シスター・先生から(宗教朝礼)

2022.07.13

2022年7月13日放送の宗教朝礼から

おはようございます。
 突然ですが、皆さんは今日の朝、これまでに何回挨拶をしましたか?私は今の「おはようございます」で6回目の挨拶でした。この数が多いか少ないかはよく分かりませんが、今朝起きてから家族、同僚、生徒、それだけの人と顔を合わせたということです。私たちは日常、顔見知りの人に会えば必ず挨拶をするものです。学校などでは顔をよく知らなかったとしても、廊下で人とすれ違えば挨拶をするものではないでしょうか。私はアパートにもそれが当てはまると思っていました。しかし、私の住むアパートでは、廊下や玄関ですれ違っても挨拶をしない人がいます。私の方から挨拶をしても挨拶が返ってこないのです。同じアパートの住民といえど、知り合いではないから挨拶をしないのだな、と思えば、別に腹が立つわけではありませんが、何となく複雑な気持ちになります。その話を夫にしたら、今はマンション全体で互いに挨拶をしないことを決めたりすることもあるのだというのです。「え、何のためにそんなことを決めたの?挨拶禁止ってどういうこと?」全くわけがわかりません。
 夫の話によると、あるマンションの住民総会で小学生の子を持つ親から「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないよう決めてください」という意見が出たというのです。それに対して年配の住民が「挨拶しても挨拶が返ってこないので気分が悪かった。お互いにやめましょう」と意見が一致してしまい、そのマンション内では挨拶を禁止すると住民に告知することになったというのです。確かに知らない人に声をかけられて、そのまま連れ去られてしまう事件はあるのかも知れませんが、「おはよう」とか「こんにちは」だけで子どもを連れ去ることは多分無理だと思います。たった一言「こんにちは」の挨拶だけで逃げろと子どもに教えるのは、どう考えても行き過ぎです。年配の方が言う、挨拶が返ってこなくて不愉快だから挨拶禁止というのも納得いきません。こっちが挨拶したのだから挨拶を返せというのは挨拶の押し売りです。ちょっと自己中心的過ぎないでしょうか。考え事をしていたので挨拶に気づかなかったとか、とても人見知りで、知らない人に面と向かうと声が出ないとか。挨拶を返せなかった理由は色々想像できます。もしかしたら返事を返してもらえなかった原因は、自分にあったのかもしれません。例えば、この年配の方がする挨拶がとても横柄で、相手が挨拶を返す気にならなかったとか。声が小さすぎて、相手に伝わらなかったとか。自分の挨拶が他人にどう受け取られているのかを分かっている人は、意外と少ないのではないでしょうか。
 挨拶が返ってこないから不愉快だという人は、元々挨拶をしたくない人なのではないか、とも思います。「わざわざ挨拶をしてやったのに」と、思っているから返事がないと不愉快なのです。私は挨拶はおせっかいと一緒で、見返りを期待してするものではないと思います。きっと、この年配の住民は挨拶禁止のお墨付きがあれば、もうめんどくさい挨拶をせずに済むと考えているのだ、と私は勝手に想像しています。「挨拶なんて意味がない」「しても無駄だからしない」という意見もあるでしょう。意味が無い、無駄だと考える理由を知りたいですが、そういう意見なら私も尊重したいと思います。でも、挨拶を禁止することは、挨拶をしたい人の自由を奪うことになるのです。簡単に認めるわけにはいきません。
 これもまた夫の話なのですが、論語に「四海兄弟(しかいけいてい)」という言葉があるそうです。「人と恭(うやうや)しくして礼あらば、四海(しかい)の内は皆兄弟(けいてい)なり」という一節からできた四字熟語で、「真心と礼儀を尽くして他者に交われば、世界中の人々はみな兄弟のように仲良くなる。また、そうすべきである」という意味だそうです。「兄弟のように仲良くって、兄弟は仲が良いというのが前提になってるけれど、世の中のケンカで一番多いのは兄弟喧嘩だと思うよ」と相変わらず夫はイチャモンばかりですが、他人に対し礼を尽くす人が挨拶を大事にするのは当然で、真心のこもった挨拶を交わす人々の間に諍いはないはずです。確かに家族の間では、夫婦喧嘩もあれば親子喧嘩もあり、ケンカは絶えないのかもしれません。でも、家族の間でも考え方や意見の食い違いが起こるのは当然であって、互いに思っていることを口にすれば衝突が起こるのは仕方のないことですし、むしろケンカするほど仲がいいとも言えるはずです。家族に本音をぶつけられないようでは、どこで自分の言いたいことを言うのでしょう。家族といえど一人一人独立した人格を持っているのです。互いに言うべきことを言わなければ、ケンカの原因も分からないし、諍いのタネを残すことになってしまいます。ケンカをしても互いを傷つけ合うようなケンカにしなければいいのです。ケンカに勝ち負けを持ち込まないことです。相手を負かそうと思うから暴力に訴えるのです。手や足を出してはもちろんいけませんし、言葉も決して暴力の道具にしてはなりません。ケンカにはケンカのルールがあるのです。
 とは言え、ケンカなのだからついつい感情的になってしまうのは仕方がないのかな、とも思います。だからこそケンカ相手には、挨拶をすべきです。言いたいことを言いあったらノーサイド。夫婦喧嘩の後は腹が立って仕方ないですが、一晩寝て朝になったら気持ちも落ち着いているはず。気が進まなくても、自分から「おはよう」を言うべきなのです。ケンカを次の日まで持ち越してはいけません。世界中の人々はもっともっと、「おはよう」の挨拶をするべきだ、と私は思うのです。
 みなさんは今朝、何回「おはよう」の挨拶をしましたか?
 これで宗教朝礼を終わります。
M.S.(技術家庭科)