シスター・先生から(宗教朝礼)

2022.09.21

2022年9月21日放送の宗教朝礼から

 これから宗教朝礼を始めます。

 御殿場カトリック教会では「あゆみ」という会報を発行しています。
その6月号に長崎の古巣馨神父様のお話が転載されていました。読んでみて、この話をぜひ不二聖心の生徒の皆さんとも共有したいと強く思いました。時間の関係で一部割愛しつつ、紹介してみたいと思います。古巣神父様の文章を朗読します。文中の「私」は神父様のことです。
   
 私は 2 年前まで、島原の小さな教会に 12 年間いました。これは、5 年前の話です。5 年前の5 月2 日に島原教会のサカキミネオさんという信者の方が亡くなられました。亡くなったのは島原郊外の精神病院です。63 歳でした。私たちは彼のことをミネヤン、ミネヤンと呼んでいました。63 年のうち最後の半分、33 年間を彼は精神病院で暮したのです。私が島原教会に赴任した頃、彼はまだ調子がよくて、病院の許可をもらって日曜日はバイクで教会に来ていました。やがて、教会に来られなくなると私は月に 2 回、ご聖体をもってミネヤンを訪ねていました。(中略)
ある時もう一人の信者さんとご聖体を持ってミネヤンの所に行き、ご聖体拝領をした後に 3 人で病室前のロビーでこんなやりとりをしたのです。「カトリック信者になって、こうして生きてはいるけれど、あなたを支えている聖書のみことばはなんですか?」このような話になりました。(中略)
 「ミネヤンは?」と聞きましたら、ミネヤンは、恥ずかしそうに「いやぁ、神父さん、私にはそういうたいそうなものはなかとですよ。私は中学校しか出ていませんのでようわかりません。でもせっかく洗礼を受けて教会の仲間になったとやけん、私が死ぬときに、あぁ、このひとは神さまの子供やった、そう言ってもらいたかとです。そう思って聖書をパッと開いたら、最初に目に飛び込んできたのが、”平和のために働く人は幸い。その人は神の子と呼ばれる”ということばでした。これこれ、と思ったんです。だから、私は平和のために働きたかとです。」と、ミネヤンはそう言いました。私は意地悪く、揚げ足をとって、「ミネヤン、この精神病院で平和のためにどうやって働くの?8 月6 日と9 日が来たら戦争反対、原爆反対って言って、この廊下をプラカードを持って、あちこち行ったり来たりする?」そんなことを言ったのです。そしたら、「そうですよね、ここでなんのできるとでしょうかねぇ」と言って、ケラケラ笑ったのです。その話はそこで終りました。
 やがて、ミネヤンに肝臓癌が発症し病状はどんどん進行していきました。亡くなるちょうど1か月前のご聖体を持っていく日、私は何となく気分がのらず行きたくないなあと思いました。
 それで、病院に電話をし、急用が入って都合がつかない、とミネヤンさんに伝えてくださいと嘘をつきました。翌日、気分を取り直して病院に行き、開口一番ミネヤンに、「昨日はごめんなさい、私の都合でこられませんでした」と謝りました。
するとミネヤンはニコッとしてこう言ったのです。「神父さん、よかとです。神父さんの都合のよか時でよかとです。わたしは都合の言える人間じゃなかとです。私は親の都合で親のない子として生まれたとです。」と言いました。ミネヤンの母親は娼婦でした。
 自分の体を売って生きて行くことを余儀なくされている女性だったのです。結婚してくれると言う人が現れて、それを真に受けて子どもを宿したのです。ところが、子どもができたと分かったら、この男は早々に姿をくらましてしまい、帰って来ませんでした。母親はミネヤンを生みました。が、生れたミネヤンは母親の籍に入れられず、お姉さんの戸籍に入ったのです。この母親はミネヤンが 2 歳の時に病気で亡くなりました。
 「神父さん、私は親戚の都合であっちにやられ、こっちにやられたとです。そして、親戚の都合で養護施設に入ったとです。中学校を卒業して、なんとか早く独り立ちしようと思って大阪に出て車の整備工の免許を取りました。でも病気の都合でここに入ってきたとです。
(中略)
 でも神父さん、このごろ思うとです。自分の都合で生きている間は、私の心は穏やかではありませんでした。苦しかったとです。自分の生きがいとか、自己実現とか、そう言うことを言っている間は、私の心はいつも不安でした。でもこのごろやっと神さまの都合のことを思うようになりました。そうしたら、とってもいま、生きやすくなりました。だから神父さん、神父さんの都合のよかときでよかとです。わたしには都合はなかとです。」(中略)
 一ヶ月後の5 月2 日、院長先生からミネヤンが亡くなったと連絡が入りました。夕方5 時半でした。病院に行きましたら、一番隅の部屋にミネヤンは横たわっておられました。33 年間そこに暮らしたのです。そして最後はいちばん親しい仲間たちが見守る中、ミネヤンは静かに去って行きました。
 「私が死んだら神父さん、誰が葬儀ばしてくれるやろか?」「心配せんでよかよ。私が司祭館に連れて帰って立派な葬式ば挙げるから。」私たちは、常々そういう会話をしていました。ですから、すぐにミネヤンの遺体を引き取って司祭館に 2 日間安置しました。
 その時、弔問に訪れたのは長年一緒にいた医師たちではありませんでした。病院には 33年間いましたが医師たちはきませんでした。来たのは二人の掃除婦のおばさんでした。2人はミネヤンの亡骸を前にして、ひとしきり泣いた後、こう言ったのです。「ミネヤンがおらんごとなって、寂しゅうなりました。こん人のおるところは平和だったんですよ」と。「平和だった。どうしてですか?」と思わず聞き返してしまいました。すると、こう言いました。「こん人は自分の都合を言わん人でしたから。患者同士がちょっと病状が悪くなって衝突したり収拾がつかなくなったら、ミネヤンをベットごとその間にいれるんです。そしたら静けさが戻るんです。こん人は自分の都合を言わん人でしたから、こん人を間にいれたら、そこに静けさが戻るんです。こん人のいるところは、平和だったんですよ。」ミネヤンは6人部屋にいましたが、しょっ中、病室が変わっていました。行くたびに病室があっちこっちに変わっていたのです。司祭館で、おばさんたちは言いました。「ミネヤンは、ここの人やったとですか?今わかりました。この人は神さまの子どもやったとですね。」
 
 以上が古巣神父様のお話です。
 ミネヤンさんは、自分の願い通り、平和のために働いた神の子として亡くなりました。自分の思いだけを強く主張したくなる時、自分の生きがいや自分の願いの実現だけに心が向いてしまう時、ミネヤンさんのことを思い出し、「神様の都合で生きよう」と心にとなえることをしてみてください。自分の都合だけを願っていた時には得られなかった不思議な心の安らぎがあなたに訪れるかもしれません。
 これで宗教朝礼を終わります。
   国語科・宗教科 H・M