シスター・先生から(宗教朝礼)
2019.09.04
2019年9月4日放送の宗教朝礼から
これから宗教朝礼をいたします。
1984年の夏休み、私は同僚の先輩と2人で海外旅行をしました。私にとって、初めての海外で、ジーパンにトレーナーといういでたちで駅に向かう私に、明治生まれで戦争体験者の祖父が、「そんな恰好で行くのか?スーツとかでなくていいのか?」と心配そうに見送ってくれたことを思い出します。アメリカ合衆国を8回の飛行機を利用して、縦横無尽に旅をしました。北はバッファローのナイアガラの滝、南はフロリダやメキシコとの国境サンティエゴ、東は、ワシントンDC,まだ世界貿易センタービルが堂々とそびえていました。西はサンフランシスコ、ロサンゼルス、ラスベガス、グランドキャニオンの絶景を堪能しました。
そんな旅行が終わりに近づいたころ、日本時間の8月12日、現地のバスに乗るとき、運転手さんが、私たちが日本人だと気づくと「日本で飛行機事故があった。数十人乗っていいて全員死亡だ。台風が原因らしい。すき焼きソングを歌った人が乗っていた。」と、教えてくれました。そして運転手の彼は「上を向いて歩こう」を口笛で吹いて教えてくれました。それを聞いて、私たちは「九ちゃんが!!」と絶句したのを覚えています。
驚いた私は、さっそく国際電話で母に電話すると、東京から大阪に飛ぶ日航機が、御巣鷹山に墜落した、垂直尾翼が取れたことが原因、500人以上がなくなっているらしい、坂本九も搭乗していたらしい。という情報を得ました。バスの運転手さんの情報で正しかったのは、飛行機が墜落したことと、すき焼きソングを歌う坂本九が犠牲になったことだけでした。当時の国際社会の情報伝達とはこんなものだったのかもしれません。
この事故は、大変大きなこととして報道されたのですが、当時、日本にいなかったせいか、時の流れのせいか、私の鈍感な感性のせいか、私の記憶から風化されていました。
皆さんは、坂本九という男性歌手を知っていますか?特に興味を持たなかった私ですら曲を覚えてしまうほど、よく聞かれましたし、人柄から溢れる優しい表情で、大人気の国民的歌手でした。「上を向いて歩こう」は世界的に有名で「すき焼きソング」として慕われていたようです。彼の曲は現在も多くのジャンルの歌手がカバーしています。ネットによりますと、現在のカバー曲ランキング1位は「上を向いて歩こう」、2位は「見上げてごらん夜の星を」です。どちらも坂本九の歌っていた曲です。ほかにも「明日があるさ」なども有名です。どこかで耳にしたことがあるかと思います。
1984年8月12日、この日の午前中に坂本九はラジオの生収録で、「心の瞳」という曲を歌いました。そしてこれが彼の最後の歌声となってしまいました。
この曲にはその後、奇跡が生まれました。その番組を聞いていた、ある新任の音楽教師は、当時荒れている中学校の生徒指導に悩んでいました。何とか生徒の生活を落ち着かせる方法はないかと思っているとき、ラジオから坂本九の歌う「心の瞳」が流れてきました。「これだ!」と思い、関係機関に連絡して、合唱曲に編曲する許可を得ました。「歌に不思議な力がある。子供たちに歌わせたい。」という若い教師の思いは、今では中高生の合唱曲として有名になっています。音楽教師の心を震わせた歌声が生きている最期の声と知り、彼のこの曲の思いは一層強くなりました。
この曲を知ったのは,私の子供たちが中学校の合唱コンクールで歌っていて、大のお気に入りだったことからです。中学のコンクールがとっても懐かしいらしく、とうの昔に卒業しているのですが、ときどき話題に上がっていました。今までもその曲が坂本九の歌であることは、話に出てきたのかもしれませんが、なぜか、今回初めて意識しました。そして日航機の事故と深いかかわりがあることを、私は、この夏に初めて知りました。
この詩の解釈は、人によって、また年齢によって感じ方も変化するようです。そして、つらさや苦しみの中にいるときと、幸せの中にいるときでは感じ方が変わります。詩の内容は、中学生には難しいかもしれません。その時の気分で、どうとでも感じることができるような気がします。
自分の生きてきた人生はつらいこと、楽しいことがあるけれど、そこに、自分がいるという事実だけなんだよ。と言われているような内容です。
たとえ明日が少しずつ見えてきても それは生きてきた人生があるからさ
たとえ昨日を懐かしみ振りむいても それは歩いてた足跡があるだけさ
これで宗教朝礼を終わりにいたします。
K.O.(理科)