シスター・先生から(宗教朝礼)
2025.02.19
2025年2月19日放送の宗教朝礼から
皆さんは、自分のこれまでを振り返ったとき、自分が大きく成長できたと感じた体験、または、人生最大の危機と感じた出来事、大変だったけれど乗り越えられた出来事はありますか? もしくは今がそのときだ、と感じている人もいますか?
求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい、そうすれば、開かれる。
(マタイによる福音書 7章7節『求めなさい』より)
(マタイによる福音書 7章7節『求めなさい』より)
これは、有名なマタイ福音書の一節です。今日は、私が経験した人生の中でもっとも大きな出来事と、それを通じて、この聖書のみことばがもつ意味を深く実感することができた体験をお話させてください。
中2以上の方はご存じですが、私は昨年6月まで半年間、休職をしていました。そして、ちょうど1年前の今頃、私は終わりの見えない暗いトンネルの中で、出口はあるのだろうか?と毎日考える日々を過ごしていました。休職に入る前日、皆さんが、「先生、病気ですか?どこか悪いのですか?」と声をかけてくださいましたね。その時、私は体調不良でもなく、病気でもありませんでした。理由は、両親の看病と介護のためでした。
夏のある夜、母が突然脳梗塞で倒れ、認知症が一気に悪化しました。人格が一変してしまったかのように、父や私、妹への暴言や他害(周りの人を傷つける)の行動が始まりました。入院すれば悪化を防げると病院の先生から説明があったにも関わらず、いくら説得しても、全くかみ合わない会話で、母は入院を拒みました。家族としては何としても、これ以上病状が悪化してほしくない一心で、病院の先生にお願いをしましたが、夜中までの説得も空しく、「本人が嫌がる以上、普通の病院での入院は認められない」、と匙をなげられてしまったのです。病院から拒否されたら、患者はどうしたらよいのでしょうか?家族はどうしたらよいのでしょうか?自宅に母を連れて帰ったとき、父が流して涙が忘れられません。同時期に、父自身も、持病の癌がかなり進行していました。あらゆる薬を試しましたが、いよいよ薬の選択肢がなくなり、痛みで歩行もできなくなり父の死期が近づいていました。そのような中で、自分に寄り添う父にでさえ、母は認知症特有の言動で、暴言やら、叩いたりやらで、家族としてとても見ていられない状況になってしまったのです。夏のある夜を境に、母はそれまでの母ではなくなり、父も病状が悪化し、私の家族は状況が一変しました。それは私にとって、とても辛いことでした。途方にくれるなか、両親の介護と家族のこれからの道筋をつくるために、私は妹と共に休職をする決意をし、神奈川県の実家に戻りました。
そこから、長いトンネルの中を歩く日々が始まりました。介護や福祉について一から学び、自宅で受けられる介護サービスや、制度について知りました。認知症特化の特別な治療と入院ができる病院があることを知り、色々な病院に連絡をし、なんとか母の入院治療にこぎつけました。薬の効果で母の精神状態はおちついていきましたが、副作用でしゃべることはできなくなり、体の自由がなくなり、身の回りのすべてにおいて介助がないと生活できない状態になりました。
介護は、想像以上に大変なことです。色々としてあげたい気持ちがあっても、体を持ち上げるのにも、食事をするのにも、やはり専門の知識が必要です。介護には終わりがありません。私の休職期間の期限が近づく中、母のためにも家族のためにも、よい施設をみつけて入居につなげていくことが必要だと感じ、妹と協力して、何十件もの老人ホームに相談し、見学にいきました。ところが、「いいな」と思った老人ホームは、入居の待機者が100人、200人いる状態なのです。高齢化社会の中で、老人ホームを必要としている人がこれほど沢山いるのだと初めて知りました。針の穴を通るような厳しい現実のなかで、自分が復職するまでに母を施設にいれることができるのだろうか?と先の見えない不安に度々襲われましたが、ひたすら施設探しを続けました。父も余命がわずかとなり体中に痛みが出ていましたが、それでも希望を持ち続けながら、闘病をしていました。入退院を次第に繰り返す父、認知症の治療を続ける母、同時に2つの病院を行き来する日々の中、母が入居できるよい施設がやっと見つかりました。父は、私が復職する3週間前に静かに息を引き取りました。父の最期を看取り、母を、介護のプロの方のいる施設に入れること、これが休職中の私のミッションであったと思います。
