シスター・先生から(宗教朝礼)

2025.04.30

2025年4月30日の宗教朝礼から

 先週、新年度の祈りのつどいが行われました。それぞれのクラスが話し合って決めた目標を神様にお捧げし、またパンを分かち合い共同体としてお互いに支えあい、高めあうことを誓いました。
今日は、この1年を一緒に過ごすクラスなどの共同体について考えてみたいと思います。

しばらく前に私は中学校3年生のときのクラスのメンバーで集まる同窓会に参加する機会がありました。数年ぶりあるいは数十年ぶりに会う人もいて、お互いに近況を報告しあったり、中学校時代のの思い出話をしたりして楽しい時間を過ごしたのですが、その中で中学校3年生の「お別れ遠足」に話題が及びました。「お別れ遠足」は、受験を終え、卒業式までの残りわずかの期間に行く遠足で、クラス、学年の皆で一緒に最後に楽しむ行事、と説明したら皆さんにもそれがどのような行事なのかが伝わるでしょうか。
 このお別れ遠足のことは私の記憶にも強く残っています。それは、皆で楽しく過ごせたことに加え、そのころ学校をお休みすることが多かったクラスの仲間、仮にA君としましょう、このA君も参加していたからだと思います。
このA君のお別れ遠足への参加については私を含め、一緒に同窓会に参加していたメンバーは全く知らないことがありました。私たちはその内容にとても驚きました。その内容はだいたい次のようなものです。
実は、A君の参加にはB君とその友人たちのはたらきかけがあったということでした。Bくんは学校をお休みがちだったA君も含めてクラス全員でお別れ遠足に一緒に参加したいという気持ちが強くあり、まわりの友人や先生にも相談しつつ、学校を終えてから何度もA君に一緒に参加しようと個人的にあるいは友人と一緒に誘いに行ったとこのことでした。何度も誘ったというのは、A君は当初は誘いの声掛けに対して断っていたためです。それでも何度か誘われるうちに最後は、「そんなに誘ってくれるなら。」と参加することを決めてくれたようでした。結果として、A君はお別れ遠足に参加し、その日の解散のときには「今日、来てよかった。とても楽しかった。」と話してくれたそうです。
 これを聞いて私がどんな思いをもったと思いますか。皆さんの置かれている状況、時代も異なるので、きっと考えることもさまざまでしょう。
 では、私が思ったことをお話しします。端的に言えば、「ありがたいことだったなぁ。」というものでした。これはどういうことかというと、きっと私が過ごしたクラスはいろいろな場面で周囲のことを思いながら過ごす雰囲気のある、思いやりに支えられたものだったに違いないと思えたのです。そのような雰囲気のあるクラスで1年という時を共有できたことに今更ではありますが感謝の気持ちをもちました。そのおかげで私は楽しく、落ち着いて卒業の時を迎えることができたのだと思います。
それと同時に、私自身はクラスの中で、何か温かい雰囲気をつくることに役立っていただろうかとも顧みました。これは今となっては覚えていないことも多いのですが、反省することの方が多いような気がします。
 では、今の私はどうでしょうか。家庭や友人との中で、不二聖心で・・・。課題の方が多いです。あの中学校3年生の時のクラスの人たちに今から何かをお返しすることはできませんが、せめて今自分の周囲にいる人に共同体の一員として、よい雰囲気をつくることに少しでも役立てたら、という思いをもつ機会もいただいた同窓会となりました。
 
 さて、新年度を迎えておよそ1か月が経ちました。
 皆さんは新たに学校に入学したり、新たなクラスで過ごしていています。それぞれの共同体はどんな雰囲気ですか。私たちはつい、人から与えられることを望みがちです。でも、ひとりひとりの醸し出す雰囲気が私たちが一緒に過ごしている共同体の雰囲気をつくりだします。
 一番素敵なことは、過ごしている時からあたたかさを感じられることだと思います。でも、一緒に過ごしていると、時には意見が合わなかったり、考えていることがわからなかったり、あるいは、ちょっとした言葉やその不足から誤解が生じることもあるでしょう。そうであったとしても、根底にはあたたかさがあってほしいと心から思います。そして、いつか不二聖心での日々を振り返ったときに、あたたかい日々、場所だったと思えるようにお互いに過ごしていきましょう。
 これで宗教朝礼を終わります。
S.S.(理科)