フィールド日記
2011年10月
2011.10.08
ホタルガ・イヌタデ・ツマグロコシボソハナアブ
平成23年10月8日 土曜日
今日は不二聖心でツクツクボウシに加えてミンミンゼミの声まで聞くことができました。
どうやらセミはまだしばらく鳴き続けるつもりのようです。
ヒヨドリバナの上にホタルガがいたのにも驚きました。通常は5月~6月と9月に見られるマダラガ科の蛾です。
よれよれの状態で生き残っているという感じ ではなく、活発にヒヨドリバナの花の蜜を吸っていました。
どうも季節がずれてしまっているように感じられて仕方がありません。
イヌタデ(赤まんま)が温情舎の跡地のあちらこちらに咲いています。
この花を見ると中野重治の「歌」という詩を思い出します。次のような詩です。
歌 中野重治
おまえは歌うな
おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものをはじき去れ
すべての風情を擯斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
たたかれることによって弾ねかえる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸郭にたたきこめ
中野重治がどれほどイヌタデ(赤まんま)を愛していたかを逆説的に伝える詩です。
イヌタデを見ると「歌」の詩を思い出し、自分にとっての「ぎりぎ りのところ」とは何かと繰り返し
自分自身に問いかけた高校時代が懐かしく甦ってきます。中野重治は「赤まんまの花を歌うな」と
詩に詠みましたが、ツマグロ コシボソハナアブがとまる赤まんまの美しい姿に思わず歌わずにはいられない
心境に今日はなりました。
今日のことば
ひとりの子どもの涙は人類すべての悲しみより重い。
ドストエフスキー
2011.10.07
ツクツクボウシ・アカガエル・ミイラの火口、ツリガネタケ
平成23年10月7日
物事の始まりは注目されますが、終わりはそれほどでもないということがよくあります。
富士山の初冠雪は大々的にニュースになっても、富士山にいつ 最後の雪が降ったかはあまり話題にならない
というようなことです。しかし、物事の終わりにももちろん大きな意味があります。
今日、不二聖心ではツクツクボウシの声が聞かれました。この時期に聞かれるのは極めて珍しいことです。
学研のワイド原色図鑑のツクツクボウシの説明にも「7月中旬より9月末まで見られ、とくに8月中旬、
下旬に多い」とあります。もしかしたら今日の声が今年最後のツクツクボウシの声かもしれず、
この声が気候の重大な変化の予兆を示して いるのもしれません。
昨日、ヤマアカガエルのことを書きましたが、今日も森の中でたくさんのアカガエルと出会いました。
その中で、この20年間で最も大型の個体を見つけました。不二聖心の自然の豊かさを語るのに多くの言葉は
いらず、この1枚の画像を示すだけで十分なのかもしれません。
キャンプ場のツリガネタケがいつの間にか2つになっていました。ヨーロッパの氷河で発見された
約5000年前のミイラの「アイスマン」がこのツリガネタケを火口として携帯していたというのは有名な話です。
今日のことば
数年間、毎年こうやってクモの網づくりを調べることは、正直言ってわたしには、たいしてめんどうなこと
ではありません。でも、こんなことをしていて金持ちになるはずはないのです。それでもわたしはかまいません。
お金持ちになるよりも、もっともっと たくさんな精神の満足を、こうした生活はわたしにあたえてくれる
のですから。
アンリ・ファーブル
2011.10.07
イヌショウマ・ヤマアカガエル
平成23年10月6日 木曜日
絶滅危惧種のイヌショウマの花が今年も咲き始めました。先日の台風の影響か、数が激減してしまった
のが気がかりです。撮った写真を眺めてみて初めて、花の近くにアリがいたことに気づきました。
見ているようで実は見ていないことの何と多いことかと思います。
絶滅危惧種のヤマアカガエルに出会いました。土の色にすぐに同化してしまうため見つけにくいカエルです。
かつての普通種が次々に絶滅危惧種となっている時代です。気がついたら絶滅していたということにならない
ようにしていかなくてはならないと思います。
今日のことば
私たちの目を、見えるものから
あなたの見ておられる見えないものへ導いてください。
目に見えない存在、目に見えない生命、
目に見えない行い、目に見えない愛へ
大切でないものにまどわされやすい私たちが
真に価値あるものを理解し
それを望むことができますように。
聖心会 第9代総長 マザー ドレスキューの祈りより
2011.10.05
ヤマトシジミ・ヨモギクキワタフシ
平成23年10月5日 水曜日
今日の日中の気温は11月下旬並みだったということです。寒い一日でした。
ヨモギの花にヤマトシジミがとまっていました。茎のところにはヨモギクキワタフシという虫こぶが
ついているのが見えます。ヨモギワタタマバエがあ る種の化学物質を植物の組織内に注入することによって、
このような虫こぶができあがりました。虫こぶの形成過程のメカニズムにはまだ明らかになっていない
ことがたくさんあります。
今日のことば
渚に満ちあふれる生命をじっと見つめていると、私たちの視野の背後にある普遍的な真理をつかむことが
並大抵の業ではないことをひしひしと感じさせ られる。夜の海で大量のケイ藻が発するかすかな光は、
何を伝えようとしているのだろうか? 無数のフジツボがついている岩は真っ白になっているが、
小さな生命が波に洗われながら、そこに存在する必然性はどこにあるのだろうか?
