シスター・先生から(宗教朝礼)

2024.06.12

2024年6月12日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

初めに心を落ち着けるために、皆で主の祈りを唱えましょう。
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン。
 さて、先週前期中間試験が終わり、今週はテスト返しが行われていますね。皆さんはどんな気持ちでテスト期間を過ごしたでしょうか。先週の木曜日、テストの最終日の終礼のお祈りで「地獄の一週間が終わり…」というようなフレーズがあり、皆さんにとってテスト週間は地獄なのかと思って、ちょっとぎょっとしました。私はもちろん、担任として、自分のクラスは地獄ではなくて、天国のようなクラスにしたいと思っていますから、今日は天国についてお話したいと思います。皆さんは天国というとどのようなところを思い浮かべるでしょうか。
 先月、先生たちの研修会で、天国について考える機会がありましたので皆さんと分かち合いたいと思います。天国は聖書の中では天の国や、神の国という言葉で出てきます。また、先ほど皆さんと一緒に唱えた主の祈りの中にも「み国がきますように」とありますが、み国とは神のみ国のことですから、まさに皆さんは神の国、天の国が来ますようにと、お祈りをしています。それでは、神の国がくるとはどんな状態でしょうか。色々な考え方や表現ができると思いますが、聖書の中でのイエス様の姿から神の国を考えてみましょう。イエス様は他者のために惜しみなく愛を示されたり、病人や罪人などどんな人にも分け隔てなく接して、人々が悲しみにあるときも楽しいときもいつも寄り添っていてくださっています。そう考えると、神の国や天国とは誰一人取り残される人がいない、神様の愛がすみずみまで行き渡った状態と考えることができると思います。そしてこれは、どこか遠くの世界や聖書の中だけではなくて、私たちの日々の生活の中にも見出すことができるのではないでしょうか。例えば、互いが認め合って、受け入れられていると感じるときや、他者のために骨惜しみせず働いているとき、悲しみや苦しみの中にあっても、そこに寄り添う人を感じるとき、自分の力を超えた働きを感じるときなどが、神の国がある状態、天国な状態といえると思います。皆さんはこのような体験をしたことはありますか。思い起こしてみてください。少し時間をとりますので、これまでの学校生活で、あの時、天国だったなと思う瞬間を、書き出してみてください。
 いかがでしょうか。同じことを研修の中で行ったのですが、私が真っ先に思い起こしたのは、不二聖心に来て1年目に参加した長崎祈りの会旅行での分かち合いでした。旅行では原爆や戦争を通して平和を考えたり、キリシタン迫害の歴史を学び、祈りました。そして、最後の夜に、祈りの会を通して感じたこと、考えたことを学年全体が1つの部屋に集まって輪を作り、一人ひとりが順番に分かち合っていきました。普段ですと、これを言ったら変じゃないかとか、こう考えるのは間違っているんじゃないかといった考えが浮かんで、自分の感じたこと、考えたことをそのまま分かち合うということに抵抗がある方も多いかもしれません。しかし、あの時、あの場では、誰一人としてそういった考えはありませんでした。みんながみんな自分の感情や心情をそのままに分かち合って、そしてそれをお互い受け入れているという状況で、予定の時間が過ぎても最後まで濃密な分かち合いの時間が続きました。公立の中高出身の私は全くこうした経験がなかったので、とても驚き、強く感銘を受けたので、15年たった今でも心に残っています。これは少し特別な状況ですが、もう少し日常的なもので考えると、授業の中で、皆が活発に自分の意見を述べて話し合いが行われたときや、何か悲しいことがあったお友達に寄り添って一緒に悲しみを分かち合っている様子を見たとき、奉仕活動に出かけ時間を忘れるほど一生懸命働いたときなども、天国な状態だったと思います。
 さて、逆にいうと、私たちは日々の忙しさで押しつぶされそうなとき、例えば冒頭のお祈りの話にあったテスト期間中などは、他者のことを考える余裕がなくなって、自分のことだけを考えてしまいがちですから、地獄といわないまでも、神の国から離れた状態になりやすいかもしれません。ですから、そうした日々の忙しさの中でも、心を落ち着けて、神様の声に耳を傾ける時間をもつということが大切なのだと思います。不二聖心では、毎朝アンジェラスの鐘の音がなっている間、立ち止まり、沈黙の中で祈る時間をもっていますね。ぜひその中で、今日、自分が神の国を生きるためには、神の国をつくるためにはどんなことができるのか、静かに神様の声に耳を傾け、お祈りをしましょう。そして学院生活の中でたくさん神の国が見られるよう皆で努めてまいりましょう。これで宗教朝礼を終わります。
(理科 M.H)