フィールド日記
2012.12.19
『虫こぶはひみつのかくれが?』とムラサキシキブハケタマフシ
2012.12.19 Wednesday
先日、中学3年生の国語の授業で『虫こぶはひみつのかくれが?』(福音館書店)という本を紹介しました。著者の湯川淳一先生の許可を得ることができましたので、「不二聖心のフィールド日記」でも紹介文を掲載したいと思います。湯川淳一先生は不二聖心のフィールドの虫こぶにも注目してくださいました。
昨日の新聞から284 平成二十四年十二月三日(月)
『虫こぶはひみつのかくれが?』(湯川淳一・福音館書店)を読む
―― 一つの事実をつきとめるために必要なことは何か ――
福音館書店の本で科学の面白さに目覚めたという人はみなさんの中にも多いのではないでしょうか。とりわけ、月刊「たくさんのふしぎ」のシリーズは科学の面白さを伝える数多くの名著を生み出してきました。その中で特に心に残っている一冊が、湯川淳一先生の『虫こぶはひみつのかくれが?』です。
『虫こぶはひみつのかくれが?』は、虫こぶ(昆虫の出す化学物質によって植物の細胞が作り出す、昆虫の卵や幼虫のための小さなこぶ)というものの興味深さを伝えてくれるとともに、湯川淳一先生の調査経過を通して、研究者が一つの事実をつきとめるためにどれだけの努力をしているかということを学ばせてくれます。
その一端をここで紹介してみましょう。
湯川先生はシロダモタマバエという、シロダモの葉に虫こぶ(シロダモハコブフシ)を作るタマバエの研究者です。湯川先生は先ず調査のために35本のシロダモの木を選びます。そして35本すべての木についている葉の枚数を数えていきます。
葉の枚数は2850枚ありました。虫こぶはすべての葉に均等にできるわけではありません。
『虫こぶはひみつのかくれが?』には「1枚の葉に1個だけのものもあれば、100個以上もできているのもある」と書かれています。
先生はなんと2850枚の葉すべてを調べて虫こぶの数を数えていきます。見つかった虫こぶの数は2792個だったそうです。その中に1匹ずつ幼虫が入っています。2792匹の幼虫がどれだけ生き残るのか。このあとも調査は続きます。幼虫の行く手にはさまざまな困難が待ち受けています。敵も少なくありません。ヒメリンゴカミキリが葉を枯らしたことにより1093個の虫こぶが枯れてしまい、自然死で311匹の幼虫が死に、台風で514個の虫こぶが落ちてしまいました。このようにして虫こぶはどんどん数を減らしていきます。
12月には473個に減ってしまいました。このころからシロダモタマバエコマユバチが虫こぶに寄生し始めます。ハチの産卵管は虫こぶの壁を突き通し、中にいるタマバエの幼虫や内壁に産卵します。
孵化したハチの幼虫はタマバエの幼虫を食べて育ちます。寄生するのはコマユバチだけではありません。他にコガネコバチというハチもいます。先生は、473個の虫こぶのうち、いくつ寄生されるかをすべてお調べになったのです。
長期間にわたる調査の結果、驚くべき事実が明らかになります。冬を越した473個のシロダモタマバエの虫こぶから、コマユバチが245匹、コガネコバチが124匹出てきたのです。シロダモタマバエは79匹だったそうですから、4分の3は寄生されてしまったことになります。成虫になったあとも、蜘蛛に食べられてしまったり、寒さに負けて死んでしまったりするタマバエがたくさんいました。
最終的に一生をまっとうできたのは24匹だったそうです。
2792匹のうちの24匹です。宙を舞うタマバエを目にした時に、この事実を知っているのと知らないのとではタマバエの見え方がまったく違ってくるのではないでしようか。知ることは物の見え方が変わることだと改めて思います。
タマバエの研究はタマバエの生態をつきとめる以外にもさまざまな意味を持ちます。その一例として、湯川先生が編者を務めた『地球温暖化と昆虫』(全国農村教育協会)という本の中の第3章に収められた「樹冠から下枝へ、生活舞台の移動」に書かれた調査記録を紹介しましょう。
この時の調査は、高所作業車のクレーンにとりつけられたゴンドラに乗って高さ12メートルのシロダモの木の樹冠から昆虫を採集するというものでした。そこでたくさんのシロダモハコブフシを採集します。しかし、この結果は湯川先生を悩ませることになります。その悩みについて記述した部分を引用しましょう。
たくさんの虫えい(虫こぶ)が採集できたのは喜ぶべき成果でしたが、このことは同時に、私たちを大きく悩ませる結果にもなりました。というのは、以前、鹿児島で行われた調査で、シロダモハコブフシは大木の下枝や林内の幼木など、日陰の葉に多く形成され、樹冠部のような日当たりのよい場所には形成されないことが分かっていました(Yukawa and Akimoto,2006)。そして、まれに日向に形成された虫えいでは、中に生息しているタマバエの死亡率が上がるため、このタマバエは日向よりも日陰に適応した昆虫で、日陰に形成した虫えいに生息する性質を持っているのだろうと考えられていたのです。ところが、今回の福岡の調査では、樹冠部でたくさんの虫えいが見つかった一方で、大木の下枝や林内に生えている幼木のような日陰のシロダモの葉には、虫えいがごくわずかしか形成されていませんでした。
