フィールド日記
2013.04.22
ハルジオンの花畑 都忘れと順徳院
2013.04.22 Monday
今日は、学校は代休でした。休日にはなぜか動物たちの動きが活発になります。「共生の森」では猛禽類の飛ぶ姿を見ることができました。
4月も後半に入り、咲いている花の種類がますます増えてきました。「共生の森」にはハルジオンの花畑ができ、そこにはハナアブやコガネムシなど、たくさんの虫たちが集まってきています。
図書館の入り口近くには、ハルジオンと同じキク科のミヤコワスレが咲いています。後鳥羽院が起こした承久の乱によって、息子の順徳院は佐渡に流されました。順徳院はミヤコワスレの花を眺めて、都への思いを忘れようとしたと言われます。そこから「都忘れ」という名前がつけられたわけです。承久の乱は歴史にさまざまな物語を残しましたが、現代の小説の中にも『後鳥羽伝説殺人事件』(内田康夫)という、承久の乱に関係のある素晴らしい小説があります。
今日のことば
昨日の新聞から188 平成22年2月22日(月)
『後鳥羽伝説殺人事件』(内田康夫 角川文庫)を読む
―― 一億冊売れた作家の代表作 ――
2月13日の朝日新聞に内田康夫の「追憶の風景」についての記事が載っていました。その記事自体も面白く、内田康夫の父親についてや父親と名探偵浅見光彦との関わりについてなど、新しく知ることも多かったのですが、内田康夫の紹介の文章にいっそう興味をひかれました。次のような文章です。
うちだ・やすお 1934年生まれ。作家。80年に自費出版した『死者の木霊』が話題になり、デビュー。82年『後鳥羽伝説殺人事件』で
初登場した名探偵・浅見光彦のシリーズがヒット。著作は累計1億部を超える。
最後の一文には驚きました。1億部売れるということは、単純に計算してミリオンセラーを100回、出さなければならないという計算になります。これは想像を超える離れ技です。早速、内田康夫の作品を読んでみたくなりました。先ず選んだのは、紹介文にも出てくる『後鳥羽伝説殺人事件』でした。『後鳥羽伝説殺人事件』の「後鳥羽」の文字にひかれたのです。百人一首の成立にも深く関わった後鳥羽院のことは、授業でもたびたび取り上げてきたので親しみがあります。後鳥羽院と言ったら承久の乱ですが、僕の家の近くに承久の乱に加担して捕らえられた貴族、藤原宗行の処刑された場所があります。言わば、僕は日々、承久の乱や後鳥羽院のことを思いながら生活していると言えるわけです。『後鳥羽伝説殺人事件』はそんな僕の知的好奇心を満足させてくれる作品ではないかと期待しました。
読み終えて思うことは、『後鳥羽伝説殺人事件』はその期待に十分に応えてくれたということです。プロローグを読んだ段階で、この作品は間違いなく面白くなると感じました。その部分を作品の冒頭から紹介してみたいと思います。
「あら……」
美也子はつい、小さく叫んでしまった。
(この本、どこかで見たことがあるーー)
その書棚には古い学術書や専門書ばかりが集められていて、店に入ってきた時から多少の期待感は抱いていたのだけれど、こんなに胸のときめく出会いになるとは思ってもみなかった。
旅先でずいぶん沢山の書店を覗いたが、地方の書店は全部と言っていいほど新刊書専門で、たまに古書買入の看板を掲げているような店があっても、並べられているのはせいぜい文学の全集物がいいところだ。東京の神田あたりに軒を連ねる古書専門店とは無論、較べようがないにしても、地元に関する歴史書の類ならあるかもしれないと思っていただけに、美也子の失望も大きかった。
それが、旅の終わりになって、心に描いていたのとピッタリの書物がみつかった。それどころか、金箔があらかた剥げ落ちてしまって、黒ずんだ痕跡のようになった背文字にも、なぜか心の琴線にビンビンとひびいてくる懐かしさを覚えるのだ。
『芸備地方風土記の研究』と書かれた背文字を胸のうちで読んでみると、失われた記憶の断章が、甘酸っぱい青春の香りに包まれて、いまにも甦ってきそうな気がする。
美也子は、精一杯、腕を伸ばして、書棚から本を引き抜いた。
(ああ、この手ざわりーー)
くすんだグリーンの布表紙(クロスカバー)の質感と、どっしり手ごたえのある重量感。心の記憶は信用できないというのなら、皮膚感覚に刻み込まれたこの記憶は本物だわーーと、美也子はワクワクする昂奮で、かえって全身から血の気が引いてゆくような想いであった。
(それにしても、なぜかしら。なぜ、こんなにも心が揺り動かされる「記憶」をこの本に感じるのかしらーー)
つとめて冷静に立ち返って、美也子は表紙を開いた。目次のひとつひとつに言い知れぬ懐かしさが湧いてくる。そしてーー、目次に『後鳥羽法王伝説』とあるのを発見した瞬間、ふいに美也子は頭痛に襲われた。眠っていた記憶の殻が壊れ、「過去」がひとつ甦る時は決まってこうなるのだ。
ゆっくりと気息が整うのを待ってから、今度は裏表紙を開いてみた。そこに現れたさらに衝撃的な事実に対して、しかし美也子は今度は心の準備ができていた。
裏表紙には四角い大型の朱印で『正法寺家蔵書』と捺されてあった。
「あの……」
美也子は、書棚の谷の底から眼鏡越しにジロジロと疑わしい視線を投げつけている店番の老人に向き直った。
「なぜ、この本が、ここに?……」
「なぜいうて……、売るためですがの」
「いえ、そうじゃなくて、どうして……、どこから、ここへ来たのかです」
「そりゃ、あんた、わたしが仕入れてきよりましたがの」
「どこから……」
「どこからって、言えませんがな」
「なぜですの」
「なぜかて、仕入れ先を言うてしもうたら、元値が知れますやないか」
