シスター・先生から(宗教朝礼)
2022.06.22
2022年6月22日放送の宗教朝礼から
2022年 6月22日(水) 宗教朝礼
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
“I hate it, I get furious when people call me a hero. I’m not a hero.” (https://vimeo.com/154155147より)
“Heroes do extraordinary things. What I did was not an extraordinary thing. It was normal.” (New Treasure Stage 4 より)
「私は人々が私を『英雄』と呼ぶとき、いらだちを感じます。私は『英雄』ではありません。」
「英雄とは並外れたことをします。私がしたことはそうではありません。ごく普通のことでした。」
この言葉を残したのは、第二次世界大戦中、2500人ものユダヤ人の子供たちの命を救った、ポーランド人のカトリックソーシャルワーカー、イレーナ・センドラーという女性です。
私は、高2の英語の授業で使用している教科書の中で、初めてイレーナ・センドラーのことを知りました。彼女の生き方や信念にとても深く感動し、今日、宗教朝礼で、全校の皆さんにも知っていただきたいと思い、紹介します。
第二次世界大戦中、ヨーロッパの国々でユダヤ人に対するひどい迫害が行われていたことは、みなさんもご存じでしょう。ナチスが侵攻したポーランドでも迫害が激化し、ユダヤ人たちは、ゲットーと呼ばれる隔離地域に住まわされ、そこから外にでることを許されませんでした。ゲットー内の状況は劣悪で、人々は仕事も食べ物もない中、飢餓や病気に苦しみました。ゲットー内での伝染病の状態を監視する目的だけのために、ナチスが、ごく少数のソーシャルワーカーたちの出入りを許しました。ですが、かれらは病気に苦しむユダヤ人を助けることは、一切許されませんでした。イレーナ・センドラーはそのソーシャルワーカーの一人でした。彼女は、もともと、貧しい人に食料や生活必需品を届ける手伝いをしていましたが、その多くがユダヤ人でした。ナチスの侵攻のあと、なんの罪もないユダヤ人たちがゲットーに隔離され迫害される姿に、背を向けることができず、彼女はゲットーに入り、極秘で人々を助ける活動を始めます。それは何を意味していたか、皆さん想像はつきますか? もし、ナチスに見つかったら、彼女だけでなく、彼女の家族も殺されることを意味しています。
ゲットーから絶滅収容所へ移送される前に、イレーナは特に、ユダヤ人の子供の救出を目指しました。ドイツ兵の厳しい監視を潜り抜けて子供を逃がすことは大変な危険を伴います。子供を助けるには、ユダヤ人家庭を説得して子どもだけ安全な場所に逃がしたり、受け入れ先の確保が必要でした。子供たちは箱や袋の中に隠され、ある時は野菜の山の下に隠されました。イレーナのスカートの中に隠されてゲットーの外に連れ出された子どもさえいたと言います。
イレーナは、2008年98歳で亡くなる直前に、インタビューの中で次のように語っています。
「私にはまだ見えるのです。子どもを手放さなければいけなかった母親の目が。」
子どもの命を守るために、親から子供を引き離さなければいけなかったことは、どれほど辛かったことか。
命がけの子供の救出作戦を続ける中、彼女自身がついにナチスに逮捕されました。ナチスはイレーナにユダヤ人の子供たちについて問いただし、拷問しました。ですが、脚をおられるなどひどい拷問をうけ、痛みと苦しみの中にあっても、イレーナは子供のことについて一切何も話しませんでした。彼女は死刑を宣告されます。処刑場にいく直前に、彼女が活動していた組織のメンバーの働きで、命だけは助かりました。ですが公には彼女は処刑されたと発表されました。
身を隠しながらも、彼女はその後もユダヤ人の子どもの救出活動を仲間と続けます。彼女が助け出した子供たちは、その後、カトリックの修道院に預けられたり、ポーランド人の子供としてポーランドの家庭で引き取られ成長しました。