そして、透明な原形質の切れはしであるアミメコケムシのような微少な生物が無数 に存在する意味は、
いったい何なのだろうか? かれらは、岸辺の岩や海藻の間に一兆という数ですんでいるが、
その理由はとうていうかがい知ることはできな い。これらの意味は、いつまでも私たちにつきまとい、
しかも私たちは決してそれをつかまえることはできないのだ。しかしながら、それを追究していく過程で、
私たちは生命そのものの究極的な神秘に近づいていくだろう。
レイチェル・カーソン
Contemplating the teeming life of the shore, we have an uneasy sense of the communication of some universal truth that lies just beyond our grasp. What is the message signaled by the hordes of diatoms, flashing their microscopic lights in the night sea? What truth is expressed by the legions of the barnacles, whitening the rocks with their habitations, each small creature within finding the necessities of its existence in the sweep of the surf? And what is the meaning of so tiny a being as the transparent wisp of protoplasm that is a sea lace, existing for some reason inscrutable to us ---- a reason that demands its presence by the trillion amid the rocks and weeds of the shore?
The meaning haunts and ever eludes us, and in its very pursuit we approach the ultimate mystery of Life itself.
2011.10.04
雪化粧の富士山・ウラナミシジミ・カゲロウ
平成23年10月4日 火曜日
上空の寒気の影響で今年一番の冷え込みとなりました。富士山も雪で真っ白でした。
温情舎の跡地に生えているセイタカアワダチソウにウラナミシジミがとまっていました。よく見ると
翅の先に尾状突起と呼ばれる糸のようなものが付いているのがわかります。これを触覚に似せ、
翅の模様を目玉に見せて敵を欺いているのです。
その近くのススキにはカゲロウがとまっていました。カゲロウがいるということは近くに
水質の良い川があることを示しています。
今日のことば
If a child lives with acceptance and friendship, he learns to find love in the world.
受け入れられて育った子は、世界に愛を見つけます。
ドロシー・ロー・ノルト
2011.10.03
スズメウリ・ススキの花穂とキンケハラナガツチバチ
平成23年10月3日 月曜日
スズメウリが杉の木からぶらさがっているのに気付きました。
小さくて色も杉の緑に同化し実に目立たない実です。
熟しても赤や黄色に色づくこともなく白くなって枯れていきます。なんともはかなげな風情があります。
キンケハラナガツチバチがススキの花穂にとまっていました。花穂の上に乗ったまま全く動こうとしません。
どうやらキンケハラナガツチバチにはこのような姿で休息をとる習性があるようです。
今日のことば
もしも 走れないのならば 歩けるよろこび歌おう
もしも 歩けないのならば 立ち上がるよろこび歌おう
もしも 立ち上がれないなら 起き上がるよろこび歌おう
もしも 起き上がれないなら 目覚めるよろこび歌おう
樋口了一
2011.10.02
マツムシ・ショウリョウバッタモドキ
平成23年10月2日 日曜日
ススキ野原で、マツムシの接写に成功しました。文部省唱歌の「蟲のこゑ」でおなじみの
「チンチロチンチロチンチロリン」という鳴き声を毎日、耳に していましたが日中は姿を見せることが少なく