「あ、ごめんなさい、そういうことじゃないんです。あの、このご本はいただきますから、お幾らでしょうか」
老人は奥付の上に書き込んである数字を確かめた。
「八千二百円じゃけど、八千円にしときます」
美也子が一万円札を出すと、へえーーという顔になった。
「お客さん、歴史に興味ありんさるの?」
「ええ、ですから、このご本を持っていらした方に、いろいろお訊きしたいのです。教えていただけません?」
「そりゃ、お教えせんこともないが、けど、本の値段のことは言わんでくださいよ」
「そんな失礼なこと、しません」
美也子がムッとした顔をつくると、老人は照れたように笑いを浮かべながら、『芸備地方風土記の研究』を包装紙代わりの紙袋に詰めた。袋には不粋な大きさで『尾道譚海堂』と印刷されていた。
このあとプロローグは2章に移り、富永という男性の視点を借りて、電車の中での美也子の様子が描写されていきます。
富永が乗り込むのを待っていたようにドアが閉まり、電車は動きだした。車内は空いていて、ドアが閉まり、電車は動きだした。社内は空いていて、ドア付近のベンチシートも、奥の方のボックスシートも、客の数より空席の方が多い。富永はベンチシートの端にアタッシュケースを置き、腰を下ろした。
(中略)
その富永の目の前に、好奇心の対象とするに足るものがあった。向かい合わせの座席に座っている女である。
年齢は二十八、九歳か、ピンクのテニス帽を被り、細いブルーのストライプが入ったトレーナー、ベージュのキュロットスカートという格好は、ごく気軽な独り旅を想像させる。傍らには大ぶりなボストンバッグが、優に二人ぶんの座席を占領していた。
醜女、なのである。そのことが富永の眼を惹いた。それほどにーーということだ。丸く突き出た額。その下に小さく埋め込まれたような目。低い鼻と、その両脇をガードするような盛りあがった頬。受け口。どれひとつを取っても、なかなか見飽きるということはない。それらのすべてが、ひどい不調和な状態で迫ってくる有様は、圧巻でさえあった。
その「醜女」が、似つかわしくない、妙にうっとりした表情で天井のあたりに視点を置いている。何か、遠いことに想いを馳せているといった風情だ。その内に、バッグのファスナーを開けて大事そうに紙袋を取り出した。『尾道譚海堂』と大きく印刷されている。袋の中身は緑色の表紙の分厚い本であった。よほど古い本なのか、金文字はほとんど剥げ落ちてしまって、富永の位置からでは判読できない。
女は、聖書でも見るように、ますます恭しい態度になって、本をひろげた。どのページを読むという目的があるわけではなく、ただなんとなくその本を繙いた、という印象であった。その証拠に、何枚かページを繰っただけで、読むでもなく、女は本を閉じ、紙袋に入れて、元のようにバックの中へ蔵った。
ところが、それからものの五分も経たないうちに、女はまたぞろ本を引っ張り出して先刻と同じように、無意味な動作を繰り返したのだ。今度の場合も読むという目的はなく、ただ単に本の布表紙の感触を愉しむ、といった感じが見えた。いかにも、何やらいわくありげなのである。
富永はかなりの時間、女の動作を眺めつづけていたことになるのだが、女は結局、その無遠慮な視線に気づかずじまいであった。
この「女」が美也子で、このあとすぐに美也子は殺害されてしまいます。
読んでわかるようにこの作品の中で一冊の本がたいへん重要な役割を果たしています。この本のありかを探っていく過程で新事実が明らかになり、美也子を殺害した犯人も徐々に追いつめられていきます。この本はどのような本なのでしょうか。
先ず、後鳥羽院に関する伝説について詳しく書かれています。承久の乱のあと後鳥羽院は隠岐に流されるのですが、京都から隠岐までのルートにこれまで考えられてきた説とは異なる説があるというのです。今まで史実とされてきたルートは実は影武者が通ったルートで、本人は隠れてもう一つのルート、伝説のルートをたどっていたというのがその説の具体的な内容です。そして、美也子はかつて、その伝説のルートの方を友人と旅していたということがわかってきます。その時、実は『芸備地方風土記の研究』を携帯していたのですが、その本は事情があって長い間行方不明になっていました。そして八年後、プロローグを読むとわかるように、『芸備地方風土記の研究』の所在がわかり、八年前の事件の全容が明らかになっていきます。
エピローグで浅見光彦は次のように言います。
「運命としかいいようがない。正法寺美也子さんが尾道であの本をみつけさえしなければ、八年前の事故の謎も永遠に埋もれたままで終わったのですからね。そうしてみると、この世界には人為の及ばない何かの力が働いていることを信じたくなります。(中略)もしかすると後鳥羽法皇の怨念かもしれない。僕はほんのしばらくの間だが、この土地に暮らしてみて、この人たちか共有して持っている、一種の敬虔な生き方に何度も接したような気がするのです。一見、明るくて素朴なようだけれど、心のどこかに絶えず何かに対する虔れを秘めながら、慎ましく生活している。これは僕は、到るところに顔をのぞかせている古墳群や無数の神話、伝説と無縁ではないと思うのです。子供の頃からそういう環境に育ち、この世には犯してはならない何かが存在していることを膚で感じているような気がします。」
遠く伝説の世界に思いを馳せつつ、謎解きの面白さに酔い、後鳥羽院ゆかりの地の人々の暮らしに自らの生き方を顧みるチャンスをいただく、こんなお得な本はそうはないでしょう。
一億冊も売れる作家、内田康夫の本の魅力はこのあたりに存在しているのかもしれません。