1つの瓶が、彼女の友人の家の庭にある、リンゴの木の下に埋められました。その瓶の中にはいっていたものは・・・・ ユダヤ人の子供たちの本当の名前と家族の情報などを書いた紙でした。イレーナが、子供たちが親や親せきといつか再会できることを約束して子供たちの情報をティッシュのような薄い紙に何枚も書き、瓶に保存したものでした。戦争終結後、彼女はこの瓶をほりおこし、子供たちと親せきや親との再会に動き出しますが、再会を果たせたのはごくわずかという厳しい現実でした。
ですが、イレーナが救った2500人の子どもたちは、「イレーナの子ども」として、イレーナの勇気ある行動を誇りに思い、その功績を語り継ぎました。
イレーナの存在は、1989年ポーランドが民主化されて以降、色々な人の働きで、広く世界に知られるようになり、時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は彼女に親書を送り、また彼女はノーベル平和賞の候補者にもなりました。ですが、彼女は、最初に紹介した通り、「自分が『英雄』と呼ばれるにはふさわしくない」という言葉を残しています。救えなかった他の多くの子供の命への後悔や、仲間への思いからくるのだそうです。
イレーナの行動力の原点に、医者だった父親が彼女に言った言葉あります。
「もし誰かがおぼれていたら、お前は水の中に飛び込み、その人を助けなければいけない。たとえ、お前が泳げなかったとしても。」
戦争前から貧しいユダヤ人の診察をしていたイレーナの父は、ヨーロッパで腸チフスが流行した時に、他の医師が感染を恐れて街を去る中、自分だけはのこり診察をつづけ、その結果自分が腸チフスに倒れて亡くなったのでした。このような父の姿を通してイレーナは、「いつも弱い人を助けなければいけない、たとえ自分自身も弱い存在であると分かっていても」と、思っていたそうです。
自分の弱さを知っているからこそ、弱い人と同じ目線でともに歩もうとする姿はイエス・キリストの眼差しと重なります。
ルカによる福音書10章の『善いサマリア人のたとえ』に、次のようにあります。
「隣人を自分のように愛しなさい。」
ある人が道端で追いはぎにあい、死にかけていた時、3人の人が通りかかりますが、始めの2人は、ある人の存在に気づいていたのに見て見ぬふりをして通り過ぎてしまいます。ですが、最後に通りかかったサマリア人だけが、死にかけていたある人を憐れに思い、見過ごさず、声をかけ介抱します。「憐れに思う」と訳されている原語のギリシャ語には(「スプランクニゾマイ」という言葉が使われており、これは)「腸(はらわた)がちぎれる」というような意味があるそうです。つまり、腸がちぎれるくらいの心の痛みを感じたサマリア人の思いを表した言葉ということになります。
そのくらいの心の痛みを感じて、いてもたってもいられなくなり、死にかけていたある人の隣人に自分からなっていったサマリア人の姿に、イレーナ・センドラーの行動は重なります。
自らの危険を顧みず、なお他者のためにできることを行動に移したイレーナの勇気ある行動は、まさに愛そのものではないでしょうか?
来週の金曜日は「みこころの祝日」です。「みこころ」は、イエスさまの心=愛を意味します。ごミサと奉仕活動があります。施設に直接伺うことはできませんが、施設にお送りするものを作成したりします。想像力と心のアンテナをフルに使いながら、作成したものを通して、待っていてくださる施設の方々と繋がろうとする気持ちを大切にできたらいいです。自分以外の誰かを思い、自分ができることを行動に移していくことを、私も皆さんと一緒に意識してこの一日を過ごしたいと思います。
今日紹介したイレーナ・センドラーについての本を2冊図書館に入れていただきました。ご興味ある方は、是非図書館で借りてください。
(『イレーナ・センドラー ホロコーストの子ども達の母』平井美帆著 汐文社 参照)
これで、宗教朝礼を終わります。
(宗教科・英語科 Y・S)