シスター・先生から(宗教朝礼)

2025.06.26

2025年6月25日放送の宗教朝礼から

 私が小学校入学直前から通っている神奈川県の教会は、サレジオ会の教会です。サレジオ会は1859年にイタリアで始まった修道会で、現在では世界130か国以上に広がっています。創立者は、ドン・ボスコという神父様です。彼は1815年にイタリアのトリノで生まれ、青少年の人間形成、特に社会的に困っている青少年のために全生涯をささげました。子どもの人間形成を目指しているという点では、聖心会と共通している部分があるかもしれません。このような子どもの人間形成を大切にした環境が私の通っている教会にもありました。

 この教会に移ったばかりの頃、イタリア人の主任神父様がいつも子どもたちに語り掛けていたことがあります。「みなさん、目は何のため?」と神父様が子どもたちに聞くと、子どもたちは一斉に「見るため!」と答えます。次に神父様は「じゃあ、耳は何のため?」と子どもたちに聞くと、「聞くため!」と一斉に答えます。その次に「じゃあ、心は何のため?」と子どもたちに聞くと、子どもたちは考え込んでしまいシーンとしてしまいます。しばらくして神父様が「心は人のためだよ」と子どもたちに答えを教えてくれます。毎週のように神父様はこの話をしてくださっていたので、2回目、3回目になると子どもたちは「心は何のため」と聞かれたら、すぐに「人のため」と答えられるようになっていましたが、私がこうして今話しているように、大人になった今でも神父様のお言葉は忘れることがありません。
 この「人のために心を遣うこと」こそ、イエスさまが望んでいる、みこころなんだと私は考えます。と言っても、「人のために心を遣うこと」って、なかなかできることではないと思います。ついつい、自分のことで精一杯になってしまうものです。
みこころにとって大切なことは三つあると思います。
 一つ目は「神様との信頼」です。主イエスは、すべての人の救いのために十字架にかけられました。それは神様が私たちに与えてくださった無償の愛のしるしであると言われています。私たちが神様に愛されているという信頼関係を感じることができれば、自分は神様によって守られ、安心感を持つことができるのではないかと思います。
 二つ目は「祈り」です。祈りは時に新しい「気付き」をもたらしてくれます。私も取り組んでいることがうまくいかない時にお祈りをし、誰かに相談したり、本を読んでみようというひらめきから、新しい気づきに出会うことがありました。この気づきをもって実行していけば成長することができ、一回り成長した新しい自分になることができます。キリスト教はいわゆるご利益を求めるものではなく、祈りを通して得られた神様からの気づきを通して、成長させてくださいます。
 三つ目は「交わり」です。みなさんは、何か頑張って取り組んでいることはありますか?勉強や習い事など様々でしょう。そしてそれは、たとえ自分が好きでやっていることだとしても、間接的には人のためになるものではありませんか?神様から気づきによって成長することができたのであれば、失敗を恐れずに周りの人のために貢献していきましょう。きっとそれは、誰かにとっての気づきにもなり、他者にとってよい影響をもたらすでしょう。
 
 今週、不二聖心では「みこころの祝日」をともに祝い、それぞれの場所で奉仕する時間を守ります。奉仕を通して出会う方々との交わりのひとときが、神様の祝福に満ちたすばらしい時となりますように。
Y.I.(地歴・公民科)