シスター・先生から(宗教朝礼)
2020.11.18
2020年11月18日の宗教朝礼から
今日は本当の聖フィリピン・デュシェーンの祝日です。おめでとうございます。
聖フィリピン・デュシェーンといえば、フロンティア・スピリット。海を越え、困難を乗り越えていく強さ、苦労や失敗を受け止める内面の強さ。どうしてそんな風に生きていくことができたのか、神様を信頼する心が強かったのだろうといつも思います。
高校1年の宗教の授業では、年度初め全員がオンラインだった頃、聖心の宗教の授業や行事で登場する人物について、高校から入った生徒のために紹介してもらう課題を、中学から在籍している生徒たちに出しました。学年の1/4の生徒たちに聖フィリピン・デュシェーンを割り当て、やってもらいました。その内容を先日の授業で紹介したのですが、どの生徒もこの聖女について新大陸での宣教の苦労や信仰心を讃えていて、とてもよく書かれていました。紹介文ということで書いてもらったものの、ほとんどの生徒が、聖フィリピン・デュシェーンの生き方から学んだことを自分の成長や生活に生かしたいという決意が書かれていて、私はとても感心しました。
今、新型コロナウイルスのパンデミックの苦難を乗り越えようとしている現代社会の一人ひとりが聖フィリピン・デュシェーンのように、強い忍耐力をもって人々とともに生き、そして祈る心を持っていないと、この方舟とも言える人類の共同体は危機を乗り越えられないように思えてなりません。
私には、ペルーから日本に移住しているLさんという友達がいます。Lさんは、20代の息子さん2人をもつ母親で、ご主人は約10年前に病気で亡くされましたが、今は明るく生きておられ、南米出身者の方だけでなく、国籍を超えて多くの友達がいる方です。私もそのお仲間に入れていただいているのがうれしいと日々思っています。
Lさんは世界中でコロナのパンデミックが起こる前に、日本からペルーに一旦里帰りしたのですが、あっという間に南米にも感染が広がり、飛行機も飛ばなくなって、日本に戻ることができなくなっていました。ペルーでは、日本以上に感染者に対する死者がものすごく増えていました。マスクの生産も遅れ、感染予防もままならない状況でした。私はLさんと時々電話をしてお互いの無事を確認していましたが、Lさんは町に出るのが恐ろしいと話していました。6月頃のことでした。昨年日本を出国した9月から1年以内に日本に帰らないと、日本の永住資格を失ってしまう、でも行き来する一般の飛行機の見込みがなく、チャーター便は高額、このままでは日本に戻ることができない、どうしたらいいか入管などの事務所に聞いてほしいと頼んできました。そして、一度永住資格を失うと次に日本に戻って資格を得るのにすごい苦労をする。一人ではできないかもしれない。大きな不安を抱いていたLさんでしたが、偶然、日本の朝日新聞の取材を受けて、ペルーの町の悲惨な状況や、日本に帰りたいと思っていて帰れない状況があることを訴えました。Lさんの新聞記事の影響だけではないとは思いますが、しばらくすると法務省の発表で日本にもともと永住資格がありながらコロナのために期限内に再入国ができないことがあっても、特例的に通常の審査なしで永住資格を認めることが発表されました。
Lさんに、永住資格が特別の手続きなしに維持できるようになったことを私が伝えると、Lさんはとても喜んでいました。しかし、その翌日、Lさんはゆっくりしていられないという連絡を送ってきました。日本に戻る手配のことかと思ったらそうではありませんでした。町ではマスクが売っていなくてぼろぼろの使い古しのマスクを使っている人ばかり、また失業している人や、病院に行っても治療が受けられないという人があふれていて、じっとしていられないというのです。その時期には日本でもマスクが店先に並ぶようになっていたので、国際郵便で送ってあげようと思ったのですが、日本からペルーへの郵便は止まっていて、送ることができないことがわかりました。するとLさんはお金があれば布は買える、布を買ってマスクをつくって地元の人たちに配りたいということでした。マスクを送らなくても送金すればいいのだとわかり、私は知人に呼びかけて、Lさんのマスクプロジェクトに協力することにしました。不二聖心の先生方からも多くの献金をいただいて、ペルーに送金しました。
3週間ほどしてLさんからメールで写真が送られてきました。日本の国旗が小さく縫い付けられたマスクを、Lさんとその地元の人がうれしそうに身につけている写真でした。
また、お砂糖や穀物などの食料をたらいに入れてその方々にLさんが渡している写真もありました。感染対策のため手を洗うために水をためるたらいがあるとみんなが手を洗わなきゃと思うから配ったとのことでした。 マスクも上手につくったねと話すと、自分でつくったのでなく、ある団体に依頼したというのです。その団体は、子どもどが生まれつきの病気のために子どもたちの手術費用を必要としているお母さんたちの集まりで、そのお母さんたちにマスクをつくってもらってその布代と作業代に日本からの寄付金を渡したというのです。
そのお母さんたちは喜んで、マスクをつくってくれたそうです。お金をもらえるからというのもあるけれど、マスクをつくることで人の役に立てるからだと話していたというのでした。できあがったマスクは、Lさんが住むピウラ県というペルーでも感染状況が最もひどいと言われている地域の人たちに配られました。
当初町に出ることを怖がっていたLさんですが、パンデミックの恐怖や不安を乗り越えて、人と人とをつなぎながら喜びと安心を分かち合うことができたようでした。周りの人の健康を考え、またできる限り多くの人たちが幸せにあずかれるように工夫して、すごいなあと改めて私はLさんを尊敬しました。しばらくしてペルーからの国際便の飛行機が出るようになり、Lさんはこの日本に戻ることができました。 日本に戻ってきたLさんとマスクの話をすると、ひたすら聖心の先生たちが協力してくれたからだよ。と話してくれました。最初は感染の不安や、日本に帰れないかもしれないという絶望感など、心が閉じていたLさんでしたが、あるとき大きく外に心が向かうように変化していくのを私は電話やメール越しに見ました。それを思い出し、どうして変われたのと聞くと、日本での永住資格がなくならなくなって安心した時、本当に神様に感謝した。いただいたチャンスを人のために生かさないと神様に申し訳ないと思ったと話してくれました。
私はこの宗教朝礼の冒頭で、このパンデミックの苦難を乗り越えようとしている現代社会の一人ひとりがフィリピン・デュシェーンのように生きていかないと・・と述べました。「コロナだから何もできない」ではなく知恵を働かせ、神様に感謝しながら、人々のために尽くすことを教えてくれたLさんの中に聖フィリピン・デュシェーンと似たものをみることができたように思います。
私は、聖フィリピン・デュシェーンを守護聖人としていただくこの学校で学ぶ生徒のみなさん一人ひとりも、このコロナのパンデミックにおいて、知恵を働かせ、人々のために尽くす人として成長してほしいと願っています。これで宗教朝礼を終わります。
K.S.(理科・宗教科)