シスター・先生から(宗教朝礼)

2019.10.23

2019年10月23日放送の宗教朝礼から

 おはようございます。これから宗教朝礼を始めます。

先週は台風19号が日本列島を縦断し、各地にとても大きな被害を出し、今もなお捜索活動なども続いています。そのつい数週間前には台風15号が千葉県を中心に大きな被害を出しました。自然の猛威に対し、改めて人間の営みの小ささを感じさせられます。温情の会委員会の皆さんが、すぐさま募金活動を始めてくれました。他者の痛みを自分のこととして受け止め、行動に移す聖心のスピリットが体現されていると感じます。
 私は今年度、高校3年生の担任をしています。AO入試や推薦入試に向けた面接練習や、志望理由書や自己推薦書などの添削を何度もしてきました。この面接や志望理由書は、自分自身が高校生活で学び得たことをアピールする場でもあります。多くの不二聖心の生徒が、自分自身が不二聖心で学んだこととして取り上げることに「奉仕活動」があります。公立の学校で学んできた私にとって、このことは不二聖心に来て最も驚いたことの1つです。多くの日本の高校生にとって、奉仕活動はせいぜい1~2回行ったことがあれば良い方で、一度も行ったことがない人もたくさんいます。しかし、不二聖心の皆さんはそうではないですね。定期訪問や地区奉仕活動、サマーショートボランティア、ワークキャンプ、さらには自主的に各種の奉仕活動をしてくれる人がいます。学校全体でも、授業日を使って、あえて授業を行わずに、みこころの祝日やクリスマス奉仕を行います。学校としても奉仕活動を大切にしていますし、そのことはきちんと皆さんにも伝わっています。高校3年生の面接練習などを行っているとそのことをつくづく実感します。中学1年生などは、どうして奉仕活動をするのか、大事にしているのか、今はまだ分からないかもしれません。でも、続けていくことできっと気づくことができるでしょうし、続けていった人にしかわからない感覚があることと思います。
 不二聖心にとっては最も身近な活動である「奉仕活動」ですが、日本全体を見るとどうでしょうか。諸外国と比べてみるとどうでしょうか。イギリスの慈善団体「Charities Aid Foundation」が発表している、「World Giving Index」、日本語では「世界寄付指数」や「世界人助け指数」と訳されるものがあります。これは世界の国々を対象に、人々の「Giving」、(他者に与えること、寛容度、人助け度)の状況を調査して発表しているものです。
2009年から毎年行われているこの調査では、「この1ヶ月の間に、見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」、「この1ヶ月の間に寄付をしたか」、「この1ヶ月の間にボランティアをしたか」という3つの観点から各国の人々にインタビューを行い、各国の「Giving」の度合を採点しています。「Charities Aid Foundation」は、2009年から2018年まで10年間に渡り、125カ国以上の国々を対象に、130万人以上の人々にインタビューを行いました。そして、今月、この10年間の調査データを集計した10年間の総合ランキングを発表しました。さて、日本の総合ランキングは、何位だったと思いますか。
 答えは、全部で126カ国中、第107位です。先進国の中では最下位です。ちなみに、1位はアメリカで、2位ミャンマー、3位ニュージーランド、4位オーストラリア、5位アイルランド、6位カナダ、7位イギリス、8位オランダ、9位スリランカ、10位インドネシア、となっています。日本は、残念ながら、世界トップクラスの“冷たい”人達、という結果になってしまっています。
 このアンケートの調査の方法が、日本人の感覚とそぐわない、という指摘もあります。このランキングの3つの調査項目のうち、日本の場合は「寄付をしたか」「ボランティアをしたか」という項目については、そこそこの順位を、といっても真ん中あたりの順位ですが、出しています。一方で、「この1ヶ月に見知らぬ人、あるいは、助けを必要としている見知らぬ人を助けたか」という項目では、全126カ国中第125位、という結果が出ています。こうした数字に対し、日本人はあまり自分自身の行ったことに対して自己主張をしない文化を持っているから、そんな日本人にとって、どの行動からが「助けた」と言えるのか、アピールしにくいのだ、という指摘です。さて、皆さんはどう考えますか。
 私はこれらについて色々と考えている最中、悲しいニュースを聞くことになってしまいました。先日の台風19号によって各地に避難指示が出されているとき、ある自治体においてホームレスの人が避難所に入ることを拒否された、というニュースです。ホームレスの人達は税金を払っていないから、税金で運営される避難所には入る資格がない…そういう理屈のようです。けれど、これはあんまりではないでしょうか。そもそも税金は、税金を払うことのできる人も、できない人も含めて、全ての人が文化的な生活を営むことができるように、私たちが払っているものです。ですから、税金を払っていないという理由で命が脅かされることはあってはなりません。しかし、そんなことよりも、雨風に打たれ、途方に暮れ、命の危険すら迫っている人々を目の前にして、安全な場所を開放することすら、なぜできないのか。私は強い憤りを感じました。この「拒絶」の思いが社会全体に広がっているとしたならば、それは、本当に悲しいことです。
 不二聖心の皆さんであれば、この思いは共有してもらえると思っています。最後に、フランシスコ教皇様のメッセージをお伝えし、宗教朝礼を終えたいと思います。
イエスは「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」(ルカ6・31)という最初の黄金律を、すべての人に示されました。そして、わたしたちがもっとも大切なことを見つけられるよう助けてくださいます。それは、お互いに愛し合い、助け合うことです。
(9/9のTwitterより)
これで、宗教朝礼を終わります。
S.N.(社会・地歴公民科)