シスター・先生から(宗教朝礼)
2024.05.15
2024年5月15日放送の宗教朝礼から
今日は、情報科教員という立場から最近感じていることをお話したいと思います。
いよいよ今の高校3年生から、大学共通テストで情報が入試科目に加わります。 高校ではプログラミングが必修化され、何でPythonという訳のわからない言語を勉強するのだろうと疑問を持っている人もいると思います。その社会的な背景について身近な話題から考えてみました。
JRの駅でみどりの窓口を全国で大幅に削減するという計画が発表されましたが、沼津で車生活をしていると直接関係なく他人事のように考えていましたが、この4月、自分自身に災難が降りかかりました。
次男の大学入学式に行くために東京のある駅で紙の切符で自動改札から出ようとしたところ、その改札口はICカード専用の改札しかなく外に出られません。駅員が近くにいないため仕方なく階段を降りてホームに戻り、反対側の改札口を探してやっと外に出られました。次に次男の通学定期を買うために窓口に行ったところやはり無人で駅員がいません。行列が出来ていて最前列で高齢の方が、機械の操作がわからず戸惑っていたところオンラインモニターに駅員が現れ操作の説明が始まりましたが、画面越しのためなかなか理解できないようでその客が切符を買うのに20分位かかっていました。やっと自分の番になって通学定期を買おうとしたところ、身分証明書の提示が必要なのでオンラインモニターで係を呼び出す必要があり、呼び出しますが他の駅の対応もしているためか5分位つながりませんでした。結局定期を買うまでに並んでから50分かかりました。
また、東北新幹線の切符をネットで買うと25%オフになるので予約したところ、紙での切符は利用出来ずスイカカードに予約情報を登録して改札を通るというシステムでした。
日頃スイカを利用していないので、しばらく使っていないスイカに登録していざ乗ろうとしたところ、改札でブザーがなりホームに入れません。駅員に確かめると長く使っていなかったカードなので更新処理が必要といわれ、あやうく列車に乗り遅れるところでした。
確かに以前、飛行機に乗った時は、スマホで予約・決済を行い、搭乗時もスマホのQRコードで搭乗できたので、すべてスマホで完結していて便利だなと感心していましたが、
一方でデジタル機器が使えない場合は、とても不便で困ってしまう社会だと実感しました。
銀行でも現在、支店の統廃合を進めていてネット支店をメインにして通帳も廃止し、現金ではなくデビットカードで決済しスマホのアプリで管理するようになりつつあります。
近いうちに融資も人が与信判断をするのではなく、AI(人口知能)が行うようになり、融資担当者が銀行から必要なくなるかも知れません。
企業にとっては、支店の家賃、維持費、人件費、ATMシステムの経費が浮くので経営的には当然の戦略ですが、社会のデジタル化に伴い人間が置き去りにされているような気がします。
国としては、社会的なコストの削減をする目的もあり、このようなデジタル社会をさらに推進しそれに対応できる人、またこれらのシステムを開発し、維持・管理できる多くの人材を確保するために情報技術に強い理系人材の育成を急務としています。高校生全員にプログラミングを課す理由もこれと関係しています。
また、AI(人口知能)の急速な進歩にも不安があります。AIが急速に進化して私たちの生活のあらゆる面に影響を与えています。AIの進化と共に私たちの生活はどのように変わっていくのでしょうか。
天気予報はもちろんですが、株価、経済、人口、災害等様々な将来予測にAIが使われています。個人の将来設計もAIに頼る人も出てきています。病気の診断、銀行の融資、裁判、会社の経営判断、教育等、人間の活動のあらゆることにAIが関わってきています。しかし、人間自身が自分で判断しなくなり、すべてAI任せになると人間の存在意義が問われている気がします。
では、信仰についてはどのような影響を与えるのでしょうか。
AIと信仰がどのように共存し、互いに補完し合うかについて考えます。
聖書の詩篇139に次のような言葉が書かれています。
「主よ、あなたは私を探り、私を知っておられます。私が座るのも、立つのも、あなたは知っておられます。私の思いを遠くから読み取られます。私が道を行くのも、横たわるのも、あなたは見守り、私の全ての道を知っておられます。言葉が私の舌にのぼる前に、何と主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。」
この言葉は、神が私たちの全てを知っておられることを示しています。AIは膨大なデータを処理し、人々の行動を予測する能力を持っていますが、それは神の全知全能とは比べ物になりません。AIの進化は、神が私たちに与えてくださった知恵と技術の賜物の一部です。
AIの技術は、私たちの生活を便利にするだけでなく、倫理的な課題も提起します。例えば、AIによる監視システムや自動運転車、さらには医療診断におけるAIの利用など、私たちはこれらの技術をどのように使うべきか慎重に考える必要があります。カトリックの教えでは、人間の尊厳と自由を尊重することが重要です。AIを使用する際には、その技術が人間の尊厳を損なわないようにすることが求められます。人間は祈ることができます。ここに人間の尊厳が感じられます。
念のため、AIにお祈りするのか聞いたところ、次のような回答でした。
AIは、お祈りをすることはありません。
AIは特定の目的のためにプログラムされており、その機能は設計者やプログラマーが設定した範囲内に限られます。お祈りは人間の文化や信仰に深く根ざした行動であり、AIのプログラムにそのような行動が含まれていることはありません。
AIの進化の中で忘れてはならないのは、祈りの力です。どんなに技術が進化しても、私たちの心の平安と指針を与えてくれるのは祈りです。祈りを通じて、私たちは神とつながり、日々の生活において正しい判断を下す力を得ることができます。AIの進化は私たちの生活に大きな変化をもたらしていますが、それと同時に、信仰の価値を再確認する機会でもあります。AIと信仰が共存し、互いに補完し合うことで、私たちはより良い社会を築いていくことができるのだと思います。
J.K.(数学科・情報科)