休職期間を通して、自分の中に沢山の気づきがありました。1つ目は介護福祉について、知っているようで何も知らなかった自分に気づかされたことです。休職してから私の視点は180度変わりました。いつの間にか、車を運転するとき、街を歩く時、介護施設ばかりに気を留める自分がいました。恥ずかしいながら、それまで老人福祉について実は他人事だった自分に気づかされ、自分が当事者になって初めて、高齢化社会や介護の問題が私の切実な問題となったのでした。2つ目は、両親の介護、父の闘病にあたって、ケアマネージャーさんや介護福祉士の方、病院の先生や看護師さん、本当に多くのかたの支えられたことです。歩けない父のために、介護ベッドや歩行器、手すりなど、便利なものを沢山提案してくださり、手すりの高さやベッドのクッションの質に至るまで患者と家族の目線にたって、本当に細やかな配慮をしてくださった福祉用具の業者の方にも頭が下がる思いでした。私たち家族が途方に暮れ、先の見えない不安の中にいた時に、ふと、親身に相談に乗ってくださる方、力を貸してくださる方が現れ、私たちの不安を一緒に背負い、「一緒に頑張りましょう、私たちに頼ってください」と声をかけてくださったのでした。患者や家族に寄り添いながら、丁寧に声をかけてくださる福祉関係の方々、在宅医療関係者の方々の仕事の奥深さ、そしてプロ意識に本当に頭が下がる思いで、感謝の気持ちで一杯になりました。
私はこれまで不二聖心で働きながら、自分が周りの人にためにできることを実践していくことの大切さを生徒の皆さんと日々学んできたはずでしたが、休職期間を通じて、私と私の家族が最も小さく弱い立場となり、周りの方々に沢山助けていただくことになりました。
マザー・テレサは次のような言葉を残しています。
「貧しさを知らずして、どうして貧しい人をたすけられるでしょうか?」
この言葉の意味を、身をもって実感しました。患者の立場、患者を支える家族の立場を経験して、初めてその人たちが本当に必要としている助けが何であるかを知ることができたのです。
今、母は施設で穏やかな日々を送っています。車いすで会話もなかなか難しく毎日記憶はリセットされ、昨日あったことも今日あったことも覚えていませんが、それでも娘である私と妹の顔だけはなんとか分かってくれます。そして父は天国から私たちを見守ってくれているはずです。私の休職期間が終わる直前にすべてが整い、私はトンネルから抜けだし、昨年6月、不二聖心に復帰しました。
求めなさい、そうすれば与えられる。
探しなさい、そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい、そうすれば、開かれる。
両親の介護、そして親の最期を看取るという辛く大きな出来事の中で、神様は本当に必要なものを、私と私の家族に、必要な時に、必要な場所で与えてくださいました。
それは、何もしない中で与えられたのではなく、自分も沢山動いた末、始めは終わりの見えないトンネルと感じていた空間に、神様は、一緒に支えてくださる沢山の方たちを置いてくださり、一筋の光を与えてくださったのでした。私がこの困難を乗り越えるために必要なものは、すべて与えられていたのだと気がつき、神様がこのような時間、人との出会い、様々な気づきを自分に与えてくださったことに、今、心から感謝しています。
もちろん、願っていたことは両親の病気が治ることでしたが、それは叶いませんでした。神様は、突然私に奇跡を起こしたり、困難な状況から救ってくださった訳ではありません。しかし、それ以上に、最も辛く悲しい時に、多くの人々との出会いや出来事を通して、共に歩んでくださっていたことを教えてくださいました。最も困難な時に神様がともにいてくださることを信じ、希望を持ち続けられたこと、これこそが信仰なのだと深く気づかされました。
皆さんも、これからの人生の中で、様々な出来事に直面すると思いますが、希望を持ち続けて歩むこと、求めること、門をたたくこと、続けてください。神様はきっと何かの形でそれに答えてくださるでしょう。
(英語科・宗教科 Y・S)