シスター・先生から(宗教朝礼)
2022.11.30
2022年11月30日放送の宗教朝礼から
宗教朝礼を始めます。
この間の日曜日から、カトリック教会では待降節に入りました。クリスマス前の4週間、イエス様のご誕生に向けて心を整える期間が始まりました。今年、プラクティスの話し合いでは、静けさと他の人に尽くすこと、を大切にすることが共有されたと思います。その時にクラスで読まれたエッセイを覚えていますか?あのエッセイに書かれた、フランスの聖心の学校の話は、私が不二聖心に在校していた時から毎年プラクティスの時期に聞いていたものです。ですので、話そのものはよく知っていたのですが、今年、久しぶりに読んで、生徒の時には想像できなかったことをいろいろと感じました。その一番のことが「静けさ」です。
あのエッセイで著者の辻邦夫さんは、パリの街のクリスマスの日の静けさについて驚きと旅行者の感じる居所のなさを語っています。日本でのクリスマスは、華やかでにぎやかで、家族よりもむしろ友人と楽しく過ごす日、というイメージが定着していますが、ヨーロッパのクリスマスは、クリスマスの準備でこそ華やかで祝祭的ですが、それは家族が集まって過ごすための準備。クリスマスイブからクリスマスは家族で過ごし、夜にはイエス様のご誕生を迎えるミサに参加するのです。クリスマスイブの日は午後から閉まる商店がとても多く、場所によってはほとんどの店が閉まってしまい、人の姿が非常に少なくなります。家族のいない居留者や旅行者・留学生にとってはとても寂しい時間でしょう。
フランスの聖心ではプラクティスで、貧しい人にジャガイモを送っていました。カトリックでは伝統的に豊かな人は困っている人を助けるということが善いこと、善行とされてきました。時にそれは、「ただお金を出せば、余っているものを出せばいい」という風に解釈され、そのような行為への批判が教会への批判につながったこともあります。しかし、他の人のためにもの惜しみなく尽くす、というのはイエス様自身が私たちに示されたこと。ジャガイモを送るという行為は、普段は関わることの少ない貧しい人に心を向け、もの惜しみしない姿勢で彼らとつながる、という行為でしょう。
今年、そのエッセイを読み返したとき、そこで紹介されていたフランスの聖心でのプラクティスの様子から、その静けさと人に尽くす、という本質が幼い生徒にも伝わっていること、そしてプラクティスは本来どのような気持ちで向き合うことであるのか、を改めて意識しました。もし、私がプラクティスの沈黙を守れずしゃべってしまったら、本来受け取れるはずのジャガイモを受け取れない人が生まれる、という、8歳の女の子の気づきと覚悟。楽しくおしゃべりしたい気持ちを我慢する大変さと、自分の行動が他の人の生活に直結する、という責任。私はこの少女が持っていたのと同じだけの意識を持ってプラクティスに向き合っていただろうか、とエッセイを読みながら振り返りました。
「静けさ」というのは私たちの生活においてどのように大切なのでしょうか。普段、私たちは常に他の人からの評価を受けて生活していると思います。来週やってくる試験はその最たるものですが、それ以外にも、学年らしいふるまい、聖心の生徒としての態度、家族の中での役割… 他の人からどのようにみられて、どのように認められているのか、そのようなことを気にしているうちに、そもそも、自分自身は何者なのか、ということを見失ってしまいそうになります。沈黙して静かな時を過ごすのは、そのような他者からの評価から離れて、自分は何者であるのかを見つめ、そのうえで自分は他の人とどのようにつながるのか、それを考えることにつながるでしょう。このプラクティスの期間、今年は特に「静けさ」を意識し、自分を取り戻しながら、身近な人だけでなく、世界や自然とのつながりに心をむけて過ごしましょう。
最後に、数あるクリスマスの歌の中で、一番静かだと思う歌を紹介します。
Stille Nacht, heilige Nacht,
Alles schläft; einsam wacht
Nur das traute hochheilige Paar.
Holder Knabe im lockigen Haar,
Schlaf' in himmlischer Ruh'!
Schlaf' in himmlischer Ruh'!
静かな夜、聖なる夜、
すべてのものは眠り、目を覚ましているのは、ただ、親愛なる、聖なる母と子だけ。
巻き毛の愛らしい子よ、天国のような安らぎ、静けさのなかでお眠りなさい。
これで宗教朝礼を終わります。
H.N.(社会科・宗教科)