シスター・先生から(宗教朝礼)

2025.01.22

2025年1月22日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。
突然ですが、「あなたの人生の目的は何ですか?」と聞かれたら、みなさんなら何と答えますか?
私は最近「ソウルフル・ワールド」というディズニー&ピクサー作品を観ました。
これは、主人公である音楽教師、ジョーという人物が「ミュージシャンになる!」という長年の夢を叶える直前でマンホールに落下。あの世を目の前にしたジョーは必死に走り回ります。そして辿り着いた先は、ソウル、つまり魂たちが、地上に生まれる前に「どんな自分になるか」を決める世界であり、人生のきらめきを見つけることで、地上に生まれることができるというお話です。
そこでジョーが出会ったのは、人生のきらめきを見つけられず、「人間に生まれたくない!」と何百年もソウルの世界にとどまっている22番というソウル。仲間のソウルたちが次々と人生のきらめきを見つけていく中、22番はなかなか見つけることができません。
私自身、自分の中高生の頃を思い返してみると、やりたいこともなく、将来の夢もなく、周りの友人たちがそれぞれの目標に向かって頑張っている中で、私は何を頑張ったらいいのか、一体何を頑張りたいのか…考えれば考えるほど目的を見失い、自分のことが嫌になったり、自信がなくなったりすることもありました。
余談になってしまうかもしれませんが、私はときどき、「どうしたら人前で話せるようになりますか?」と聞かれることがあります。実は、私は人前で話すことがとてもとても苦手です。中学生の頃の私は、朝礼や終礼で、委員会や係として何かを連絡するとき、事前に原稿を書いて、それを何度も読み返し、緊張しながら手を挙げていました。きっとそのときの先生からの連絡は、一切耳に入っていなかったと思います。
手を挙げて立つと、みんなからの視線が集まり、それがまた私の緊張を加速させました。しかし、落ち着いて周りを見ると「うん、うん。」とサイレントでうなずきながら聞いてくれる友人、連絡が終わると「ありがとうございました!」としっかり言ってくれる友人がいました。何だか自分の存在を認めてもらえているような気がして、誰かの役に立つことができたような気がして、無事に連絡が終わった安心感と喜びを感じたことを覚えています。壮大な話のようですが、恥ずかしながら、たった1つの連絡が、 私にとっては心構えが必要な一大イベントでした。
そんな私が、今では先生として教壇に立っています。年齢や経験を重ね、少し慣れてきたとはいえ、言葉にするのに時間がかかったり、人前に立つと緊張したり、相変わらず苦手なものは苦手です。かっこいいことは言えません。
「先生になったこと」、これは結果として、私の人生の目的の1つだと言えるかもしれませんが、元から先生になることを目的としていたわけではありませんでした。
そもそも、人生の目的とは何なのでしょうか。将来の夢のことでしょうか。そして、それは必ずしも、なくてはならないものでしょうか。
もちろん、目的を見つけることに越したことはありませんが、目的が人生の全て!というわけでもないように思います。

 ソウルフル・ワールドの話に戻りますが、ひょんなことから22番は、初めて人間の世界を体験することになります。街並みを歩く、ピザを食べる、落ち葉を手のひらで受け止める、人と話す…何気ない日常に心をときめかせます。一方、夢を叶えることが人生の全てだと考えていたジョーはそんな22番の姿を見て、自分にとって当たり前だった世界のきらめき、それがどれだけ美しく、かけがえのないものなのか、ということに気がつきます。
私は、この映画を観て、私たちがきらめきに気づいたとき、それが私たちの生きる意味、目的となるんじゃないかと感じました。あまりにも身近で、日常に溶け込んでいるきらめき。そのひとつひとつに、私たちはどれだけ気がつくことができるでしょうか。
今日の朝は、どんなきらめきがありましたか?空を見上げた人はいるでしょうか?誰とおはようの挨拶を交わしましたか?
こうしてみんなが学校に集い、新しい1日を始めることができること、これもまた、私たちからしたら普通のことで、普通に奇跡です。最後に、映画の中で1番印象に残った言葉を引用します。

「こんな魚の話を聞いたことがある。
その魚は年寄りの魚に言うの。
『僕は海ってものを見つけたいんです。』
『海だって?』 年寄りは言った。『今いる場所だよ。』
『これ?』 と若い魚。『これは水です。僕が欲しいのは海なんだ。』」

自分が1番求めていることや、1番大切にしなくてはならないことは、もしかしたらすでに手に入れているのかもしれません。これらに気がつくか、気がつかないかで、あなたの人生が変わることでしょう。

H.S.(音楽科)