なぜシロダモタマバエは、鹿児島では下枝や幼木といった日陰に生息し、福岡では樹冠部のような日向に多く生息しているのか、このシロダモタマバエの生息場所の謎を解き明かすことにしました。
やがて謎は解明されました。本来、下枝の新芽に卵を産むシロダモタマバエですが、福岡ではタマバエの産卵時期にすでに下枝の新芽は開葉していて樹冠に残る新芽に産卵するしかないという事情があったのです。タマバエのように産卵期間の短い昆虫の場合には、生息地域によっては樹木の部位を本来の産卵部位から変えて産卵するしかないということがわかったのです。
ということは、地球温暖化などの気候変動の影響を受けてタマバエの産卵の時期が変わってしまうと、産卵場所を新たに探す必要が出てきたり、場合によっては産卵場所を失ってしまったりすることにもなりかねません。私たちの見えないところで、気候変動の影響を受けている小さな生き物が実はたくさん存在するかもしれないということをタマバエは推測させてくれます。
先ほど引用した文章の最後は次のように結ばれています。
樹冠部の昆虫採集で偶然出会った小さなシロダモタマバエの虫えい(虫こぶ)は、地球温暖化をはじめ、人類が直面しているさまざまな環境問題を考える大きなきっかけを、私たちに与えてくれた気がしています。
湯川淳一先生の研究者としての地道な努力とその興味深い研究内容にふれて、湯川先生に対する尊敬の念が深まっていきました。先生のおかげで、虫こぶに対する関心も格段に高まり、いろいろな植物に作られた虫こぶに自然に目が行くようになりました。
先日、高校一年生が総合学習の時間に間伐を行った校内の森の様子を見に行きました。間伐をしたところは、光が地上にまで届くようになり、その木漏れ日が森の中の樹木を照らしていました。
よく見ると光の先に一枚の葉が見えました。そこに虫こぶがついていました。ヤブムラサキという木の葉についていた虫こぶだったのですが、図鑑で見た覚えがありません。さっそく、これまで何度か同定のお願いをしてきた九州大学の阿部芳久先生にメールで画像を送って同定をしていただきました。阿部先生からの返信は次のようなものでした。
ゴール(虫こぶ)の写真を拝見しました。寄主植物から判断してタマバチではなさそうです。虫えい図鑑には出ていないようですが、タマバエの可能性はあると思います。この写真をタマバエが御専門の湯川先生にお送りして同定をお願いしてもよろしいでしょうか。
このメールを見て、僕はたいへん驚きました。
なんと、あの『虫こぶはひみつのかくれが?』の著者に不二聖心の森の木の葉の虫こぶを見ていただけることになったのです。
数日後、湯川先生からもメールが届きました。
幼虫とゴールのアップの写真をお送り頂きましたので、ゴールに毛が生えているのが 良く分かりました。幼虫は、まだ、終齢(3齢)幼虫にはなっていないようです。 このゴールは、タマバエの1種によるムラサキシキブハケタマフシと言われるもので、 ムラサキシキブとヤブムラサキで見つかっています。日本原色虫えい図鑑には、写真が掲載されていませんが、リストには含まれています。鹿児島、福岡、埼玉、千葉、東京で見つかっています。まだ、タマバエの成虫が得られていませんので、種の同定は出来ていませんし、生活史も分かっていません。ぜひ、成虫を羽化させて下さるようにお願い致します。
湯川淳一
尊敬する先生から、このような貴重なメールをいただけたことに感激しました。
ムラサキシキブハケタマフシという虫こぶの中には体長が数ミリしかない小さな幼虫が入っています。まだ四つの県でしか記録のないこの虫こぶが不二聖心ではなぜかたくさん見られるのです。小さな命ではありますが、シロダモタマバエがそうであったように、ムラサキシキブハケタマフシも、「地球温暖化をはじめ、人類が直面しているさまざまな環境問題を考える大きなきっかけ」を与えてくれるかもしれません。湯川先生の期待にお応えできるように、地道な観察をこれからも続け、成虫の羽化に向けて努力していきたいと思っています。
不二聖心は研究活動を大切にする学校です。みなさんも『虫こぶはひみつのかくれが?』などの湯川先生の著作を手にとり、一つの事実をつきとめようとする時に研究者に求められるものは何なのか、ぜひ学んでみてください。
今日のことば
1989年、私は科学的な裏付けもないまま地元の山に広葉樹林を植える運動を始めた。やがて松永勝彦・北海道大名誉教授らとの出会いで、森と川と海の生態系が密接に結びついていることが分かった。広葉樹の腐葉土が保水力を高め、鉄などの養分が河川水を通じて海に流れ込み魚や貝のエサになるプランクトンをはぐくむのだ。植林は非常に理にかなっていたのである。
その活動も来年で25年となる。この間に三陸沖漁場がオホーツク海を通じてロシア、中国国境を流れるアムール川の環境に大きく影響されることが判明した。私たちの経験を国際的な環境保全にどう役立てるかが問われている。
畠山重篤