シスター・先生から(宗教朝礼)

2025.05.14

2025年5月14日放送の宗教朝礼から

  金曜日に体育大会を控える今週、どう過ごしていますか。最後の練習や準備など、それぞれが忙しい日々を送っているのではないでしょうか。慌ただしい時期であるからこそ、貴重な宗教朝礼のこの時間に、心を落ち着けて学院目標について再度ふり返ってみたいと思います。

 今年度の学院目標は「~Joy in Learning あなたの問いを大切に~」です。現在の自分や自分をとりまく状況を客観的に把握し、それらをさらに良くしていくための問いを立て、その問いを解決することで、あるいは解決しようとする過程においてやはり人は成長していくものだと思います。その全体のプロセスのなかでJoy、「喜び」を感じることができれば前向きに日々の学びを進めることができるのではないでしょうか。「学びにおける喜び」について少し私自身の話をしてみたいと思います。
 学生時代、私は教員になるための勉強と並行して、不運にも哲学の勉強にのめり込んでしまいました。哲学というと例えば「人はなぜ生きるのか」や「幸福とは何か」といういわば壮大なテーマについて考えを巡らすものというイメージを持っている人もいるかもしれませんが、大学などで勉強する場合は哲学者や思想家の残した文章を書かれた言葉で厳密に読み解いていくことが重視されます。抽象度の高い文章を一文一文細かく読んでいき、そこで書かれている内容について議論するということが楽しくて仕方がありませんでした。哲学書を書かれた言語で読むために複数の外国語、特に英語・ドイツ語・フランス語を勉強する必要があったのですが、これもまったく苦にならず自分で言うのも変ですが熱心に勉強していたと思います。最近は本を読むこと自体がめっきり少なくなってしまいましたが、時折気が向いて本を手にとるときなどジャンルは決まってそうした系統です。特にきっかけがあったわけでもなく、なぜ好きなのかは自分でも未だによくわかりません。誰に強制されることなく気づけばそれに向かっている状態で、これが私にとってのJoy in Learningの体験でした。もっとも、過去の偉大な人たちが残した文章なので本当に理解できたかどうかは怪しく、勝手気ままに理解した気になっていただけかもしれませんが、少なくともそうしたものを読むことが好きであったことは間違いありません。
 さて、皆さんは夢中になって取り組めるものはありますか。好きであれば勝手に学んでいけるもので、「誰かに言われたから」や「とりあえずしなければならないから」とは違って、学ぶこと自体に喜びや楽しみを見出せるはずです。また、今はまだ実感が湧かなくても、学校で学ぶことは皆さんの将来したいことに直接的ではないにしても間接的に結びついているかもしれません。私の例でいえば、高校までで学んできた文章を正確に読解する国語の力、論理的に物事を思考する数学の力、英語の読解力などあらゆることが哲学をするにあたって役立ったと感じます。改めて「18際のプロファイル」を見返してみましょう。今年度は「知性を磨く」に重点を置く年で、その中には「2 学ぶ喜びと学習の達成感を知っています。」「3 真理を追求したいという意欲が育っています。」「4 知的好奇心が育っています。」とあります。知的好奇心や真理を追い求める意欲をもとに日々の学びを自分から喜びをもって経験し、身につけたことを周囲の人や社会全体のために使える人になれるとよいですね。そして、『聖心会における学習の精神と指導要領』という本にはこう書かれています。「人間形成ということは、でき合いの知識を供給することでもなければ確信や習慣をうえつけることでさえもない。それは子供が、自ら考え、意志するように導くことである。知識は生きた働きをもつものであり、それ故、内から生じるものである。」これは、教師に要求されるものを述べた文脈のなかの一節ですが、ここで述べられている「自ら考え、意志する」ことによって生じる学び、「内から生じる」学びとは、まさに自発的な学び、自分の好きなことを追究することから生じる学びに他なりません。日々の生活のなかで生じる「問い」を大切に、学びが喜びとなるような経験にぜひ多く出会ってください。皆さんが日々さまざまなことにアンテナを高く張り、学校生活やその他の場面でJoy in Learningを多く経験できることを願っています。
 これで宗教朝礼を終わります。
K.O.(外国語科)