警戒心も強いため、撮影はなかなか困難でした。それが今日は雌雄合わせて3匹の撮影に成功したのです。
マツム シのレッドデータリストは以下の通りです。
絶滅危惧Ⅰ類 群馬県
絶滅危惧Ⅱ類 東京都 千葉県
準絶滅危惧種 埼玉県 茨城県
下の写真は、1枚目がメスで2枚目がオスです。
実は昨日の夕方に、もう1種、直翅目の希少種の撮影に成功しています。ショウリョウバッタモドキです。
同じようにレッドデータリストを示します。
絶滅危惧Ⅰ類 群馬県
準絶滅危惧種 山形県 茨城県 千葉県 埼玉県 東京都 奈良県 高知県
以前から、矢島稔先生が1983年にお書きになった『昆虫ノート』(新潮文庫)という本を愛読していますが、
その本にはショウリョウバッタモドキについて以下のように書かれています。
とにかく四十年近く東京のまわりを虫を探して歩きまわっているから、いつどこで何に会えるかという
「昆虫ごよみ」が私の中にはできている。ところが近頃さっぱり会えなくなった種類がいくつかある。
直翅目ではキリギリス科のカヤキリとクツワムシ。バッタ科のショウリョウバッタモドキである。
特に後者は十年も会っていない。どれほど少なくなったかといわれても定量的に測定していないから、
いわば狩人のカンとしかいいようがないのだが……。
最後に出会ったのは四十八年夏で、しばしば訪れる相模湖に近い丘陵だったと記憶している。
その場所もすっかり変ってしまって、去年も遂にその姿を見出せなかった。私が特に鮮明におぼえている
のは触角から頭、胸、翅の背中側がピンク色で、イネ科の細長い葉の中にいると、
実に巧みなカムフラージュ効果があって、一瞬その姿が消えてしまうからだ。
ショウリョウバッタも、オンブバッタもたしかに保護色だが、決してそれに劣らない。
予想以上に細長い体、頭の尖っている角度など形も姿をかくすのに役立っている。
近年、保護色をテーマに調べているので、もう一度是非会いたいのだが願いがかなうだろうか。
べつにこのバッタがいなくなっても話題にならない。人間とは何の関わりも無いから。
でもこうした生物が他にもいるだろう。という事は自然界のバランスが くずれている証拠である。
人はまだ気づかない。次々に音もなく消える生物が天然記念物だと大問題になるが、その時はもうおそい。
この文章が28年前に書かれていることに注目したいと思います。1983年に既に著しく数を減らしていた
ショウリョウバッタモドキを、2011年 の不二聖心で普通に見ることができるのです。
しかし、その姿はいかにも弱々しく人が近づくと瞬時に葉裏に姿を隠してしまいます。
もし不二聖心のススキ野原 が適正に管理されなくなったらあっという間に絶滅してしまいそうです。
ショウリョウバッタとショウリョウバッタモドキの違いに気付ける目を持ち、希少種の数の増減を意識する
ことは実に大切なことだと思います。聖心の教育 は、世の中の弱い立場にあるものに目を向ける心を育てる
ことを目的の一つにしていますが、マツムシやショウリョウバッタモドキのような急激に数を減らし
つつある生き物を慈しむ心を持つことが、弱者への温かいまなざしを育てることにもつながるのでは
ないかと思っています。
今日のことば
夢をまことにと思うならば、焦らずに築きなさい。
その静かな歩みが遠い道を行く。
心を込めれば全ては清い。
この世に自由を求めるならば、焦らずに進みなさい。
小さいことにも全てを尽くし、飾らない喜びに気高さが住む。
日毎に石を積み続け、焦らずに築きなさい。日毎にそれであなたが育つ。
やがて天国の光があなたを包む。
アシジの聖フランシスコ
2011.10.01
ススキの花とハナバチ・アサギマダラ
平成23年10月1日 土曜日
金木犀の香がただようなか、カネタタキの鳴く声を聞きながら一日仕事をしました。
ススキがたくさんの花をつけ、そこには花粉を求めてアリやハチが集まってきています。
今日は朝早くから熱心に動き回るハナバチの姿も撮影できました。
9時50頃、校舎の中にアサギマダラが飛んできました。1000キロを超える渡りをすることもあると言われる
蝶です。写真を撮ってすぐに外に逃がしました。このあと沖縄あたりまで飛んでいくのかもしれません。
今日のことば
人が死んでのちに残るのは、集めたものではなくて散らしたものである。
ジェラール・シャンドリー
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