シスター・先生から(宗教朝礼)

2024.12.11

2024年12月11日放送の宗教朝礼から

  プラクティスが始まり、クリスマスに向けて大切な時期を私たちは過ごしています。この時期になると毎年、思い出す言葉があります。
 それは「キリストが百度、千度生まるるとも、汝の心に生まれざれば、何の益かあらん」(キリストとが百回生まれたしても、千回生まれたとしても、おなたの心に生まれなければ何の意味もない)という言葉です。
 「あなたの心にキリストが生まれる」とはどういう意味でしょうか。
今年の9月に中学3年生と長崎祈りの会に行き、羽田麗子さんの被爆者講話を聴きました。被爆体験者の多くがそうであるように既に90歳を超えていらっしゃる羽田さんは、講話の中で力強く平和へのメッセージを伝えてくださいました。ただ、講話が終わったあとはさすがにお疲れの様子で、歩くのも精一杯という感じでした。思わず手を差し伸べ、ホテルの入り口へと一歩一歩一緒に歩いていきました。ゆっくりゆっくり歩みを進める羽田さんの手から羽田さんの疲れが直に伝わってきました。ようやくタクシーに乗り込み、ドアが閉まろうとするその時、羽田さんはしっかりと僕の目を見て、「何か必要な資料があったら言ってください。すぐに送りますから」とおっしゃいました。90歳を超えてなお、疲労の極みにあってなお、平和の道具として生きようとなさる羽田さんに心から感動し、「羽田さんのように生きたい」と強く思い、「自分の心にキ
リストが生まれる」とはこういうことかと思いました。
  長崎祈りの会に行く前に被爆者の福田須磨子さんの『われなお生きてあり』という本を読み返しました。福田さんは、「ひとりごと」という詩で知られる詩人でもあります。「ひとりごと」は、長崎に平和祈念像が作られた時に福田さんが作った詩です。その冒頭部分を朗読します。
 何もかも いやになりました
 原子野に屹立する 巨大な平和像
 それはいい それはいいけれど
 そのお金で 何とかならなかったかしら
 「石の像は食えぬし 腹の足しにはならぬ」
 さもしいと 言って下さいますな 
 原爆後十年を
 ぎりぎりに生きる被災者の偽らぬ心境です。
  被爆の後遺症で体の痛みに耐え続け満足な収入も得られなかった福田さんの苦しみの声が『われなお生きてあり』という本の中には満ち満ちています。その福田さんの体と心の傷を癒やした一人の女性がいました。被爆者の岩永さんという方です。岩永さんは、ある時から毎週日曜日に福田さんの家を訪ね、毎回2時間、口数少なく静かにマッサージをして帰っていくようになりました。このマッサージが福田さんの暗い心に灯をともすことになります。岩永さんは熱心なカトリック信者でした。この話を読んで、岩永さんのようにカトリックの教えを生きたいと思い、これもまた「自分の心にキリストが生まれる」ということかと思いました。
  今年の秋にもう一度、「自分の心にキリストが生まれる」とはこういうことかと思う体験をしました。9月28日の体験学習発表会のExchange Program in Koreaの発表を聴いたのがきっかけでした。西江(ソガン)大学校で、神父様が日韓で歌われている「君は愛されるため生まれた」という聖歌を紹介してくださり、一緒に聖堂で歌ったという話が発表の中にありました。複雑な歴史を持つ日韓の歴史を肌で学びホームステイで韓国の人たちからとても大切にされた体験をしたあとでこの歌を歌ったと聞いて、帰宅してから僕も改めてこの歌を聴いてみました。「君は愛されるため生まれた」は次のような歌詞で始まります。
 きみは愛されるため生まれた 
 きみの生涯は愛で満ちている 
 永遠の神の愛は
 われらの出会いの中で実を結ぶ
 きみの存在が 私にはどれほど
 大きな喜びでしょう 
  この歌を改めて聴いた時、人を愛して生きたいという心からの思いが自分の中に兆すのを感じました。これもまた「キリストが生まれる」ということなのかと思います。残りの時間で、皆さん一人一人の中にキリストが生まれることを祈りつつ、「君は愛されるため生まれた」を聴きたいと思います。(ー音楽ー)
これで宗教朝礼を終わります。
      国語科・宗教科 H・M