ込めて、全て無気力に、あるいは野獣のように荒れてきままな生活を送ってきた少年たちです。その少年たちに詩を書かせたいと思いました。一見それはたいへん不釣り合いなのですけれど、不釣り合いだからこそ、やる価値があると考えたのです。
しかし、ここで目指したものは、文学や芸術としての詩ではありません。生活の中の喜びや悲しみを素直に感じ取って、それを簡潔に表現することで、一生懸命生きてゆくことの尊さや、苦労しながら成長することの楽しさを少年自らが認識してゆく方法として詩を指導したいと思ったのです。つまり、芸術として詩を作らせるのではなく、教育として、心を育てる手段として、生活詩を書かせようと考えたのです。勿論、結果として、少しでも芸術の香りのする作品ができるに越したことはありません。しかし、芸術的な価値がなくとも、少年が真剣に考え、感じ取り、その感動を表現することができることをこそ、大切にしたいと思いました。たとえ表現が優れていても、その言葉に真の生活実感がこもっておらず、いわば口先だけで書いたのでは、詩は教育としての力を持ち得ません。表現が稚拙であっても、感動する心をこそ、大切にしてゆきたいと思いました。
詩の指導を開始してほぼ二年がたちました。月に一回程度、全員を集めて、少年たちの作った詩をプリントして配り、それを大きな声で朗読しました。その詩の良いところを話しました。そして、詩は心の感動を表現するものだから、感動を表現できる豊かな心がなければならないということを、だから、詩を作るということは、心を耕して心を豊かにすることなのだということを繰り返し話しました。表現の上手、下手はあまり問題にしませんでした。表現の指導よりも、心の持ちよう、ものの見方や感じ方を指導しました。

嶋谷宗泰さんは、「少年院の少年たちに詩を書かせるのは、彼らの心の底に眠っている人間らしい豊かな感性を呼び覚まし、素直な感動を大切にさせて、それを表現させることで一層豊かな心をはぐくみたいと思ったからです。」と書いていますが、少年たちの詩を読むと、嶋谷さんの思いが見事に実現していることがよくわかります。少年の詩をいくつか紹介してみましょう。

なりたい  和規(幼い頃から父母の葛藤の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えた。)

心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい。


うそ   昌士(父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けた。)

今日 詩の話があった
僕の名が二つもあった
素直に嬉しかった
寮にもどると
うそが うまいなあ
と みんなに言われた
悲しかった

僕の生活がみんなに
そう言わせているのかな


 人の祈り   兵吾

人は誰でも祈る
自分の都合に合わせて祈り
それが叶うと喜び 叶わぬと怒り
それでも人は祈り続けて
人など勝手なものだ
無論 私も自分のためにしか祈ったことがない

しかし
人は
自分以外の人のために 祈ることもあるという……
いつか
私も人のために祈ることができるだろうか
本当に人のために祈ることがあるだろうか


 ごめんなさいが言えなくて   吉之

ごめんなさい
その一言が言えなくて
多くの人を不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
自分をこんなに不幸にした
ごめんなさい
その一言が言えなくて
後悔だけが残った
ごめんなさい
心からこの一言が言えていたら
俺は今ごろ何をしていただろう

嶋谷さんは「思えば彼らは、これまでに、幾度も挫折し、深い悲しみと苦しみを重ね、悩み、若くして大いに苦労を重ねて生きてきたわけで、いわば大変な苦労人です。彼らの詩には、彼らでなければ書けない、若い苦労人の優しさがあるように思われます。」と書いています。

本当に苦しんだことがある人だけが持ち得る優しさがある。そのことを、島秋人も扇畑忠雄も嶋谷宗泰も、そして少年たちも教えてくれているように思います。

2014.02.04

スミレモ

スミレモが壁面を覆っている場所が裏道にありますが、その面積が益々増えてきたように感じます。スミレモは空気がきれいなところにしか発生しないと言われます。先日のマラソン大会では、そのきれいな空気を吸いながら全校生徒が裏道を駆け上がっていきました。


今日のことば

人々はあれこれ明日を思えども不具者のわれは神にゆだねん
限りなき主の御恵みをさししめす窓からのぞく柿の若葉よ
                           水野源三