シスター・先生から(宗教朝礼)
2022.05.18
2022年5月18日放送の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。
不二聖心の今年度の学院目標は「知性を磨く~希望の扉をあけて~」ですね。シスター大原は始業式でこの扉を不二聖心創立70周年の新たな扉として、聖心温情舎初代院長マザーダフの意思を継ぐ者として、日々の生活の中にある希望の扉として、3つの柱でお話くださいました。
「扉を開く」は聖書の中にもたびたび表現されていますが、「扉を開く」には文字通りの意味だけでなく「心を開く」「親しくなる」「自分をさらけ出す」「立ち入った領域まで踏み込む」「チャレンジする」などの比喩的表現として使われることもあります。皆さんは今年どのような扉を開いていくのでしょうか。
さて、聖心は扉を開いて地の果てまで女子教育の為に命をささげたシスター方がお創りくださった学校です。 聖マグダレナ・ソフィアはフランス革命時の1800年に聖心会を創立し、聖フィリピン・デュシェーンは1818年にレベッカ号で新大陸アメリカに渡り、その地の子供たちの教育に人生をかけました。もちろん扉を開き続けたシスター方はこのお二人だけではないのです。その1例がウクライナにあった聖心会で活動したシスター方です。不二聖心の学院ホームページ、「校長室から」に掲載されていますので既に読んだ方もいらっしゃるでしょうが聖心会ウェブサイトからの記事をここで要約します。
「聖心会は、今から約180年前、ウクライナ西部の都市リヴィウにシスターを派遣し、そこで教育活動をしていました。当時のリヴィウの聖心女子学院は、リヴィウの住民の特徴である開放性、寛容性、他国への同情心、そして相互の友好性を反映した校風で、様々な階層、また様々な宗教の人たちがともに学んでいました。 この地域は、何度もポーランド、オーストリア、ハンガリー、ソ連軍によって占領され、厳しい時代を経験しました。 ソ連占領期(1939 年9月から1941年6月)には、聖心の学校の建物はウクライナの学校として占拠され、 ウクライナ語の授業が課せられ、シスターたちは避難所を探し、生計を立てるために他の仕事を探すことを余儀なくされました。しかし、この時、聖心女子学院はこの街ですでに 100年近くの歴史があり、シスターたちとその地域の人たちは友好的な関係にあったので、ウクライナ人家庭で子供の教育係や使用人として、あるいは空き家の管理などの仕事を見つけて生活をしながら乗り越える事ができました。 ドイツ占領下のリヴィウでは、当時の院長であったマザー・パウラ・ヴェルハーンが、ドイツ国防軍にポーランドの修道院を軍事病院として使用させ、ナチス・ドイツの国家秘密警察による占領を免れることができました。 シスターたちはそこに留まり、少女たちのために隠れて授業を実施し、兵士の服を拾って繕う手伝いもしました。これは 1944年7月のソ連による第二次占領まで続きました。修道院は軍事病院としての役割を果たし続け、秘密裡に行われる授業も続けられました。 1945年、旧ポーランド領はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に編入され、リヴィウの家も閉鎖せざるを得なくなりました。1946年の春、リヴィウと 1939 年以前にポーランドに属していた地域の全修道者に避難命令が出されました。しかし、ポーランド国民でない修道士はその土地を離れることが許されず、その中には、老齢の聖心会のシスターでチェコ人のシスターとフランス人のシスターがいました。そこで、ポーランド人の2人のシスター、シスターマリア・クルパ(Maria Krupa) は看護婦として、シスターエルツビエタ・ヴァルチノフスカは修道会の責任者としてその地にとどまり、彼女たちと行動を共にしました。彼らは幸運にも、1949 年に小さなアパートが割り当てられるまで、リヴィウの家に滞在し続けることができました。 その後、3人のシスターが亡くなり、一人残されたシスター・ヴァルチノフスカは、リヴィウからポーランドに戻る機会を得ましたが、リヴィウに留まり、教会も閉鎖される中、体力が尽きるまでこの地に残り、亡くなる1971年まで聖心会としての活動を続けました。」
さて、扉を開いた聖心会の活動はフランス、アメリカ、ウクライナに限ったことではありません。始業式でのお話で皆さんに紹介されたマザーダフもそのおひとりです。私はマザーダフがお亡くなりになった時、ちょうど中学1年生でした。シスターの御遺体はパーラーに安置され私たちはご遺体に友人たちとお祈りに伺いました。マザーダフの御遺体はとても神々しく、お美しかったことを覚えています。あまりに美しかったので私の同級生の何人かは「マザーはきっとご復活して聖人になられる。」と確信し、墓地に埋葬されるときは最後までお見送りをし、時々お墓に様子を見に行っていたそうです。その頃は不二聖心にまだ小学校があり、同級生の何人かは小学校でマザーダフから英語を教えて頂き、英語が大好きになったとも聞きました。思い出深いお話としては演劇がお好きでいらしたマザーのために生徒達はマザーが演出したお芝居を練習し、お祝い日には「聖マグダレナ・ソフィアの生涯」「白雪姫」などをマザーが毛糸でお作りになった鬘をかぶって上演したこと、マザー手作りの毛糸の大きなボールでドッジボールをしたことなどを聞きています。信者の同級生の1人は初聖体の時「これであなたも天国に行けますね。」とお声をかけられ、この言葉を問い続けながら日々歩んできたとも話してくれました。
アイルランドから中国へそして日本へ。新しい地で子供たちの心を育もうと数えきれない扉を開け続けてくださったマザーダフがいらしたからこそ私たちは今年度創立70周年をお迎えすることができるのです。そして皆さんもマザーに倣い、心を開き、好奇心、チャレンジ精神をもって扉を開き続けてください。
これで宗教朝礼を終わります。
Y.S.(英語科)