シスター・先生から(宗教朝礼)

2020.06.24

2020年6月24日の宗教朝礼から

聖書には、「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す」(箴言12.18)とあります。自分の軽率な一言で相手を傷つけてしまった、あんなこと言わなければよかったなんていう経験をしたことがありませんか。今日は自分の発言について考えてみましょう。

SNS上の誹謗中傷がひとつの要因となり自ら命を絶ってしまった女子プロレスラーのニュースを皆さんご存知ですか。新型コロナウイルスの緊急事態宣言が解除されるかどうかという時のことです。私は、生前の彼女の事を全く知りません。亡くなって初めて彼女の名前を知りました。毎日のように見たこともない、話したこともない、知らない相手から、死ね、気持ち悪い、消えろなどの心無い言葉が彼女のもとに届きました。そのような言葉を投稿した人たちは、有名人だから、プロレスラーだからどんなことを言われても傷つかないとでも思ったのでしょうか。それとも自分のストレス発散の場にしていたのでしょうか。

知識やモラルが不十分な上、匿名だから、みんなが投稿しているからという安易な考えでSNS上には、毎日のように暴力的な言葉、他人の悪口、差別的発言などが投稿されています。それを黙って見ている人もいます。

また、彼女の死去の報道後、匿名で誹謗中傷をしていた人たちが、次々とアカウントを削除したこともニュースになりました。削除したら暴力的な言葉、他人の悪口、差別的発言などは無かったことになるのでしょうか。プロレスラーである彼女の身体には多くの傷があったことでしょう。身体の傷は治ることがあっても、彼女の心の傷は癒えることがありませんでした。

彼女の死後、フィギュアスケートの本田選手は、「気にしたらダメだと、スルーしようと心掛けても、たくさんの嬉しいお言葉より、1つの誹謗中傷の方が圧倒的に強い」、スキージャンプの高橋選手は、「言葉は人を癒し、時にナイフのように人を傷つけてしまう。受け取る側によって感じ方も大小変わってしまう。だからこそ言葉を発する前に一瞬でも相手のことや、先のことを考えなくてはならない」と投稿しました。私たちは、彼女の死とこれら多くの投稿から学び考えなくてはなりません。

暴力的な言葉、他人の悪口、差別的発言などはSNS上だけの話ではありません。学校、寄宿舎、家庭など皆さんの周りで気になる言動はありませんか。気に入らないことがあったら、それを相手に聞こえるように言葉にして相手を不快な思いにさせたり、何人か集まってヒソヒソと噂話をしたり、自分がされて嫌だったことを自分がされたからといって誰かにしてみたり、理不尽なことを強要したりしていませんか。または、そのような場面を見たことはありませんか。

人は誰でも、疲れているとき、イライラしているとき、心のバランスが乱れているときなど自然と言葉がきつくなります。自分では、そう思わなくても、あなたの一言で、一緒にいる相手が傷ついてしまうこともあります。うっかり軽率な発言をして、友人関係にヒビが入ってしまうこともあります。自分の口から出る言葉が何を引き起こすか分かりません。

また、どんなに心を許している友人や家族でも、あの人なら大丈夫なんてことはありません。さらに、自分はこの程度なら傷つかないからあの人もこの程度なら大丈夫だろうということもありません。自分と同じ感情を持ち、自分と同じ考え方をする人ばかりが周りにいるわけではないのです。

私たちは今、新型コロナウイルスの影響で今までとは異なった環境で過ごしています。今までの常識を変えて、今まで感じたことがないストレスを抱えて生活しています。私たちの心のストレスは、自分の知らないところで膨れ上がっています。自分の心のトゲがどこで発散してしまうか分かりません。そんな時代だからこそ、自分の言葉に責任を持ち、相手に優しく接することができる人に成長して欲しいと願います。

もう一度、はじめの聖書の言葉「軽率なひと言が剣のように刺すこともある。知恵ある人の舌は癒す」(箴言12.18)を考えてみましょう。

言葉は人を傷つけることができるのと同じように、人の心を和らげ、元気づけることができます。今日、あなたの心から発信される言葉は、人を傷つけますか?それとも人を元気づけますか?

これで宗教朝礼を終わります。

M.D.(数学科)