シスター・先生から(宗教朝礼)
2019.09.18
2019年9月19日放送の宗教朝礼から
おはようございます。先週、皆さんはそれぞれ、黙想の日々を過ごされ、自分の内面と向き合うことのできた貴重な体験をされたことでしょう。その余韻は今も残っているでしょうか。
この夏、8月26日に、私はマニラを訪れた5人のシスタ一達と、高山右近のゆかりの場所を訪問する機会を得ました。それは現在のマニラ市立大学となっている場所で、当時はサンタ・アナ教会として、右近一家が住居をあてがわれていたところでした。特に、説明書きもなく、ひっそりした教会の隅に木造の高山右近の小さな像があるだけでした。そのことが彼の謙虚な人柄とキリストへの信仰のみに生きた生涯を物語っているように思えました。2年前、2017年2月7日に高山右近がカトリック教会により列福されたことを覚えていらっしゃることと思います。1614年、キリシタン大名であった彼は国外追放の刑に処せられたのでした。右近とその家族は船に詰め込まれ、33日間の暴風雨と逆風にさらされての厳しい船旅の末、1614年12月21日にマニラに上陸。マニラのホワン・デ・シルバ総督は彼の命を懸けての信仰を守り通したことをたたえ、大歓迎したとのことです。街をあげてのお祝いで迎えられたことでしょう。それに対して、彼は次のように答えたとのことです。
「追放者である私は、貧しくても慎ましい信仰を続け、残り少ない生涯を神に捧げたい。」
私はこの言葉に彼の信仰が本物だったと確信しました。
マニラに着いて、慣れない気候風土と長旅による疲れのせいで、右近は高熱に侵され、上陸後、たった1か月後の1615年2月4日の深夜、亡くなりました。どんな気持ちで、このつらい日々を彼は送っていたのでしょうか。本国に残り、殉教していった人たちを想いながら、自分がこのような運命をたどったことに疑いを持たなかったのか、そんな誘惑にかられなかったのか、私は考えてしまいました。死期が迫っている中で、右近が家族に語った記録が残っています。
「泣くのをよしなさい。幸福な未来のことを考えなさい。慈悲深い神が皆を守ってくださるというのに、他に何を求めるものがあるだろうか。見知らぬ国へきてもっとつらい修業が待っていると覚悟していたろう。ところが見てのとおり、我々は生まれ故郷にいるより愛情や慈悲深い人たちに恵まれて暮らしてきたではないか。これはすべて神のみ心がなす業であり、そして私の亡き後も、今にまして君たちをお守りくださるであろう。」
熱い太陽の光をあびながら、しばし教会の外で私は今の自分の生活を振り返っていました。出来事の安全性、確実性や有効性のみ求めてしまっている自分なのではないか。 目に見えない神様への信仰はどこにあるのだろうか。異国の地で、何が次に起こるかもしれない不確実で不安定な過酷な状況の中で、神にすべてをゆだれられた高山右近に、その信仰を教えてくださいと祈りました。不二聖心女子学院の守護の聖人、聖フィリピン・デュシェ一ンの生涯が重ねて思い出されます。
神様、どうぞ、私たちに、目に見えない世界の価値を教えてください。近視眼的になりがちな私たちにあなたの知恵と光を注いでください。つらいことに出会ったときに、高山右近の言葉を思い出させてください。
「泣くのをよしなさい。幸福な未来のことを考えなさい。」
H.O.(修道院)