シスター・先生から(宗教朝礼)
2022.02.09
2022年2月9日放送の宗教朝礼から
新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは3年目に入ろうとしています。2019年12月に最初の感染が認められ、2年前、突然わたしたちの日常生活は失われました。オンラインの開始、分散登校、ハイブリッドの授業、さまざまな行事の中止や変更、学校生活も状況に対応してなんとか続けてきました。みんな必死でした。みなさんも一昨年のことを思い出すと、大変な毎日だったなぁと思いませんか。
新型コロナウイルスの感染力の強さ、重症化の速さが明らかになるにつれ、ワクチン・治療薬の開発の動きも出てきました。そのころの私は、1年経てば収束すると(なんの根拠もなく)思っていました。授業がオンラインになることも学校行事を我慢することも、来年になれば解消されると考えていたのです。実際はどうでしょう。変異株が現れ、第5波、第6波と次から次に押し寄せ、「感染症の収束」という言葉はまだ現実味を帯びていません。今まさに、これまでにない感染拡大のさなかにあって、ピークアウトがいつになるのか予測もついていない状況です。
ワクチンも2回接種すれば一生大丈夫だと思っていたけれど、そうではない。治療薬も実用化が見えてきたにすぎない段階。新型コロナウイルスは撲滅されるのではなく、ある意味ずっと一緒に付き合うものなのかもしれません。デンマークは「2月1日をもって、新型コロナを社会にとって危険な病気と分類しないものとしたい」と宣言しました。WHOは「時期尚早」として警鐘を鳴らし、国内でも賛否両論あるといいますから、この決断がどのような結果になるかはわかりませんが、デンマークの考え方はまさにWith コロナにシフトしたのでしょう。
このパンデミックは、世界の諸相を照らし出したようにも感じます。感染症に対する世界各国の対応、人々の生活の相違が現れ、国家間また人々の間の格差問題も表出しました。私たちはマスクを常につけて生活していますが、海外の映像を見ると、マスクをしていない人も多く見られます。ワクチンの接種率は直近で日本が79.4%、一方アフリカ地域はおしなべて低く、コンゴではわずか0.2%だというのです。新型コロナウイルスは人々の価値観、生活や文化の違い、格差など、さまざまな問題と多様性を浮かび上がらせたとも言えるでしょう。
今一度、みなさんも自分のことをふりかえってみましょう。この2年、何が変わり、何を変えてきたのか、できなかったこと、あきらめたことはどんなことだったか、一方で新たに経験したこと、手に入れたものは何だったか。人によって、それぞれ異なりますが、大小・軽重はありません。一人ひとりの経験は比較の上に成り立つものではありませんし、一人ひとりの経験はそれだけで貴い、大切なものです。みなさんにも、自分の経験を大切に(それがよい経験であっても、よくない経験であっても自分を形作っているものとして)しっかりと受けとめてほしいと願っています。
私は進路を担当しています。去年の高校3年生も、今年の高校3年生も困難な状況の中で進路を模索していきました。どの人も努力しました。今、受験中の人たちもいます。感染状況・防止を考えながらの受験はストレスフルです。彼女たちが健康で、実力を存分に発揮できることをお祈りしています。今年の高3とは授業などで関わることが多かったように感じます。6年前を思うと、本当に立派になったなぁと、親というよりおばあちゃんのような気持ちです。
「最も強いものや最も賢いものが生き残るのではない。最も変化に敏感なものが生き残る」という言葉があります。進化論で有名なダーウィンの言葉と言われていますが、実際には違うようです。ただ、この時代を表す言葉として、私たちは「変化」に対応しなければならなかったし、自分が変わることを恐れてはいられませんでした。これを非常によく体現していたのが、高校3年生だと私は思います。できなかったことを挙げれば、いくらでも出てくるでしょう。ただ愚痴は聞いても、文句はなかったと思います。むしろ、コロナ禍でできることを探し、実践していったのが高校3年生でした。
昨日は送別会がありました。土曜日は卒業式です。無事に卒業式が行われるためにも、感染対策が求められる状況はつらいことです。しかし、だからこそ、与えられた環境の中で最善を尽くすことをみなさんにお願いしたいと思います。みなさんは、「変化」に敏感で、与えられた環境の中で最善を尽くすことのできる人たちであるからです。コロナ禍はまだまだ続きます。でも、私たちはその中でも「変化」することを恐れず、最善を尽くしていきましょう。そして高校3年生のみなさん、あなたがたの門出をお祝いし、これからも応援しています。
M.H.(国語科)