シスター・先生から(宗教朝礼)
2024.06.19
2024年6月19日放送の宗教朝礼から
おはようございます。今日は宗教朝礼です。机の上は整っていますか。必要なものだけ出して後はきちんとしまいましょう。次に椅子に深く腰掛けて背筋を伸ばし、床に両足の裏をしっかりつけましょう。ゆっくり息を吸って、一緒に主の祈りを唱えましょう。
今月はカトリック教会でイエスのみこころの月です。今日はみこころに関わる2つの日に関することを一緒に考えたいと思います。
これからお話しする状況を頭の中で思い浮かべ、そのとき自分はどうするか、ちょっと想像してみてください。ある時、ラジオから「自分たちの民族は復習に狂ったゴキブリのようである。ゴキブリが復習に来る前に全員抹殺しなければならない」という放送が繰り返し行われるようになった。私たちの民族は国のなかでは少数だったが、長い間多数の民族の人たちより優遇されていた。自分も含め人々が情報を得るのはもっぱらラジオだけ。最初は「何を言っているのだろう」と思っていたが、それまで仲良くしていた近所の別の民族の人たちが、だんだん自分たちの民族に対して敵視するようになった。そして、ある日、突然、なたや鎌を持った隣の人々が自分たちを傷つけ殺しにやってきた。そのまま家にいたら殺されてしまうので、身の回りで大切なものを10個だけ持って逃げた。
このとき、皆さんだったら何を持って逃げますか?
その後、国中で自分たち民族が殺されている状況になり、家に帰ることもできないので国境まで逃げ、隣の国に入ったが、その時、国境を通過させてもらうために持って逃げたもののうちいいものを、国境管理のひとにあげた。
手元には何を残しましたか?
さらに安心して暮らすために遠くの国に行くことにしたが、行くための船には両親と自分、年下の兄弟たち6人家族のうち2人しか乗れないことがわかった。次はいつ移動できるかわからない、次に全員乗れるかもわからない。どうしますか?
今お話しした状況は、1994年にアフリカのルワンダで起きた出来事です。最終的に100日間におよそ80万人から100万人が殺され、200万人を超える人が他国に逃げ、難民となって各国で数年、十数年を過ごしました。あるいはまだ過ごしています。このような難民の方にはどのようなことがうれしく、救われた、と感じることになるでしょうか。
このような悲惨な状況ではなくても、例えば宗教的な問題、あるいは自然災害などで、わずかなモノしか持てずに、今まで住んでいた場所から逃げ出さなければならない状況は国内外で多くあります。あるいは病気や体力などの変化で生活を大きく変えなければならなくなること、今までできていたことができなくなることに直面する人も多くいます。今、ここにいる私たちの多くは、そのような状況を経験していません。自分が経験していないからわからない、だから自分基準で「たすけてあげる」では、相手にとってうれしいこと、助けられた、ということにはならないかもしれません。一方で自分は経験していないけれど、想像したら相手はこんなことを求めているのではないか、そのことをしよう、と考えて行ったことは、直接的に力になれなくても相手はうれしいことかもしれません。
明日は世界難民の日です。日本にもヨーロッパほどではないにせよ少なくない数の難民の方がいます。日本に住む私たちは難民の方々がどのような経験をして日本までたどりついたか、一番もとめていることは何か、それにどのように応えるのかについて、「もしわたしがその状況になったら」と想像力を働かせて考える必要があると思います。
2つ目の日はみこころの祝日です。教会での祝日は試験期間中の6月7日だったので、不二聖心では来週の金曜日にお祝いのごミサを行い、中2以上の皆さんは5年ぶりに外部の施設に奉仕活動に行きますね。
イエスのみこころとは、もの惜しみなく人びとに尽くし、ご自分の命まで人々のために使われたイエス様の姿を指し、そのこころを意識しそれに倣うことを、不二聖心では奉仕活動を通して実践します。では、もの惜しみなく人びとに尽くすためには、どのようなことを意識したらいいでしょうか。
「してあげる」ではなく「させていただく」を意識して活動に取り組みましょう、と生徒だった時には常に言われてきました。でもどういうことを意識したら「させていただく」行為になるのだろう、とずっと疑問でした。結局は自己満足なのではないか、と思ったことも1回や2回ではありません。大人になってそのような活動に参加しなければならないことはほとんどなくなり、奉仕活動は文字通り、自分から参加するものになったとき、そして、ボランティア活動について賛否両方の意見を多く聞くようになったとき、言われてきた「させていただく」がちょっとわかった感じになりました。「してあげる」の行動基準は自分、「させていただく」の行動基準は相手、ということに気が付いたのです。つまり、相手にとって必要な、あるいはよい助けを行うことが「させていただく」ということではないか。
ここでも大切なのは想像力だと思います。施設で奉仕活動をするのであれば、その施設にはどのような方々が利用しているのか。その方々はどのようなことが好きなのか、あるいは何をしたいのか。嫌なことはなにか。そのようなことを考えながら、ではその人にはどのようなことをしたらいいのか想像してみる。活動内容が決められているところもあるでしょう。たとえ決められたことをするのであっても、どのような気持ちで行うかによって、相手の方にどのように伝わるかが変わるのではないでしょうか。
明日の世界難民の日、そして来週金曜日のみこころの祝日。自分とは異なる遠い世界の話、ではなく、自分だったらと想像力を働かせ、「させていただく」を意識してどのようなことができるか考えながら過ごしましょう。
H.N.(社会科・地歴公民科・宗教科)