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フィールド日記

2012.11.26

ノブドウの紅葉

 

 2012.11.26 Monday
第2牧草地のノブドウの葉が美しく色づいています。宮沢賢治の「めくらぶどう(ノブドウ)と虹」にはノブドウと虹がたいへん哲学的な会話をします。虹はノブドウに「けれども、もしも、まことのちからが、これらの中にあらわれるときは、すべておとろへるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなかぎりないいのちです。」と語りかけます。一年の終わりを迎えたノブドウの葉をじっと見ていると「みなかぎりないいのちです」という賢治の声が聞こえてくるようです。
ノブドウのことを賢治は「めくらぶどう」と呼びましたが、青森県の津軽地方の大鰐町でもノブドウを「めくらぶどう」と呼んでいたという記録があります。方言地図では言葉が県境を軽々と越えていくのが面白いところです。

 

 

今日のことば

「いいえ、変ります。変ります。私(ノブドウ)の実の光なんか、もうすぐ風に持って行かれます。
雪にうづまって白くなってしまひます。枯れ草の中で腐ってしまひます。」
虹は思はず笑ひました。
「ええ、さうです。本たうはどんなものでも変らないものはないのです。ごらんなさい。向ふのそらは
まっさをでせう。まるでいい孔雀石のやうです。けれども間もなくお日さまがあすこをお通りになって、
山へお入りになりますと、あすこは月見草の花びらのやうになります。それも間もなくしぼんで、
やがてたそがれ前の銀色と、それから星をちりばめた夜とが来ます。
その頃、私は、どこへ行き、どこに生まれてゐるでせう。又、この眼の前の、美しい丘や野原も、
みな一秒づつけづられたりくづれたりしてゐます。けれども、もしも、まことのちからが、これらの中
にあらはれるときは、すべてのおとろへるもの、しわむもの、さだめないもの、はかないもの、みなか
ぎりないいのちです。わたくしでさへ、ただ三秒ひらめくときも、半時空にかかるときもいつもおんな
じよろこびです。」
「めくらぶどうと虹」(宮沢賢治)より