シスター・先生から(宗教朝礼)
2021.04.28
2021年4月28日放送の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼をはじめます。
新年度がスタートして、早いもので一ヶ月が過ぎようとしています。新入生の皆さんは学院生活に慣れてきましたか?在校生の皆さんは、新しい学年を迎え、今年度どう過ごすべき学年であるか、自分がどうありたいか、少しずつイメージできるようになってきたでしょうか?
そんな学校生活の指針の一つとなるのが学院目標です。今年度は、“Courage et Confiance!”〔勇気と神への信頼〕です。創立者聖マグダレナ・ソフィア・バラが度々使われた御言葉であることは、シスター大原もお話をして下さいましたね。学院目標は、毎年、新年度の始まりに示され、私たち教職員、生徒、そのご家族で共有されます。皆が、この一年間をどのように過ごすべきであるのか、学校生活のあるべき姿として方向付けが定まる大切なものです。
私は、今年度の学院目標をうかがった際に「勇気と神への信頼」について、自分の大切にしている聖書の言葉が浮かびました。それは、高校卒業の時に担任の先生からいただいた聖書の言葉、「神のなされることは皆その時にかなって美しい(伝道の書3:11)」です。
私は、兵庫県出身ですが、中高生時代を皆さんと同じようにカトリックの女子校で過ごしました。中学校一年の入学当初は、人生で初めて経験する大きな環境の変化の中で、期待と不安が入り混じ待った何とも言えない緊張感を持ち過ごしていたことが、今でも鮮明に思い出されます。生活環境の変化に加え、学習スタイルの変化や日々行われる小テスト、部活動や友人関係の様々なこと、長距離通学時間・・・と、楽しいこともたくさんありましたが、それ以上に葛藤や忍耐の必要なことが重なり、パンク寸前だった時期もあったように記憶しています。周囲に支えられ、自分も努力はするものの、報われないことが重なると、段々心が疲れてきて、悲しい気持ちになることもしばしば経験しました。
当時、毎朝のHRで「主の祈り」、帰りのHRでは「天使祝詞」を唱え、授業のはじめと終わりにもお祈りを唱える習慣がありました。入学当初は、ただ、言葉を追うことに必死だった祈りの時間が、次第に祈りを心のうちに唱えることができるようになりました。それは、宗教の時間をはじめ、シスターや先生方から一日の様々な場面でうかがうお話の中に、神様の深い愛や聖書を通して私たちの目指すべき生き方の指針など、折に触れて感じ取ることのできる時間があったからだと思います。「どうしようもなくなってしまった時、多くを語るより、神様の声をきくのです」と、よく中学生の頃、シスターからご助言いただいて過ごしたことが思い出されます。「苦しいとか悲しいとか自分の内側をあまりにも声にして騒ぎすぎると、神様から聞こえてくるあなたがたへのメッセージが届かなくなってしまいます。沈黙のうちに、神様の声を受け止める準備を自分の中にするのですよ。」このような言葉を今でも覚えていますし、諭していただきながら、自分自身も祈りについて考え、過ごしてきたように思います。
今年の学院目標をうかがったときに思い出された「神のなされることは皆その時にかなって美しい」という言葉、それは、自分の置かれている立場や状況を受け入れて、日々の生活を大切に送ること、辛い時悲しい時もそれは“神様からあたえられたとき”、つまり神様への信頼の気持ちを持って過ごすことであり、乗り越えた時に新しい世界が見えてくる、そういった意味もあったのだと、その時は分からなかったことも、大人になった今までの間の様々な経験を経て気付けるようにもなってきました。
中高生時代に使用していた聖書と「聖歌と祈り」というハンドブックは、大学への進学や就職の際にも私と一緒に引っ越しをしました。そして今も私のそばにあります。その「聖歌と祈り」というハンドブックのはじめには母校で大切にされてきた聖書の箇所が記されています。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイ7:7)」この聖書の言葉は、中学の入学式で贈られたものでもあります。この言葉を、私は「勇気を出して前に進みなさい」というメッセージであると理解しています。
そして、最後に「様々な試練を乗り越える勇気」について、私が学生時代にうかがったお話を皆さんにお伝えできればと思います。「勇気というのは、一見恐怖や不安に思うこと、また恥ずかしいと思えることや足踏みしてしまっていることに立ち向かっていく、とても大きな壁を乗り越えることのように思ってしまうけれど、ささやかな努力も勇気、少しの我慢も勇気、一歩踏み出す勇気、その一歩先に悲しみが広がっていても、楽しいことであっても、勇気とはあなたの様々な感情との折り合いのつけ方。苦難に苦しむことだけが勇気ではない。」 私はこのお話に随分と支えられてきました。
みなさんも、それぞれの「勇気と神への信頼」を持ち、この一年を実り多いものとして過ごせるとよいですね。来年の今頃、また新しい年に向き合うときに、良い一年を過ごしたと思えるように心掛けて過ごしていきましょう。皆さん一人一人の心の声を聞く時間を、一日のどこかで沈黙のうちに持つことができますように。
これで宗教朝礼を終わります。
A.T.(図書館)