シスター・先生から(宗教朝礼)
2024.05.22
2024年5月22日放送の宗教朝礼から
おはようございます。
今、私たちはこの5月のマリア様の月に際し、アヴェ・マリアの祈りをもって朝礼を始めました。マリア様に対する皆さんのイメージはどのようなものでしょうか。
マリアガーデンのご像は真っ白の石膏の像ですが、絵に描かれているマリア様は青やピンクの服を纏い、高貴な姿です。しかし、歴史的な研究では、マリア様が生活をされていたナザレはガリラヤ地方の中でも無名の場所と言ってよいほどの田舎で、日本よりも文明が進んでいた地域とは言え、周辺に比べて生活水準が低く、女性は農作業と家事とをやりくりする生活をしていたのではないかと言われています。
先日、中高別に集まってマリア様のお祈りをしました。そのときルカ福音書のマニフィカトと呼ばれる有名な聖書の箇所が読まれました。エリザベトという高齢で子どもを身ごもった親戚の婦人を山里まで訪ねた際に、エリザベトの言葉を受けてマリア様が
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。」
と神様を讃えました。
マリア様が生活しイエス様が育ったナザレのあるガリラヤという地域は、ローマ帝国の属国であるユダヤで、税金はローマ帝国にもユダヤの神殿にも収めなくてはならず、身分の低い家庭は非常に貧しい生活を強いられていました。当時の慣習で差別も多く、例えば皮膚病の人たちは、社会の周辺に追いやられ、差別を受けていました。だからこそイエス様がそうした人々を癒やし、救ったのですが、その母マリア様は、貧しい人々、虐げられている人々、苦しみの中にいる人々の母としてその時代も、そして今も崇敬されています。
「社会における差別」ということについて、私は自分があまり意識してこずに生きていました。個人の人間関係で、侮辱や差別を自分自身が受けたとか、あるいは学校の中の生徒同士のトラブルで関わったという経験したことは何度もあります。そうしたことも差別の一つで、差別しないよう意識することは人との関係を築く上でとても大切です。しかし、今お話ししたいのはみなが幸せに生活できることが目標である社会において、差別によって傷ついている人たちがいる、その社会構造について自分がどのように向き合っているのかということについて、ほとんど意識をしてこなかったということです。
昨年秋に、日韓のカトリックの環境問題の担当者や有志が集まって福井県の原発のある地域で勉強会があり、私は参加してきました。原子力発電所については、皆さんの中にはいろいろな考えがあると思いますが、福島第一原発の事故以降、私は理科の教師として、またカトリック学校の教師として、命が守られ安全な社会になっていくために何ができるのか、こうした勉強会に時間があれば参加しています。福井での現地勉強会の移動のバスの中では、宗教者として原発の問題で活動している岡山巧さんとおっしゃる真宗大谷派のお坊さんが「原発が作られる場所に差別が生じるのではなく、差別の上に原発が建てられる」とお話しになりました。原発という危険を伴う発電所は、大都会の人口密集地には作られず、大きな産業のない周縁の地域につくられます。その地域に住み、安全な暮らしを望む人々にとっては差別されたという思いがあったことを知りました。私は以前に読んだ『「犠牲区域」のアメリカ核開発と先住民族』という本を思い出しました。広島や長崎に原子爆弾を落としたアメリカでは核兵器の実験や製造をするのに先住民の土地を使っていたそうです。それらの土地は放射線量の高い物質に汚染され、先住民の人たちは長年先祖から守り続けた場所を追われていったことが書かれていました。欧米から移り住んだ人たちがさまざまな文化などよいこともたくさんもたらしたと思いますが、生活の搾取であり、人権が脅かされたことがあったことを改めて知りました。
私は高校1年生の宗教を担当し、四旬節が近づくと毎年、教皇様の文書を生徒たちと読みます。昨年度卒業した高校3年生とは『ラウダート・シ』という環境問題と私たちの生き方について書かれた本を読みました。地球規模で起きている課題が広い知見で書かれ、生き方を見直すことを教皇様が呼びかけているものです。この本はカトリックに限らず、環境問題について真剣に取り組む人々からも多く関心を集めています。しかし、環境問題における女性への差別の問題が取り上げられていないという指摘も実はあることを昨年知りました。私はそのことを受け、カトリックの女性神学者が中心となって書かれたレポートを読み始めました。私たちがパソコンやスマートフォンなどで使われているレアメタルを採掘する鉱山の開発などに先住民の土地が使われている話もあり、汚染された地域で生活していた家族に障害者が生まれた事例も紹介されています。男性に比べ女性は仕事を失いやすく、環境被害によって障害を持って生まれた子どもを育てる上で男性よりも重い責務を担っているといったレポートもありました。一方でそうした環境問題において女性がリーダーシップを発揮してこの問題を社会にアピールしている例も書かれています。
毎朝、また終礼で不二聖心の生徒たちはお祈りの中で、社会の中で困難の中にある人々のことを取り上げています。女性や子供たち、また、差別を受けている立場の人たちが苦しい思いを強いられているという社会構造について知り、変えていくために何が必要なのか。それを考えていくことは、不二聖心の生徒にとって真の勉強の目的になると思います。 冒頭に私は2000年前、経済的な格差や差別が蔓延してる社会でイエス様を育てたマリア様のことを話しました。教皇様は、マリア様について、現代の世界における「すべての物事の意味を理解しておられ」、「この世界を知恵の眼(まなこ)で見られるようにしてくださいと彼女(マリア様)に願うことができる」と書いていらっしゃいます。
私は生徒たちが知恵の眼(まなこ)でこの世界を見て、社会に貢献する女性として学びを深めていく、その成長のためにマリア様が私たちの願いを神様に取り次いでくださると信じ、これからも祈っていきたいと思います。これで宗教朝礼を終わります。
・ルカによる福音書第1章『新共同訳 新約聖書』日本聖書協会
・石山徳子(2020)『「犠牲区域」のアメリカ 核開発と先住民族』岩波書店
・教皇フランシスコ(原文2015,日本語訳2016)『ラウダート・シ』カトリック中央協議会
K.S.(理科・宗教科)