シスター・先生から(宗教朝礼)
2019.05.29
2019年5月29日放送の宗教朝礼から
おはようございます。これから宗教朝礼をはじめます。
新年度が始まり、二ヶ月が経ちました。もう5月も終わろうとしています。体育大会が終わり、次は中間試験と、慌しい日々ですね。気持ちを切り替えて、この時期を過ごしてしている皆さんの姿を見て、毎年感心しています。
先日、ある本を読みました。緩和医療の医師 大津秀一さんという方によって書かれた「死ぬときに後悔すること25」という本です。
大津さんは、緩和ケアという、主にがん患者の方の心身の苦痛を取り除く仕事をされている医師で、今まで約千人の最期を見届けたといいます。そんな大津さんが、この本を書かれた理由が本の前書きに書かれていたので紹介します。
「人間は後悔とは不可分の生き物である。現実問題、私が見届けてきた患者さんたちは、大なり小なり何らかの やり残したこと を抱えていた。だから皆、程度の差こそあれ、後悔はしていた。けれども、その後悔の程度には大きな違いがあった。単純な話だが、明日死ぬかもしれないと思って生きてきた人間は、後悔が少ない。明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られた生の時間を精一杯生きようとする人間であり、一日一日に最善を尽くそうとする人間である。
また、何百例も症例が集積すると、ひょっとすると皆が抱えている後悔、人生で解き残す問題は、実はそれほど多様性がないのではないかということがわかってきた。要するに、人が後悔する内容は、だいたい決まっているのである。
だったら、終末期に皆が必ず後悔すること、それを前もって紹介し、元気なうちからやっておけばよいのではないか、そのような思いから生まれたのがこの本である。」
さて、この本では、終末期の患者の方々が、かつて後悔していた事柄が25にまとめられています。「健康を大切にしなかったこと」「行きたい場所に旅行しなかったこと」「他人に優しくしなかったこと」など、個人的に気になるものはいくつもありましたが、その中で最も印象的だった後悔がありました。「自分のやりたいことをやらなかった」という後悔です。
また別の本ですが、長年介護士として緩和ケアに携わっていたブロニーウェアという方の「死ぬ瞬間の5つの後悔」という本でも、自分のやりたいことをやれなかったという後悔は、最も多くの方が感じていた後悔として取り上げられていました。
他人の期待に応えようとするばかりの人生ではなく、自分が真に生きたいと思う人生を生きる勇気を持てればよかった、というある患者の方の言葉が紹介されており、その方の懸命に生きてこられた人生と、思うようにいかなかった切実な後悔を想像すると、非常に重みのある言葉だと感じました。
私は自分の生きたい人生を、勇気をもって生きているだろうか。命を終える瞬間、生きたい人生を送ることができたと思えるだろうか。きっと、そのときになってみないとわからないと思いますが、現在、いつかできたらいいなと後回しにしてしまっていることを終えぬまま最期を迎えてしまったら、恐らく後悔するだろうと思います。悔やみながら命を終えるのは、想像するだけでも辛いものです。せっかくならば、いい人生だったと満足して終えたいです。
皆さんは、自分の生きたいと思う人生を、生きていますか?
やりたいことがわからない人、わかっていてもなかなか踏み出せない人、思うようにいかない人、悩んでいる人…様々かと思います。
18歳のプロファイルに、「自分自身の人生の意味を探求し始めています。」という項目があります。今すでに皆さんが、本当に自分がやりたいことを理解していたり、生きたいように生きることができている必要はありません。
始業式の日、シスター大原が「与えられた時を真に生きたものとするため、若き日にこそ、あなたの創り主である神に心を留め、永遠に価値ある愛のまなざしに基をおいて生活するよう心がけましょう」とお話しされました。
学生時代というのは、辛く苦しいことも多い日々だと思いますが、皆さんは、価値ある若き日を、キリスト教の教えのもとに過ごしています。自らを振り返りながら、自分の使命を探求できる機会にあふれた、恵まれた環境です。
皆さんが、人生の最期の瞬間、大きな後悔をしないために、今できることは何でしょうか?
忙しい日々ですが、1日1日を大切に過ごしていきたいものです。
その1日1日が、真に生きたものとして、皆さんの将来を照らしてくれることを祈っています。
これで宗教朝礼を終わります。
H.K.(保健室)