シスター・先生から(宗教朝礼)

2025.11.12

2025年11月12日放送の宗教朝礼から

 昨日の追悼ミサでは、静かで温かな雰囲気の中、全校で亡くなった方のためにお祈りを捧げ、大切な時間を過ごすことができました。

 この時期を迎えると思い出すことがあります。6年ほど前、私はある生徒の進路指導を担当していました。その生徒は看護師を目指していて、私たちは志望理由書の作成や面接試験に向けて対話を重ねていました。ある日、その生徒から「先生は身近な人を亡くしたことがありますか」と聞かれました。「ある」と答えると、その時どんな気持ちだったか、どうやって身近な人の死を乗り越えたのかを聞きたいと言われました。彼女は今まで身近な人の死を経験したことがなく、看護師という人の生死に関わる道を志すなか、人の死とどう向き合うのかということについて不安に感じていたそうです。彼女が勇気を出してその問いを考えようとしていること、真剣に向き合おうとしていることが伝わってきたので、私はうまく答えられなくても、本当に心で感じたことを伝えて一緒に考えたいと思いました。そこで4歳から17歳まで一緒に暮らしていた私の祖母のことを話しました。

子どもの頃の私はおばあちゃん子で、家に帰ってくると祖母の部屋に行き、一緒にお茶を飲みながらお話して過ごしました。生活の基本的なことの多くは祖母から教わりました。私が中学・高校に上がる頃には、祖母は体調を崩して入退院を繰返すようになり、私も部活や塾などで一緒に過ごす時間は少なくなっていきました。高2の終わりごろに祖母を亡くしたとき、私はもっと祖母のお見舞いに行っていればよかった、介護ももっと手伝えば良かった、あんなにかわいがってもらったのに、おばあちゃん孝行できなかったと後悔しました。母にそのことを話したら「おばあちゃんの人生は苦労が多かったけれど、孫と過ごした時間が人生で一番幸せだった。生まれてきてくれたことがおばあちゃん孝行だった。だから何も心配しなくていい。」と言葉をかけてもらい、少しずつ祖母の死から立ち直ることができました。

その生徒との対話を通じて、祖母の死について改めて向き合うことができた後、ちょうど昨日のように追悼ミサに与る機会がありました。そのごミサの中で、神父様が「私たちは亡くなった人のためにお祈りをするけれど、亡くなった人もまた私たちのために祈ってくれている」とお話し下さり、それを聞いてはっとさせられました。わたしは今まで、自分の進路や人間関係、仕事のことなどで思い悩んだときに、祖母の部屋で過ごした時を思い出すことがありました。以前それは、自分の心が弱っていて、幼い時のことを思い出して安心したいからだと思っていました。でもその時から、「今、祖母が私のためにお祈りしてくれている」と感じるようになりました。「亡くなった人はいつでも見守っていてくれる、お祈りしてくれている」という言葉は以前にも聞いたことがあり、信じていたつもりではありましたが、まだ実感を伴っていませんでした。そのときから「単なる聞いたことある話」ではなく私にとって「真実」になりました。そして大切なことに気づく機会をくれたあの生徒にも、また一つ発見があったと早く伝えなければと思いました。

私と話したことで彼女が何を感じたのか、何か得るものがあったのかは分かりません。問いの答えは彼女が自分の人生の中で見つけていくものだと思います。これからも日々の生活の中で頭を悩ませる難問に出会い、今信じているものが明日は信じられなくなることもあるかもしれません。それでも一つひとつのことに真摯に向きあうことで、素晴らしい気づきや出会いもまたあるのだと信じて歩んで行きたいと思います。以上で宗教朝礼を終わります。

M.O.(社会科)