シスター・先生から(宗教朝礼)
2021.10.27
2021年10月27日放送の宗教朝礼から
今朝も、アンジェラスの鐘の音で、一日が始まりました。
今日のアンジェラスの鐘の間、みなさんはどんなことを考え、お祈りしましたか?
直前まで誰かとお話ししていたかもしれません。席に急いで戻って、息を切らしていたかもしれません。それでも、鐘の音が鳴ったら、動きをとめ、手をとめ、心を静め、落ち着けることはできましたか?
私自身は、心が落ち着いたら、次のように祈るようにしています。家族が一日元気であるように、離れて暮らす両親や兄弟たちが健康にすごせるように、生徒たちが無事に一日過ごせるように、心を痛めている生徒には、その痛みが楽になるように、挑戦しようとしている生徒には前に進む力が当たられるように、アフリカにすむフォスターチャイルドが元気に学校に行けるように、世界に少しでも笑顔が増えるように、悲しむ人たちに少しでも光が照らされるようになどなど。全部ではありませんが、その日のその日に浮かぶことを祈ります。
先週の金曜日、聖心女子大学に数名の先生方と出かけました。不二聖心の教員が大学に来ていることを聞きつけた卒業生、大学2年生4名が、顔を見せに来てくれました。懐かしいと思う暇もなく、質問の応酬に会いました。
「会いたかったです。」「私のチャイ、中3なんです。卒研どうですか?」「秋つ、今年はできるんですよね?よかった。」「クラブの発表どうしてますか?」「高3、がんばってますか?」「みんな、元気ですか?」「コロナ落ち着いたら、早く不二に帰りたいです」
いったいどれだけの質問・思いを受けたことでしょうか?次々に飛んでくる質問に返答しながら感じました。「あ~、卒業生はこんなに不二の下級生のことを気にして、心配して、思ってくれているなんだな。」と。自分たちが在学していた時に比べて、制限があり、形が変わることがあったとしても、思いを受け継ぎ、形にしていく高3をはじめとする在校生のことを本当に思ってくれていました。今年は残念ながら卒業生が秋のつどいに来ることはありませんが、私たちは祈られている存在であることを、心にとめていきましょう。
コロナ禍の中にあって、人知れず苦労した人も多いと思います。「コロナだから仕方がない」という言葉で、我慢し、折り合いをつけていることがたくさんあります。私たちの互いの中に、無意識に我慢していること、傷ついていることがあります。見えやすいこと、見えないこと、聞こえやすいもの、聞こえにくいものはさまざまですが、静けさの中で心を澄ましたときに、見えてくる、聞こえてくる、周りの人へのいたわりの気持ち、祈りを大切にしたいものです。
第5波の大きな波がようやく引き、国内の一日の感染者数は少なくなってきました。昨日亡くなった方は15名。減ったように感じますが、失ってよい命は1つとしてありません。コロナがなければ、失わなかった大切な命が奪われ、悲しみに暮れるご家族・友人たちがいることを、顔を知らない人だとしても、心を寄せることを大切にしたいですね。
教皇フランシスコの「いつくしみ」という談話集の中に次のようにあります。「助けを必要としている人たちが、すぐ身近にいることは珍しくありません。その取り組みを成し遂げるためにと、どこかへ行く必要はないのです。いちばん小さいことから始めるべきです」
アンジェラスの鐘の時間、朝夕の祈りの時間、音を立てない静けさではなく、心の中を静めて、誰かのために祈る時間として、大切に過ごせればと思います。 (英語科 T.H.)