シスター・先生から(宗教朝礼)
2024.10.09
2024年10月9日放送の宗教朝礼から
今週から後期が始まりました。皆さんの心の中には今どのような想いがありますか?1か月ほど前には、祈りの会が行われました。私も不二聖心で長年勤務をしていますが、この祈りの会の後、皆さんが、特に学年やホームルームが集団として変化するのをよく見てきました。普段あまり友人同士で分かち合うことのない話題を共有し、今まであまり話す機会のなかったクラスメートと話すことによって、新たな友人の輪が広がった人もいるでしょう。
今年度、私は中学2年生の祈りの会をご一緒しました。今年の祈りの会で私の心に一番残ったことは、「神様の視点で見つめ直す」ということです。祈りには様々な祈りの種類、そして方法があると思いますが、牧山神父様はある講話で「祈りとは、自分の心をとらえ直し、神様の視点で見つめ直すことです。」とおっしゃいました。
皆さんは新約聖書にある「エフェソの信徒への手紙」を読んだことがありますか?エフェソは現在のトルコにある地中海に面した場所で、イエス様の復活後に弟子となったパウロが紀元60年ごろローマの獄中で書いた手紙と言われています。キリスト教信仰についての一般的な教えと、キリスト者がどのように神の民として生きるべきかについての指針が書かれている比較的短い書簡です。そのエフェソの信徒への手紙3章18節から19節に次のようなみことばがあります。
あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
このみことばは神様の愛、知恵、そしてイエス様の十字架の神秘は無限であり、私たち人間には到底計り知れないものであるということを示唆していると同時に、パウロは私たちがその神様の無限の愛を知るようになってほしいと祈っています。私自身、信仰を持って生きるということは、「あいまいなもの」「白黒はっきりしないもの」を受け入れながら神様に信頼して生きることでもあると思います。私も人生のいくつかの大きな出来事は準備の段階から何年も祈り続け、その過程で自分の想いが自然と変化し、それと同時に状況も変化していくことを体験し、結果として最善が行われていたということを何度か体験しています。それが神様のみこころであったとはっきり断言することは出来ませんが、「これで良かった。」と自分でも納得しています。
では、私が今年度の祈りの会で振り返っていた「神様の視点で見つめる」とはどのような方法があると思いますか?いくつか方法がありますが、私が大切にしているものをお話しします。第1に沈黙の祈りを通してです。どの学年でも祈りの会では沈黙を大切にしたと思います。これは普段忙しく働いている頭や心、そして体を休めることによって、今まで気が付かなかった自分の心の奥底にある想いや考えに気が付くことが出来ます。それは時に神様から私たちへのメッセージになっていることがあります。第2に聖書のみことばです。皆さんもご存じのように、聖書には福音書を通じてイエス様の生き方や教えを知ることが出来、生き方の指針となる言葉がたくさんあります。「見失なった羊」や「放蕩息子」のたとえ話から神様の私たちに対するまなざしを知ることが出来ます。そして、最後に出来事や人々を通じて神様の想いや願いを知ることがあります。自分に必要なメッセージが与えられたり、物事が変化する状況を見て、自分がどの方向に導かれているのかヒントが与えられる時があります。
私自身は今お話しした方法を組み合わせて神様のまなざしや想い、願いを体験することがあります。ずいぶん前の事ですが、当時イギリスのウィンザーに住んでいた友人をクリスマスの時期に訪問したことがあります。買い物を終えて友人の運転する車で移動をしていると、ヒッチハイクを試みている2人の20歳前後のヨーロッパ系の女性がいました。私たちは2人を車に招き入れ話をしました。二人はポーランドから来ており、お金をあまり持っていないのでオックスフォードまでヒッチハイクで行きたいとのこと。友人も私もオックスフォードには何度か行ったことがあるので、観光名所などの話をしていました。すると、しばらくして友人が「もし、ある人からクリスマス・プレゼントとしてオックスフォード行きの電車のチケットをプレゼントされたらどうしますか?」と言いました。そのことばを聞いた途端に、私は「良きサマリア人だ!」と思いました。二人の女性は驚いていましたが、私たち二人からのクリスマス・プレゼントをとても喜んでくれました。帰りに私が「ヒッチハイクで駅まで送ることは想像できたけれど、チケットをプレゼントすると言った時には驚いたよ。」と話すと、友人は「オックスフォードまでヒッチハイクで行ったら到着するのは夕方になってしまうと思った。それに、私たちが与えられたものはすべて神様からいただいたもの。それを人々と分ちあうのは神様の願いでもあると思う。」と言いました。
後期が始まり、また忙しい日々が始まると思いますが、皆さんが時々自分の心を見つめ直す静かな時間を持つことが出来るように願っています。
これで宗教朝礼を終わります。
M.M.(宗教科・英語科)